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‘ch08.旅’ カテゴリーのアーカイブ

北八ヶ岳へ

2023 年 8 月 11 日 金曜日

北八ヶ岳に登る!佐久平から。森を抜け白駒の池へ。本当に美しい静かな池だ。しかし北八ヶ岳がこれほどに、苔の種類が豊富とは!ただただ感嘆!高見石から麦草峠へ。

夜中の二時頃に夜空を見上げる。漆黒の闇に、手に届きそうなほどの星が。満天の星を見つめ考える。うやむやした事などもういいな!前方へ進めと。この星たちの囁きが聞こえる。

絶対に宇宙飛行士にはなれないけれど、宇宙船から地球を見たら、どんな価値観がうまれいずるのか?と。流星群を見続けると、全ての負の感情さえ流れていく。まして、星たちと混じって地球を見たら!?

ひたすら登る
巨木の命を感じる
静かな白駒の池

八王子城跡に登る

2023 年 7 月 2 日 日曜日

朝から八王子城跡に登った。前田利家との関係を確かめたい事があったためだ。山道は急峻な部分も多かったが頂上は実に見晴らしもよく、梅雨の間の五月晴れをカラダ全体で感じとる。この城が難攻不落であり、どんなにいい城であったかが分かる。しかし・・・歴史とは悲劇そして悲劇の積み重ねだ。今の私たちには決して想像しかできない世界が繰り広げられている。一夜で落城。何故か?番狂わせというのだろうか?運命っていうのか?

あまり好きではない戦国武将の秀吉の思惑というか、一言がどんな気持にさせたか?私にも少しは分った気がした。分ったあたりから纏めていこう。

山頂からの見晴らしは素晴らしく、梅雨の間の五月晴れ!

「総会」無事に終了!ほっ

2023 年 6 月 17 日 土曜日

活動しているNPO法人の団体の第11期「総会」が終わった。活動報告書の作成、決算、予算書づくりから始まり何とも、時間を刻み続けてきた。ああ!「終わった感」!である。

その後に、上映会を実施した。メモロジャパンとはこの度、合同で活動していくプロジェクトを組んだ。現在600本あまり。私たちの動画画像とあわせるとゆうに1000本は超える。とにかく「記録と記憶の出合」を常に念頭において活動は地道に進めていく。

●メモロジャパンが上映したリスト

1.子供の頃の高山祭の思い出

2.B級戦犯裁判の記憶

3.幅田久米次郎影絵と私① 影絵との出会い

4.幅田久米次郎影絵と私③手影絵の楽しさ

富士山はやはり美しい

2023 年 4 月 9 日 日曜日

4月8日の風の強さといったら・・・

こんな冷たい強い風を山でうけたら、かなり危ないと思うほど。

下田に到着し、堂ヶ島に向かう間もその強さは変わらなかった!

あ~体力奪われるよ!と感じるほどの風の力。

翌日9日は何とも晴天がひろがっている・・・

思わず「おお!」といってしまう空と海。

堂ヶ島から土肥に向かう時、富士山の姿か!言い方変ですが(笑)登るとその美しさは感じないが、富士山って遠くから見るとなんて美しいんたぁ!と感動する。謙虚なこの美しさ。多分、富士山以外にはないな。

ふっと・・・海

2023 年 4 月 4 日 火曜日

仕事柄どうしてもデスクに向かって背中を丸めている時間が長くなる。取材でヘトヘトになるくらい歩き回っていても、いざ執筆作業となるとやはりウルトラ猫背。肩こりもしようもないと諦めている。

ふっと・・・デスクの前に飾ってある二枚の写真。写真家のAさんの作品だ。それは明け方と夕暮れの海。ゆれる波、太陽の光。海って一日にこんなにも姿をかえるのか?と思うほど。撮影場所を聞きいた時彼が「江の島」と言った。かなり驚いた。江の島のイメージは・・・ないな。というのも私たちがよく観光などで行く江の島の海、観光スポットとはちょうど反対側?。表情がこんなに違うとは・・・しばし見ていると波の音が聞こえてくるようだ。

