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1月, 2023 | ichikoTV ichikoTV

2023 年 1 月 のアーカイブ

旅する絵本

2023 年 1 月 28 日 土曜日

先般、2

先般、2月に某女子大で行われるイベントの打ち合わせでTさんの事務所にいたところ、ほっ‼棚を見ると、アンティークな素敵な本が目に入った。セピア色の表紙で何ともいえない趣がある。「何ですか?この本は」と聞くと「旅する絵本‼ 吉田さん、本を旅せてきてくださいよ」と言われ、早速持ち帰った。

そんな旅する絵本を取り扱っている「旅する絵本工房」がなんと2023年1月29日でクローズすると聞いた。またまた「え?」である。

本屋さんでも図書館でもない工房には約1000冊ほどの絵本がある。絵本が人から人へと渡っていく、そして旅していくといういわば「社会実験」ということだ。旅する絵本への参加費は僅か500円。素敵なトートバックとのセットで1000円。・・・・ん・・・やはり、夢はあるけれど採算が合わないかもしれないなと思った。こんなにも素敵な企画であるのに工房オープンしてはや2年。何とも残念な気持ち。でも図書カードに名前を書いて、人から人へ‼ 旅させよう‼と思った。

今年の自分へのテーマは「ととのえる」

2023 年 1 月 26 日 木曜日

朝から分刻みというほどでもないが、時間を刻んで動いていた。気ぜわしいのだ。原稿締め切りもあるがとにかくね・・・先ずはゆったりとして深呼吸‼と思う日々。2022年末からのカラダのぶっ壊れ状態は反省。やはりまずい。

そんなみこんなで今年の目標というか自分へのテーマは「ととのえる」にした。整える・・・調える・・・ととのえる‼

しかし氷点下も記録している日本の各地。東京も明日は雪だといっているけれど・・・ああ、雪はね、どうも・・・困っちゃうなぁ

寒さに弱くなってきて・・・

2023 年 1 月 24 日 火曜日

週末は寒気が・・・今から備えを・・・そして昨日のニュースでは東京でも之が降るとか?杉並区で雪がふっている映像が流れた。なんか雪は映像でいいと思う子がある。めっぽう寒さに弱くなってきた。雪降る街を歩き回る元気みたいな力がだんだんなくなっているのを感じている。弱っちいな~我~でも、年末年始のダウン。多分寒さを受け止められなかったのかも知れない。コロナとインフルの同時検査をしても「陰性」だったが・・・

実は年明けて1月13日の夜になって漸く「声」が出てきた。もう、「う~っつつつ」みたいな呻きを聞いた仕事関係者は慌てて電話を切ってくれたが、すっかり冷え切った?いわゆる血行不良の自分は睡眠をとることしか出来なかった・・・と!それが良かったのだ。信じられないくらいに睡眠をとってまあ復活ということです。

今は声がガンガン出る様になり‼相変わらずの毒も吐けるようになりました‼

嗚呼!高橋幸宏さん逝去

2023 年 1 月 16 日 月曜日

ニュースでミュージシャンの高橋幸宏さんが今月の11日に誤嚥性誤えん性肺炎のため亡くなったことを知り、可成りショック。享年70歳とは!

コンピューターやシンセサイザーなどの当時は驚くほどの最新の電子楽器を使った斬新な音楽性で“テクノポップという新しい音楽のジャンルを築いたYМО。登場した時4の衝撃も甦る。高橋さんはドラマーとして活躍。あの「ライディーン」の作曲者だ。正確に刻むリズム。何ともファッショナブルなミュージシャンであったと思う。1983年の解散‼だってショックだったのに・・・と。

どうぞ安らかに・・・あの斬新さは永遠です!

遺構に想うこと つらつら・・・

2023 年 1 月 16 日 月曜日

意外と知られていないことなのだが、フジフイルムの発祥地が雑司ヶ谷だったということ。何故か?というとその土地の水質が抜群に良かったということ。

本当にこの事にふれたのはひょんなことだった。そのインタビューの時にはそれほど気にもしていなかったことが今思い出すと、「何という一瞬の出合‼」と改めて自分の内で感動した。ある意味、時間は経過したが結局、自分の内で静かに醸造されていた・・・そんな感覚である。

そして今、それこそ高層複合ビル建設にあたっての工事中でその遺構が発見され、2月に見学することになったのだが・・・ふっと眠れなくなるほど興奮している自分がいる。遠足前の子供とか単純なものでなく(笑)なんというか、子ども時代に戻ってみると、夏休みにだいたいシオカラトンボしかとれなかったのに、鎌倉の山の中でオニヤンマをつかまえた時のあの信じられないほどの興奮というか、あまり例としては一般的ではないが、細胞のひとつひとつがゾクゾクザワザワしている感覚である。

その遺構の画像を前もって研究者に見せていだたいて、その興奮はまた高まっていった。今年は関東大震災から100年経った年である。土の中からは関東大震災で破壊された乾板の破片や薬品の瓶などが発見されている。

何とも!無言でいても自分の細胞たちがざわめいている(笑)

高層ビルが建設され、お洒落なレストランなど出来て、デートコースななって相も変わらず皆がおんなじ感想を口にするのだろうなと思う。土地の記憶は誰かがしつこいほどに覚えておかないとならない・・・そう思っている。

とにかく詳細はまた!

