朝から飛び回っていました!
なんだかんだ2017年も無事におえることで出来ました。
いろいろ有難うございます。
皆様に感謝!感謝!
朝から飛び回っていました!
なんだかんだ2017年も無事におえることで出来ました。
いろいろ有難うございます。
皆様に感謝!感謝!
ディナーショーが終わってからかれこれ一週間ですか?・・・
年末調整が終わってほっとしていたものの
委員だなんだかんだと、いろいろ決めないとならないこと
最終の入稿のチェック
そして「入稿等、忙しさ紛れで諦めてしまった、しまいたい」という人への催促
いやまあ、どうしたことか思うほど慌ただしく過ぎてしまい、気がつけは本日し2017年12月30日となりました。
少し掃除すると気になるところがでるわでるわ・・・
正月料理を作り始めるとピンポン~ピンポン~とチャイムが!
結局ですね~自慢ではないですがね~
「年賀状」は書けませんでした・・・
全くねぇ~
鬼のように年賀状こなしていたあの時代ってなんだったのでしょう?
「経費削減のためにメールで配信しています」と言う某企業の社長さんからもメールをいただいた。
しかし、今の仕事の関連から、メールをしない方々も多いのだ。
もうはらをくくろう!
体力不足かしらん?とぶつくさいっている間にやらないとならないことが大盛りだ。
さて、明日の年越し蕎麦き大盛りでいくか・・・
年末、少しでも愉しみ見つけて(笑)
神楽坂女声合唱団の年末恒例のチャリティーディナーショーが無事に終了しました。第18回目。つくづく時が過ぎていくのが早いと感じます。18回目なんだ!と。そう感じる度にかっちゃんこと小林カツ代が花見をしながら「合唱団作る!」と言った夜を思い出します。料理関係者の為の合唱団かと思いきや「あなたも入るのよ!」と半ば強制的に(笑)思い出しますね。
今年の会場は日比谷の帝国ホテル・富士の間でした。チケット販売は瞬間風速?どのくらいか、超スピードで販売終了、キャンセル待ちとなりました。すごいね~
元気メンバーが多いから、本当に“元気な合唱団”なんですね(^^♪チャリテイー精神、スピリッツは忘れずにバンバン行きまっしょい!
終了後は記念撮影、そして二次会会場へ!この日もまた、シンデレラになってしまいました(笑)
友人から美ヶ原の写真が届いた。
一瞬、冬の寒さを忘れてしまう。
いきをのむほどの自然の美しさだ。
東京都江東区の門前仲町近くで日本刀による事件があったと二ユースが流れた時、通り魔の犯行か・・・と思っていたが、何とも!の富岡八幡宮で宮司の富岡長子さんが兄弟に殺害された事件であると分かり、本当に怖いと思った。いろいろ報道されるたびに富岡家の骨肉の争いというのか・・・露呈されるとぞっとするばかりの事件である。
三年前に食道癌で当時、木場に住んでいた友人を亡くしたが、彼とは友人たちでよく門前仲町で集まったものだ。観光地化している有名な「魚三」は勿論であったが、深川めしも楽しんだ。とにかく、祭好きの江戸っ子にはたまらない「江戸三大祭」。「深川八幡祭」「神田祭」「山王祭」・・・。
富岡八幡宮は友人たちと参道もよく歩いた。
本当に馴染みのある土地だった。
何とも・・・
このところ、いきなり寒くなった。夏場に「えい!もう捨ててしまおうか」と思っていた数々のものが手放せなくなる(笑)
大寒に向かって本当に寒くなっていくようだ・・・今年から来年の大寒1月20日あたりまで極寒らしいですよ。いやいや、毎年2月の寒さは特別だ!
そして、こうした時期に美味しくなるのがなんと「卵」。とにかくトリも栄養を貯えようと餌をいつもより食べるので卵の栄養がパンッ!とあがるそうだ。
直接の知り合いではないが、友人が伊豆に住んでいる友人という人が撮影したとしうスーパームーンの写真を見せてくれた・・・
ああ!なんと幻想的な・・・感動です。
こうした壮大な風景を見てしまうと巷でゴタゴタもめていることなど一瞬、忘れてしまう!
