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7月, 2015 | ichikoTV ichikoTV

2015 年 7 月 のアーカイブ

先ずは何をどう伝えたいのか?考えてから

2015 年 7 月 31 日 金曜日

敢えて・・・電子メールとか画像もヒャッとパソコンで送れる生活にどっぷりしているのですが、「としまの記憶」をつなぐ会の会員の皆様は殆どがパソコンをおつかいのはならないご高齢の方が多い。「ではファックスは?」と聞くと、たいがいが「壊れているんでねぇ」とくる。ということで連絡の手段としては便箋、封筒、返信封筒・・・といった類を駆使している日々である。「はあ、そうですか」と、いとも冷静に仰る方は多分、このあたりの事情をよく実感していない方々でしょうと。便箋を前に、所謂。手紙が書ける人つて最近はかなり希少価値だと思いますよ。もう特別記念物に近いかも知れない。

ラインってそもそも、意外や、女子高生あたりにうけ、その母親とのやり取りに使われたのが最初の頃の事象。男性、男子は固唾を・・・。「よし!」というまでには時間がかかったもの。今では当たり前の世界でも、どうも女という性は保守的というより、挑戦力があるように思える。

「吉田さん~」と直接、携帯電話をかけてこられるのもたいがいが高齢者の中でも女性である。相手がどこでなにしてようと構わず、「吉田さん~」はかなり多い。しかしもこれは連絡手段には甚だ遠く、結局は便箋に手紙を書いて、ものを頼む場合は返信封筒を入れて・・・ということになる。

 

そして、メールでも、ショートメールの場合は文字数が限られているので、何度も何度も笑い出しそうなほどにメールが飛び込んでくる。

いやはや!なのである。言いたいこと端的にまとめ、分かりやすい文章がほしい。ただ、それだけである。

 

『はがきで綴る戦争の記憶-千の証言展』

2015 年 7 月 30 日 木曜日

今年は戦後70年の節目である。

8月8日(土)まで日比谷の第一生命ギャラリー(千代田区有楽町1-13-1 DNタワー21)で『はがきで綴る戦争の記憶-千の証言展』が開催されている。

これは、戦争や戦時中の体験を次世代に伝える「千の証言」プロジェクトがすすめたもので、毎日新聞社にはこれまでに1000通を超える証言が寄せられたそうである。

一人一人が戦争と向き合わざるを得なかった時代。「あの戦争とは何だったのか」という疑問だけが残るが、証言を記したはがきや関連する品物、写真、映像、取材記録を冷静に見るだけで戦時下を人々がどう生きたかが分かってくる。時間が少しでも空いたら是非。

 

展示の一部

・終戦後1年間、密林で生活した兵士の手記

・戦時中に交し合ったラブレター

・神風特攻隊員が家族に残した遺書

・真珠湾攻撃と終戦の日の毎日新聞紙面(後に作家となる井上靖が執筆した記事も)

・大分県の海軍士官専用の料亭「なるみ」に残された士官たちの書

■第一生命ギャラリー アクセス

http://www.dai-ichi-life.co.jp/dsr/society/access.html

 

冥福

2015 年 7 月 29 日 水曜日

月日とは残酷にそして実に冷静に去っていくものだ。

8月近くなると思い出す。1985年の日航ジャンボ機墜落事故から30年もの月日が経つのだ。

事故の4カ月後に遺族の方々が発足させた「8・12連絡会」が、遺族の手記をまとめた文集「茜雲」(本の泉社)を出版した。悲しみ、空の安全への願い…何よりも失った家族への強い想いが綴られている。一文字一文字に強い気持ちがこめられている。

そう、あの日・・・新聞社の社内での緊張した時間が静かに過ぎた。その緊張の空気に走ったなんと表現の出来ない騒がしさ。今も思い出すと身体が震える。忘れてはいけない日。

確か、当時、社内らき「なるほど・ザ・クーポン」といかいうマシンが運び込まれていて、・・・今ではその仕組みは実にたどたどしい様子ではあるが、そこに速報を流すことをした。事故の様子を次々と流していく。緊張で身体が強張っていた時間だけが流れた。

池袋プロジェクト 順調です

2015 年 7 月 28 日 火曜日

朝一番から立教大学で全体会議。9月に開催される戦後70年企画。展示をはじめいろいろつまってきた。しかし、9月はまだ残暑厳しい日々。台風などこないことを祈ったり、熱中症への注意喚起など、どうも細かいことばかりがきになってしようもない【笑】いよいよ明後日記者会見である。

しようもない・・・

2015 年 7 月 27 日 月曜日

ニュースで知った時、本当にビックリした。調布飛行場を離陸直後の小型機が住宅に墜落。そのおうちというのが何と一週間前に引っ越されてきたばかりだという。何という悲劇が・・・と言葉もない。

飛行目的は操縦者の技量を維持する「慣熟飛行」と届け出られていたそうだが、どうも禁止されている「遊覧飛行」の可能性があるらしい。その初めてきいた慣熟飛行とは操縦免許を持つ人だけが乗り、操縦を交代しながら飛ぶことらしい。しかし今回、免許を持っているのは川村機長だけだったという。

今回、亡くなった同乗者の1人は友人たちと伊豆大島へ日帰りフライトに出かけると親族に伝えていたらしいし別の同乗者の1人は雑誌などの撮影を手がけるプロデューサーだったというではないか。

日曜日の昼、家族でのんびりとした時間を過ごしていただろうに、何故?と思ってもしようもない。これから、根掘り葉掘りの取材でいろいろなことが露呈されるのだろうが・・・人生のまさか・・・に会ってしまった方のご冥福を祈る。

