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‘ichiko’ カテゴリーのアーカイブ

嘘と真実?

2025 年 1 月 20 日 月曜日

嫌なニュースが今日も流れていた。

昔、そのある意味、その巨大なグループに属していたからか?。そのテレビ局の社員さんとはメディアミックスということでよくプレゼンもしたなとか、社員さんの結婚式にも参列したこともあったし・・・何なのだろう?この嫌な嫌な気持ち・・・

「嘘は常備薬 真実は劇薬」・・・そんな言葉を思い出した。

ただ素晴らしい仲間たちとの思い出や、年賀状のやり取りの中、変な気持ちは払拭したい‼それだけである。

親友の作った焼き菓子

2025 年 1 月 20 日 月曜日

奈良県に住んでいる学生時代からの親友から焼き菓子が送られてきた。彼女の事だから、材料一つ一つ、吟味されて作られているお菓子。あっ‼と感動で一杯になって言葉が出なかった。昔から、いい加減な私とは違って、正確に作る彼女のお菓子。とくにプリンなどもう‼格別だったな。

彼女の人生もいろいろあったと思うけれど・・・長い手紙を読みながら、何回も読みながら、高校の時の文化祭で校内中を走り回ったことも思い出した、一体、何を探していたのか?・・・ふふふっと笑みがこぼれた。

いつも思っているからね‼

月日

2025 年 1 月 17 日 金曜日

月日の経つのは実に速く・・・1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から30年が経った。建物の倒壊や火災が相次ぎ、避難生活の長期化で体調を崩すなどした「災害関連死」も含めて6434人が亡くなった。

大阪本部でいつも出張時にはお世話になっていた方も亡くなってしまったことを思いだす。本当に心がいたむ。

2025年・・・なんかいつもと違う

2025 年 1 月 16 日 木曜日

言い方は変なのだが、気持ち的には既に2025年は3カ月ほどたってしまった感覚である。年末から年始にかけての何ともいえぬほどの気ぜわしさ(笑)1月でけでカレンダーの見間違いをこのところ2回もしてしまった。変だよね~(笑)

いろいろな変化?は私だけでなく、知人、友人でも経験している。だからこそ「話したい」の声が続々である。2025年・・・なんか違うよ。

立春まで静かに見守る事にしよう。

減り続ける年賀状

2025 年 1 月 9 日 木曜日

昔?では考えられなかったが、本当に今年の年賀状は少なかった。その中でやはり‼年賀状じまいというか、「しまう方」が多い。

しまうと・・・相手がどうされている?は全く不明になる。LINE全盛時代はLINE到着の報せ音がポンポン聞こえておしまいである。「今年も宜しく」スタンプで溢れる。

人間関係っていずれは終わるものなのだということが最近は強く感じる。例えばこのブログにコメントされたかたも連絡が取れなくなれば・・・ああ、もしかして?そうなのかな?と類推するしかない。

そんな中で、私自身が年賀状を久しぶりにだしたものだから、親友から「忘れ去られているかと思っていた」という返信がきた。慌ててお詫びとともに最近の仕事の資料など(相手はいらないかも知れないが)送って手紙を書いた。ふっと高校時代の「文化祭」の時の事を思いだして、クスッと笑えた。そしてもっと前の試験前にそれこそ自宅の固定電話で長~い電話をして親に怒られた事なども思い出していた。

年々、減り続ける年賀状。切手代のアップの理由の一つだし、個人情報ですからっ‼というきつさのの中で住所が分からないというのも理由の一つだけど、そんな中にあって「その人」の息遣いや声や想いが年に一度でも届くなんて、昔は思わなかったけれど「宝物」じゃないか?という気持ちは強い。

最後の1枚でもいいな・・・受け取りましたという返信があれば。。

春よ来い

2025 年 1 月 4 日 土曜日

何か、不思議とざわざわと落ちつかない?というかうまく表現できない感覚でいたところ、陰陽五行を学ばれた方からのメールに「1月5日から2月節分までは「丑」の月になります。辰、未、戌、丑は、春夏秋冬の土用で、季節の変わり目なのです。季節の変わり目は、準備の時なので次の季節に移行するために、断捨離したり、準備、計画を立てると良い時なのです。特に、今月は次年度の準備期間で静まった収蔵の冬から新芽が動き始める春の端境期。新芽だけではなく世の中も物事が動き始めようとするのです。」とあり、ああ・・・この感覚か・・・と思った。その一歩が立春で「春よこい」のみいちゃんが歩き始めて・・・という意味がしっくりくるそうだ。つまりはじめの一歩の立春が重なということ。このざわざわ感。分かってほっとした。

思い出す 能登のこと

2025 年 1 月 2 日 木曜日

能登の地震から1年。いろいろな画像を見るたびに。能登を訪れた過去の時間が戻ってくる。胸が締め付けられる。そして辛くなってくる。

目に映るすべてのものがキラキラと輝いていた時間だった。輪島までの列車の中でのときめきは未だ奥のほうで脈打つ。

輪島塗の凄さ、あの迫力に負けそうになった。「手鏡が欲しい」と思ったがあまりの高価さに「また今度」と自分に言い聞かせていた。

地震はいつ、どこで発生するのか?未だに分からない事が多いと聞く。日本列島の地図を見ながら、「しようもないよね、この列島は」と思いながらつぶやいてしまう。

今年2025年もまた、元気にそして、人々の役に立つように過ごしていこうと思っている。

2024年の大晦日に

2024 年 12 月 31 日 火曜日

いろいろ、たくさんありました‼

多くの出会いがありました。

多くの別れがありました。

元気でいることと優しさで満ちていること

それがすべてだと思います。

2025年も‼

宜しくね

2024年の年末です

2024 年 12 月 30 日 月曜日

時間の使い方・・・これじゃいけないよ‼と思っていながらも時は着実に過ぎていきます。早いです。2024年12月30日です。秋ころからのミルフィーユの如く積み重なったイベントをこなすだけで息切れがしていました。締め切りに追われれればイライラもしました。しかし、まだ体力あるなとは思いつつ・・・本当に本当に2025年は反省しちち生きていこうと思います。

29日に仕事関係の女性と密かな(笑)忘年会をして、2024年の「あ゛ーっ」という問題をすべてぷちまけて本当にすっきりした年末でした(笑)少しは成熟した大人にならないとねぇ・・・今更だけど。

和子さんからの一枚のMESSAGE

2024 年 12 月 26 日 木曜日

先般「ありがとう 和子さん」というタイトルでブログを書いた。どうもまだ彼女の「死」が分からない?理解していない自分がいる。理性とか感情とかいう分野ではないところで「不明」なのだ。

師走で、先般、書棚等の整理をした時に、本と本の間か?ひらりと紙が落ちてきた。「何だろう?」と思って見た。そして読んだ・・・

2002年12月6日の日付だった。いつ日だったか?何があったのか?全く覚えていないが、実母がクモ膜下出血で本当にあっという間に亡くなった後か、和子さんに話をしている。毎日毎日仕事で忙殺されている中の母親の突然の死。自分はしっかりと親孝行ができたのだろうか?と悩む私が和子さんと話した日があってその後に和子さんが自分にもあったさまざまな事を書き記してくれていた。それはそれは・・・眠れない日々の事も書かれていた。

今、あなたは「永遠の眠り」の中。

本当に仕事に打ち込んだ姿、そして微笑みをのこしてくれた。

多くの女性たちの背中をおして、再び「社会」へと羽ばたかせてくれた。

本当にお疲れ様でした。

そして、有難うございました。

あなたの「MESSAGE」だったね。

安らかに・・・