有難うございます。
心が澄んでいくようです。
まだ継続中である。大相撲の元横綱日馬富士が貴ノ岩に暴行を加えたとされる問題が長引いている。なんでも鳥取県警は日馬富士を傷害容疑で書類送検する際、検察に起訴を求める「厳重処分」の意見を付ける方針を固めたという。貴ノ岩が被害届を出していることや怪我を総合的に判断した結果らしい。
しかし、貴ノ岩がスマホをいじっていたというのは事実のようだ。しかし、注意を受けた後に貴ノ岩は日馬富士の目を見て謝ったという。しかし日馬富士は貴ノ岩が睨みかえした、だから暴行となった?!・・・このあたりの言い分が全く分からない。
こんなこと、理解不能な怒り?毛嫌い?拒否ってよくある。
昔、ある男性が部下の男のことが「気に入らない!」と言う。どうしてかと理由を聞いたところ「瞳のコンタクトレンズが見えるのが気持ち悪い」?と訳の分からないことで、その部下を徹底的に拒否していたことがある。私はコンタクトレンズののった瞳をじっと見たこともないのでそのあたりのことが分からないが、何とも理解不能であった。未だ分からない。
最近では若い人々が会議中の記録はほとんどパソコンであり、打ち合わせ中もスマホをいじり続けている人々が多い。ちょっと前まで、違和感でしようもなかったが、最近は慣れてきた。最近では相手の話などをメモする時にノートに書くというのは意外とないのかも知れないな。会議中にスマホをいじっている事さえ、「フツー」の事になっいてる。
写真だってほとんどデジタルである。ネガだとか、「焼き増しお願い」なんてことはあまりない・・・死語である。過去の話である。そんな世の中を「よちよち」という表現がピッタリなほど、妙にハザマにいる自分を感じる。
一家に一台、パソコンがくる時代も間もなくであろう・・・なんて記事を書いていた時代があった。FAXが導入された時、相手側に書類が到着したかどうかの確認で電話する人が大勢いた時代があった。なかなかつかまらない上司が公衆電話のような大きな携帯電話を持たされ、重役のクルマには電話があった。そんな中でコンパクトな携帯電話を所有した時は妙な優越感があった。しかし、すべて過去の話で、今思えば信じられないことだらけである。笑ってしまうほどだ。
今、山ほどの紙焼き写真を見ながら、デジタル化してしまおうかと考えもするが、果たして、クラウドにあげたとしても、それが未来にどう繋がるのか?このあたりがはっきりとは分からない。
人は必ず「終わり」が来る。その時のIT遺産の処理ほど面倒なことがあるか?と最近は強く思う。
「年賀状はせいぜい100枚くらい、人生の最後は段ボール一つというのも悪くないな・・・」そういった仲間がいた。
思えば裸で生まれて死ぬときも裸だ。
すっきりさっぱり。
そんな終わり方がいいなと思ってしまう今日この頃である。
郷土史研究家の伊藤榮洪先生の大親友だったSさん。高校入学の時から「気が合うなと思ったよ」と、追悼インタビューの時に語ってくださった。
そのSさんが今年の夏、大親友の伊藤先生を追いかけるようにして亡くなってしまった。本当に追いかけて行ったという感じだ。一年も経たないで・・・
私たちは、いつまでも信じられない気持ちを引きずっていた。
生前親しくさせていただいた方々とご自宅にお線香をあげにいった。遺影のSさんは、相変わらずダンディーで屈託のない笑顔だった。
奥様が紅茶をいれてくださり、そして「最期は、え?・・・というほどにあっけなくて。静かに息を引き取りました」と。
あの追悼インタビューの日。「今日は、伊藤の事をなんでも話しちゃうよ~」と笑っていたSさん。
静かに静かに天にめされた。
きっと、栄洪先生とまたワイワイと話しているのではないかって・・・そう思う。
帰り道、桜並木の道にはらはらと落ち葉が舞い散っていた。
「大好きだったんですよ、この道が」と奥様が呟いた。
Sさん!どうぞ安らかに。
今夕は仲間たちが出版記念PARTYをひらいてくれた。多くの人が集まってくれた。会話が弾んで、美味しいワインに酔いしれる。いい仲間たちに囲まれる、そんな幸せ。創作動機についてしっかりと説明致しまして・・・ああ夜は更けて・・・。