学生時代にカメラ肩にぶらさげて日本海の写真を撮っていたことがあった。海は寡黙な時も饒舌な時もある。しかし、どうも太平洋と日本海は違うなと自分では思っている。ミ北海道の積丹半島で見た海の色も忘れられないし、鹿児島から直ぐの甑島で見た海のキラキラして表情もいい。それぞれの表情を見せる海が私はたまらなく好きだ。

2022 年 5 月 14 日 土曜日

タケノコの美味しい季節だ。新鮮なものは刺身で、煮ても焼いても炊きこんでも美味いタケノコ。

昔、この季節になると山ほど山口県からタケノコを送ってきてくれる友人がいた。いつの日か今か今かと新鮮なタケノコを待っていたのだが、ある年に届かなかった・・・そのまま気にせず時間が流れたがもう一人の友人が「全く連絡がつかないのよ」と連絡してきて、いろいろ私に訊ねたが全く消息不明。現代の「独り」というのは、本当に連絡がつかなくなったら、全く前には進まないのだ。行政は「個人情報は教えられません」と一点張り。これこそ全く前進しない。電話だメールだなんだかんだの方法も全く役立つないことを知る。

東京にきた時は必ず、友人のオフィスにより、そこでみんなに料理を振る舞っていたと聞き、もっと遡れば、そう20代から彼は山仲間だった。電話口で焦っている友人の口から「幼稚運の園児にタケノコ堀りとかいろいろ教えているともきいた」という中から私の頭の中に「幼稚園」という彼のイメージとは結びつかない言葉が響いた。

何れにしても事態は尋常ではないのだ・・・

不思議と言えば不思議である。いつも自分が不思議だと思えるのはこんな時。ふっと地図を広げ、そして地域の中にある幼稚園を3つ選んだ。

最初の幼稚園では「知りませんね・・・」と呆気なく。そして次の幼稚園に電話した時だった。本当にこういうことがあるものか!と思った一瞬だった。たまたまか、必然か?電話口に出たのは園長先生で、私の口から「Nさん」と彼の名前を出した途端!「わぁー」という響きと興奮にも似た焦りの声が聞こえた。「今年も園児たちにタケノコ堀りを教えてくれる予定だったんだす!」と。その後はいろいろな経緯と「死」という事実を教えてくれたのだ。しかし現代の「独り」というのは本当に本人がいなくなってしまうと全く手も足もでない。納骨されたのであれば寺か?また、地図を見ながら川筋を見て、「教えて教えて」と思い、何故か北方向にある寺に電話をしてみた。その瞬間だった。また電話口にご住職が出られ、驚き、彼の「~家」の話を始めた。私はひたすらメモをとった。

何かに揺り動かされて、知らされて・・・友人に電話で連絡して事情を伝え、菩提寺を教えた。電話の向こうで彼女はとても驚き・・・そして泣いた。

20代の頃は、夏になるとふた山くらい登り、高山植物の好きな彼は、花たちを写真におさめた。若い時代の私たちは「近くにこんな綺麗な花があるのにぃ~」と言って彼をからかいながら燥いだ。

5月・・・この季節になると〝あの時〟から毎年毎年、夏山に登った時のこと、そして届けられた荷物にある彼の文字を思い出すのだ。5月に届けられたのは「タケノコ」ではなく・・・なんか「筍」だった気がする。

記憶の遺産ツアー 雑司ヶ谷編

2022 年 5 月 9 日 月曜日

2022年5月7日(土)にアップする筈であったが、散策解散後に一杯・・・ではなく二杯と進み、(笑)。本日アップします。

5月7日にと実施した、としまの「記憶の遺産ツアー」雑司ヶ谷編(豊島区国際アートカルチャー特命大使 SDGs特命大使自主事業)。

この日は、とにかく、天候が気になって午前4時には起きていた。まあ、早朝は雨がたたき打つように降っているではないか。特殊能力でもない限り、とても止められない~と思い、他の用事を始めた。低気圧ってすごいなと思いながら、雨に濡れた樹々も美しいだろうと思う。