夢に出てきた 友

2023 年 1 月 15 日 日曜日

少し前の事である。夢の中に昔の新聞社時代の知り合いが出てきた。彼は小高い丘の上に立っていた。丘の上は細かい草に覆われ小花が愛らしい。彼は、本当に嬉しそうに嬉しそうに笑っている・・・何を言うわけでもなくただ笑っていた。そんな夢だった。古墳への大きな夢があり本を書きたい・・・そんな願いも空しく退職後に病気で亡くなってしまった。今、思えば若すぎる死だったと思う。

中堅社員研修で知り合ったから、「研究」というタイトルで仲間たちと楽しい集いは何度もあって、その度、よく八重洲口の居酒屋で飲み、語ったものだった。読書家の彼は本当に本をよく読み、紹介してくれた。黒い鞄には「この本、面白いよ」とぎっしり本が詰まっていたな。

そんな集まりも無くなった時に連絡がつかない、つかない・・・そうこうしているうちに・・・「点」と「点」が繋がって、なんと!彼の死を知ったのだ。残された原稿を見つかった時か、仲間たちと纏めて遺稿集を出そうということになりまとめあげた。そして彼の奥さんや兄弟、研究者たちと八重洲の居酒屋で偲ぶ会をした日もあった。

彼が亡くなった後もいろいろ話もあって奥さんとは交流があったのだが・・・

「現在使われておりません」というMESSAGEを携帯電話から聞いた時は可成り焦った。郵便局でも調べてもらったが「現在、その住所には住んでおられませんね」という返事を郵便局からもらった時は「ああ、これで終わりというものか・・・夢の話も出来ないのか」等と思った。愕然とした。よくテレビドラマであるようにいろんなことを探り当てることは出来ないままである。自分はこんなにも非力なのか!?と思う。

最近は哀しみの片鱗を何か分かるようになってきた。言い方がうまくできないのだが、3年近くのコロナ生活を通じ、その間に友人が重い病気になっていたこと、また「うまく歩けないんだ」と言っていた方の本当に突然の訃報などに接すると本当に世の中にずーっと在った「哀しみ」の片鱗がいろんなところに突き刺さっていくのが分かる。

リモートで飲み会だ打ち合わせなどが頻繁に行われている昨今。殆ど表情もかえずに淡々と対応しているつもりだが、トシを重ねていくということが辛いものかが分かってくる。冷静になればなるほど自分の非力さもしみじみと分かるのだ。

願わくば・・・何かが風にのってでも来てほしい。

新年から?マークです

2023 年 1 月 12 日 木曜日

本当に優秀な方々だと思っている。

宇宙飛行士の古川聡さんが研究実施責任者を務めた宇宙医学実験でデータの書き換えや捏造があった?というニュースを聞いた時は一瞬信じられなかったというより聞き間違えかと思った程だった。あの宇宙航空研究開発機構(JAXA)が古川さんを戒告の懲戒処分にしたとの事。

記者会見後に自らの説明しそして謝罪と。何が?どうあったのかと。

気象は確かに異常

2023 年 1 月 6 日 金曜日

異常気象は確かだ・・・と思っている。それに呪文のように関東大震災からちょうど今年は100年目と人々はいう。

何とも・・・連絡の取れなくなった方々が多い・・・それに接するということはやはり時が着実に動いているということなのだろう。「寒い寒い」と言っては昔のようにびょんぴょんと動こうとはしなくなったし。

本当に地震が起こるのかも知れないな。

2023年初夢

2023 年 1 月 2 日 月曜日

1日の夜に見る夢が初夢であれば・・・何とも不思議極まる夢を見た。近代都市化?キラキラと煌く都市と隔てて、まるで遺跡のような都市がある。その間を繫ぐ塀のようなものがあり、私は誰かとその塀に座ってみている。隣の男性は誰なんだろう?と思いながら実に軽快にその塀を飛んでまわって都市を見比べているのだ。そしてまた腰掛けると、隣の男性が「原子力が無くてはならないんですよ。やはり原子力が必要なんです、都市には」というのである。遺跡のような都市と煌くような未来都市を交互に見つめながら「はて」と私は考えこんでいるとその男性はまるで羽の生えた何か?のように宙に消えた。

あぁぁぁ・・・これが2023年の初夢ですかぃ?

2023年1月1日

2023 年 1 月 1 日 日曜日

2023年1月を無事に迎える事が出来た。本当にこれは素晴らしいことなんだととしを重ねることに思う。

年賀状が届く。「今年で賀状じまいをしたい」というものだ。墓じまいさえ多くなっている昨今である。年賀状も携帯電話もメールもメルマガもラインもFBも何にもなかった時代には考えられなかったものだろう。とくに親戚づきあいもなくなればおのずとしまいたくなると思える。退職した、退官した、継承した・・・諸々の理由で決して「死」ではなくてもしまいたくなることに直面するのだろう。ああ!これこそ人生なんだなと思う。そんな中でも学生時代の友人からはずーっっっっと届いているのも何かも「想い」で繋がっているのだと思う。

自由な発想で乗り越えていけばいいんだね。