2022年8月7日。
立秋です。
瞬く間に!と思うほど、時が経つのが早い。
いよいよ「残暑お見舞い」となる。
立秋とは中国や日本で使う暦。
例えば英語で表す言葉は・・・ないけど・・・
the beginning of autumn
秋の始め
the first day of autumn
秋の最初の日
明日は猛暑ぶり返しらしいが、8月と9月を乗り切ればね!

2022年8月7日。
立秋です。
瞬く間に!と思うほど、時が経つのが早い。
いよいよ「残暑お見舞い」となる。
立秋とは中国や日本で使う暦。
例えば英語で表す言葉は・・・ないけど・・・
the beginning of autumn
秋の始め
the first day of autumn
秋の最初の日
明日は猛暑ぶり返しらしいが、8月と9月を乗り切ればね!
先般、仕事で世話になっているデザイナーが「豊島園」駅近くに越したのでその祝いも兼ねて出かけた。
「吉田さんの言っていた〝萬月〟というお蕎麦屋さん、ありますよ~」と言ったので「じゃあ、そこへ」と。
懐かしい・・・街並みはだいぶ変わっていたけれどいろんな記憶を手繰り寄せてみる。
古代食研究家の永山久夫さんの書籍の事で一時通っていたことがあった。その時に息子さんが蕎麦屋さんを開いたと聞き、すぐ行ったかと思う。
一雨あって、帰る頃に、開店したあの日から17年経ったと聞いた。そして「このコロナ禍は本当に大変です」とも聞いた。
このコロナの3年間・・・いや、いつまで続くのか?このコロナ時代は本当に全ての人々が!全ての事が!アンラッキーなのである。
蒸し暑さの中、駅まで過ぎた時間とこれからの時間のはざまを「こんな気持ちで歩いているんだ」と妙に噛みしめてしまった。
あっ・・・
まだ各駅停車がホームで待っていてくれた。
もう、いろいろな事で世間が騒がしい!
人々がはっきり言って。。。五月蠅いほどだ。
そんな中「そんなこと言っていたら、何にもできないじゃない」と言われそうだが、昔から言われていることには深い意味がある・・・と思う。今年は7月20日から8月6日。そう、今!暑い夏。土用期間中は禁止とする風習がある。土用だから丑の日は鰻~なんて単純なことではなくてねぇ。
先ずは「土を動かすこと」
土いじり・草刈り・地鎮祭・井戸掘りなどは古来より、この土用期間中は『土公神どこうしん(土を司る神様)が支配する期間』と考えられている。土動かしを行うと、土公神からの祟りをうけて、災厄が身に降りかかると考えられていたようです。昔はお葬式があっても、土用の期間(18日間)が終わるまで、お墓に埋めるのを待っていたそうです。意外としちゃう人、多いんですよね。
土いじり
草刈り
草むしり
地鎮祭
建築の基礎工事
造園
穴掘り
井戸掘り など
そして「新しいこと」
転職
就職
結婚
新居購入
開業
土用とは、それぞれ季節の変わり目健康でいるには、季節の動きに合わせて生活を守ることが大切。体調に気をつける必要があったということだろう。つまり土用期間には「新しいこと」は避け、静かに過ごしたほうが良いとされていた。土用は季節の変わり目であることから、体調も崩しやすく、気持ちも不安定になりやすくなるから「移動すること」は避け、静かに過ごしたほうが良いとされていたようだけどね・・・
でも「間の日」というのがあるから令和時代はやはりいろいろ考えながら動いていかないと!。
電気代だガス代だといわゆる光熱費。請求金額を見て、「ええーっ?」と腰抜けそうになったのは数か月前か?それから世の中、節約術だとかもろもろの企画が始まっている。レギュラーで依頼しているコーヒー豆。この金額を見て、やはり腰抜けた!とんでもない値上がりだ。ふっと「嗜好品」という言葉がアタマの中をグルグル回る。そう!嗜好品は無くても生きていけるんだよ~そんな声も自分の中にこだまする。当たり前のように嗜好品にすがっている日常生活はやはり変化しているのだ。円高差益還元セールなんて籏がひらひら舞っていた時代を超えて、とんでもない昔々の記憶に吸い込まれていく。「舶来品」という言葉で親たち超特別扱いしていた時代だってあった。その時代には「到来物」もあったなと・・・ふっと思い出す。
東京は気温が35度だという。体温並みの気温って?という夏もいくつも過ぎていつた気がする。イングランドでは40度を超して、一般家庭へのエアコン普及は少ない?とニュースが流れている。
猛暑が続と人の行動はやはり緩慢になるようだ。実に静かで・・・何かを言い出す人はかなりの体力と知力を保存していると思う。気がつけば暑気払いだ!と勢いつける人だっていない。
第7波に入ったといわれるコロナ感染。本当に身近な人々も感染して日常生活に影響が出てきているのを見ると・・・これが新しい価値観の変化到来?なのかしらと最近つくづく思う。仕事関係の方がコロナ感染して、10日間の自宅待機、時間が過ぎても体力が戻らない、厳しいというメールが届いて、何度も読み返してしまった。ひとつメール書くと、とんでもなく疲れるという。決して無理はしないでというものの、やはり、自分の体力限界も感じる。当たり前に感じていたことが全てゼロに近くなると・・・本当に動揺もする。
人生タラレバはないとしても・・・コロナウイルスの感染がなければ2020年東京オリンピック!から始まって日本はもとかしたら狂乱していたかも知れないな。直接関わってもいないが・・・あーこーだーと過ぎた事を評価してしまう。それくらい未来予測がしにくい?そんな時代なのか?