 

隅田川の花火に酔いしれる

2015 年 7 月 26 日 日曜日

隅田川の花火大会。気の置けない仲間と集まって花火鑑賞というのが恒例行事になっている。ドーンとカラダの中を響き渡って行くような花火。この夜の為の花火師の人々の努力が一瞬の歓声とともに夜空を彩るのである。

しかし、毎年毎年、高層のマンションがたっているのではないか?と思ってしまう。以前、浅草に事務所のある某先生の事務所に皆で集まる事があった。「ここは花火大会の時が最高だ」というキャッチフレーズのマンションであったが、まさにその花火そのものが目の前に建ったマンションで完全に消されてしまったのだ。それから何年か・・・暫くこの日にお邪魔することがなくなった。

気の置けない仲間との真夏の一夜。ぎちぎちの縛りもなく、穏やかに出入り自由で、そんな花火が最高に寛ぐものだ。

 

 

戦後70年・・・・その時

2015 年 7 月 24 日 金曜日

今年は戦後70年という節目の年。それに因んで各所でいろいろな企画があるようだ。

豊島区は23区で初めて非核都市宣言を行った自治体でもあり、非核平和の実現に向かって努力をしている。そんな中で、戦争、原爆の恐ろしさを後世に語り継ぐ切っ掛けとして9月に「戦後70年豊島区平和展」が開催される。広島平和記念資料館、長崎原爆資料館からご協力いただいた貴重な写真や被災物品の展示の他、映像資料上映、豊島区戦時下の資料展示などもある。

9月の企画展ではあるが、開催要項は下記の通り。

 

【日 時】 9月12日(土)~9月16日(水)

9時~20時 (但し初日11時から。最終日は15時まで)

【場 所】 豊島区新庁舎1階 としまセンタースクエア

【入場料】 無料

【内 容】

●12 日:11 時から オープニングセレモニー

東京都原爆被害者団体協議会副会長・山田玲子さんによる 被爆体験講話

●13 ~ 16 日: 14 時から 被爆体験講話(約20 分間)

 

「としまの記憶」をつなぐ会では豊島区在住・被爆体験者の方々の証言ビデオを制作している。昨夜は中村一彦さん(86)の証言を大正大学のスタジオで撮影した。

長崎に原爆が投下された時学徒動員で魚雷を製造する工場に動員されていた中村さん。昭和20年8月9日の午前11時2分。中村さんが16歳の時だった。一瞬のうちに気を失っていた。気づいた時、魚雷台の下敷きになっていた。そして目に映るのは生き地獄だったという。「助けて」と言う女学生。柱に挟まれてもう助け出す事も出来ず。街々には「水を・・・」と求める瀕死の人々。中村さんはただただ線路沿いに歩く・・・、

「経験した者にしか分からない苦しみと哀しみがあります。核兵器は絶対にいけない。世界の平和を強くのぞんでいる」と。

ふっと手にした瓦礫の中の浦上天主堂の瓦。「戦後70年、どんな時も自分の身体の一部でした」と語った。

油井亀美也さん ISS到着

2015 年 7 月 23 日 木曜日

何とも嫌なニュースが多い昨今。ロシアのソユーズ宇宙船で国際宇宙ステーションに到着した宇宙飛行士の油井亀美也たち3人の飛行士がいよいよ約5カ月間の長期滞在を開始した。安倍総理が「中年の星」と油井さんの事をいっていたが、強靭な体力と精神力そして弛まぬ努力をされてきた方だと思うと、期待にむねもふくらむものだ。

粉飾

2015 年 7 月 22 日 水曜日

チャレンジ・・・素晴らしい言葉である。これまでに何度使ったことか分からないほどである。

しかし、日本の一流企業の恥部が明らかになって、日々、ニュースでながれているのを見ると、その組織の人、社員は如何に辛い時間があったのかと思う。

 

東芝に対する第三者委の報告書では利益水増しの内訳が明らかになり、トップが「チャレンジ」と称し収益改善目標の達成を部下に迫る「利益至上主義」があったことが分かった。

業種は違うものの、私もサラリーマン生活を数十年送った。「組織人として」という自覚は常に持っていた。資本主義社会では利潤追求は当たり前の事とコマのように働くということに何の疑問もない時代があった。

東芝に於いて、上司の意向に逆らえない「社内風土」。いや、東芝だけではない。上司に逆らえば・・・次の展開が待っている。サラリーマンであれば誰でも分かる事だ。

2008年度の決算で半導体事業が低迷し3435億円の最終赤字を計上した東芝。この背景にはリーマン・ショックの影響が大きかった。しかし、あのショックは東芝だけではなかった筈。

トップがなぜ利益水増しを働いていたのか?三代までさかのぼるらしい?あまりにも時間が経ちすぎているではないか。

 

ありのままに

2015 年 7 月 21 日 火曜日

まだまだ・・・と思っていたら7月も後半に近づいている。今年12月の神楽坂女声合唱団のチャリティーディナーショー。今年、果敢に?挑戦する曲は何とも難曲揃い。意外と簡単そう・・・と楽譜を眺めているが、いざ歌ってとると何とも難しい・「あああ・・・やっぱり基本が出来ていないんだぁ~」と実は叫びたくなる。大好きなカラオケとは違う世界。それが“合唱”。今年は、難曲の中でも・・・「ありのままに」を歌いますよ~もう、ありのままにいくか・・・