午後12時に護国寺へ到着。久しぶりだなあと思い、昔々、小学校の時にこの停留所で降りて、学校へ歩いた日々を思い出す。街並みもビックリするほどの変貌ぶりだ。当たり前か・・・

12時半過ぎるころ、ぽちぽちと参加者の到着!名簿をとり、名札を渡す、大人の遠足?が楽しい今日この頃って感じで何か嬉しくなる。

この日、まわったコースは

護国寺仁王門集合➡清土鬼子母神➡雑司が谷七福神の「吉祥天」七福神①➡雑司が谷旧宣教師館(東京都指定有形文化財)➡雑司ケ谷霊園散策➡中野ビル・雑司が谷七福神の「布袋尊」七福神②➡仙行寺・池袋大仏、雑司が谷七福神の「華福禄壽」七福神③

仙行寺で集合写真を撮って解散へ。

次回、第2回目実施の「雑司ヶ谷編」は国指定の重要文化財・鬼子母神へ参る。御本堂への特別見学も予定しているが法明寺の「鐘楼」も特別見。実は、ここに驚くほどの歴史を発見がする。知っているようで知らなかった、そんな土地の文化や歴史を発見できるチャンス。「いつでも行ける」と思い、人間とは結局行かないもの。チャンスはその時にわおっと掴むとよい・・・と思う今日この頃。

◆6月4日(土)にまわるコースです!

都電荒川線「鬼子母神前」➡清立院➡雑司が谷七福神「毘沙門天」七福神④➡石橋記念供養塔➡大鳥神社➡雑司が谷七福神「恵比壽天」七福神⑤➡大門ケヤキ並木→並木ハウス➡未来遺産「鬼子母神堂」(国指定重要文化財)➡雑司が谷七福神「大黒天」七福神⑥➡消えた川〝弦巻川〟と焼けた〝仁王門〟➡雑司が谷七福神「弁財天」七福神⑦➡法明寺 蕣塚と鐘楼(特別見学)➡威光稲荷尊天

▼申込みフォーム

護国寺i 仁王門前に集合
5月はやはり緑が美しい 護国寺

歴史を刻む「法明寺」の梵鐘

2022 年 3 月 4 日 金曜日

先般、ロケで雑司ヶ谷歩きをしたが、江戸時代から桜の名所でもある「法明寺」がある。宥元年(810年)真言宗「威光寺」として開創され、正和元年(1312年)、日蓮聖人の弟子の日源上人により日蓮宗に改宗され、「威光山法明寺」となった寺である。その境内には酒井抱一が描いた朝顔と戸張富久の句が彫られた「蕣(あさがお)塚」や、曲尺、算盤、枡、天秤など度量衡の珍しい紋様が描かれた梵鐘がある。この梵鐘は第二次世界大戦の時の供出を免れたものだと聞いた。あの金属類回収令。武器になった多くの武器たち。暫く無言で梵鐘を見つめた。

雑司ヶ谷 鬼子母神へ

2022 年 1 月 4 日 火曜日

雑司ヶ谷鬼子母神へ。定期的に「雑司ヶ谷物語」というコラムを執筆しているのだが、その土地に未だ残っている起伏に想像もふくらみ、感動する。いつも頭の中ではジオラマの世界に憧れている。不思議なほどの興奮。多分、土地の起伏とまた、暗渠になった川筋にロマンが溢れるからかも知れないな。古地図と目の前の実際の風景との比較が始まると脳のどこかとんでもない部分で情動が生まれてくるのだろうと思っている。楽しい!空気は冷たいけど・・・青空が気持ちよい日だ。

有名な「すすきみみずく」も販売されていた

久しぶりに日光へ

2021 年 12 月 4 日 土曜日

久しぶりの日光駅。師走に入り、やはりきーんと張りつめたような寒さだった。男体山を見るとすこし雪景色である。

2021年・・・あっと言う間に師走となってしまった。とにもかくにも大きな「変化」の年、そして不思議体験。そこから見出した新たなTHEME。

今まで、見過ごしていたことに対して正面勝負した年だったことは確かである。さあ、この冷たい空気の中、一歩ずつ、歩んでいこう。

五重塔の「心柱」を見る。心柱は撮影禁止。残念!