曽野綾子さんの言葉にあった「人生足し算で」というのがやけに心に響く。
朝一で夏のイベントのリサーチのために雑司ヶ谷へ。富士フイルムの発祥が雑司ヶ谷だった‼という事はあまり知られていない。母体となった「東洋乾板」の創業者である高橋慎二郎氏の孫の高橋俊之さん、そして雑司ヶ谷について詳しい磯田さんとともに歩く。工場跡は今、大規模な道路工事の現場となっている。そもそも雑司ヶ谷という土地に工場を作ったのは第一に「水の良さ」であったということ。今では全く想像も出来ないが・・・今後、また大規模に手わいれられて開発され、街が姿を変えていく。何れはなくなっていく家々の壊れた塀の近くに井戸のポンプがあった。昔々の風景は巨大な開発開発に波に飲み込まれていくのだなと。
■日本の写真の歴史 「東洋乾板株式会社」とは?
日本写真の歴史は幕末に輸入された湿板写真で、これが幕開けとなり写真技術の発展となる。明治16年にイギリスから乾板写真が輸入されるものの高温多湿に日本において乾板の工業化、事業化は難しいものであった。そんな中で乾板製造に成功、大正8年に「雑司が谷」でわが国における写真用乾板の工業化に先鞭をつけたのが東洋乾板株式会社(創業者・高橋慎二郎)である。写真フィルムのフィルムベースからの一貫生産を企図し、研究にチャレンジ。長期間にわたる研究を重ね、開発に成功。富士フィルム設立の直接の母体となった。
▼8月「としまの記憶」雑司ヶ谷編「聞く」(8/6)
https://toshima-kioku.jp/zoshigaya-event4/
「富士フイルムの発祥の地は雑司ヶ谷だった!」おはなし会
猛暑という言葉では足りない・・・この暑さ。まだ6月である。明日、関東では熊谷、伊勢崎、館林などは40度予想が出でいる。こうなると「熱波です」と気象予報士がニュースで語っている。ウクライナ戦争の影響からいよいよ電気料金がアップする。この暑さの中、クーラーをつけなければとても過ごせない。只管、プラグを抜いたりとしているものの、冷蔵庫や水槽などは抜けない。無駄遣いをやめようと小学生のように自分に頷いた。明日、東京はもっと暑い?一体何度になるのか?用が無ければ外歩きは控えたほうがいい。もう熱波地獄だから。
電力需給の逼迫情報が流れています。
あまり考えないようにしていますが・・・35度超える暑さです。
覚悟して外歩きしていますが、やはり異常です、この暑さ。
2025年に太陽のフレアが変化とかなんとか?見出しだけ見ましたが、あまり深く追求するとおかしくなりそうなのでやめときます。
エアコンは使えとは言っていますが、日本も電気代は凄い・・・
まだ6月ですよ。
というのに梅雨あけたそうです。
今年の夏はかなり!かなり!暑いらしい・・・今からエアコンのチェックをとか聞くが在庫もないとも。昨日今日も暑かったが、9月までのイベント企画を纏めて、無事に終わるのだろうか・・・と今。感じていない暑さを感じる・・・