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‘ch08.旅’ カテゴリーのアーカイブ

北斎と広重

2021 年 6 月 19 日 土曜日

梅雨といっても朝から冷たい雨が降り続いている。両国の「江戸東京博物館」の特別展「冨嶽三十六景への挑戦 北斎と広重」へ。時間指定はあるものの、会場は思った通りの混雑である。しかし意外と若者が多いことに驚いた。

北斎は今、大人気。先般は映画も観た。そして本日はそのホンモノの作品に触れる。声も出ないほどの発色!富岳三十六景「神奈川沖浪裏 、赤富士、そして黒富士では魂が揺さぶられる想いであった。

広重は人によって、いろいろ好みも多いのだが、広重遺愛の品(写真)を見て、「ああ、この人はジャーナリストだったんだな・・・」と感じた。私の直感である。旅枕、財布、袂落とし、煙草入れ、鯨の骨で作った脇差、掛札・・・華美さはない。質素な気風が広重そのものだったのかと。

ノート一冊用意して・・・

2021 年 5 月 19 日 水曜日

コロナウイルスが変異~変異で、拡大しているという。テレビニュースで「数字」は流れてくるものの、何か疑問ばかりが残っている。

周囲では「1回目のワクチンを打った」という人が誇らしげに連絡してくる。もう2回目を打った人なとせは恰も勝者!の勢いである。すごいことになったものだ。

仕事は真面目にコツコツ、着々と進めている中でも、これまで感じたことのない感覚がドワワッと時折押し寄せてくる。それはまるで、青春時代の「悩み」のような勢いである。不思議だと思っていてもとにかく、一晩眠ればいまのところ朝がやってくる。しかし、青春時代の悩みのようなもやもや感は消えない。

リモート便利~っとかいっちゃっている昨今。ある意味、今まで経験したことのない世界が日々繰り広げられている。もし、ネットというものがなかったら、人々はもっともっと不安に落ち込み、街にでも繰り出し、大声を出して「私はここにいる‼」とでも誇示していたのではないか?とも思う。私も気が狂うよ、多分。

全て・・・今の段階では・・・静かに見つめるのみか?それしかないからね。

旅がしたい!!今、そんな勢いが止まらなくなっている。パンフレット、映像でみても雑誌読んでも・・・青葉の眩しさ、風や波の音。じかに感じるしかない。でもねぇ・・・

一冊のノートに「行きたい場所」そして「どう過ごすか?過ごしたいか?」だけを書きだすことにした。全く順不同。北も南もない。今は「いつ」が不明だから「どこへ」「何を?」くらいで十分である。ノート一冊用意して、とりあえず書き出してみよう!

パソコンだとね・・・つい、仕事モードにスイッチ入るから駄目だ。あの大学ノートに・・・出来れば濃いめの鉛筆で書いていくこと!

よし!決まった(笑)






要は・・・後手後手キャンペーン

2020 年 7 月 20 日 月曜日

コロナウイルスの感染は多分、夏場になれば減少していく・・・もしかしたらそう思ったのではないか?と思う。なんでもキャンペーンというのには期間としいうものがある。東京発着抜いての発案。一言一言の度に唖然呆然。多分、いろんな人がなんとなくいろいろ考えて、その場その場でやっつけてきた後手後手の結果。しかし日本人も実に礼儀正しいな、まじめだな。暴動さえ起きない。その場限りではなくいろいろな立場の人の事を思い、少し後の事も考えて行動するって至極当たり前だと思うが・・・まあ、今年の夏の旅行は早春にキャンセルしてある。やはり正しかったのだと思う。

うっとり・・・

2020 年 6 月 26 日 金曜日

整理整頓していると結構膨大な量の絵ハガキが出てきた。メールが日住生活の術になってからというもの、実に絵ハガキにしても手紙を書かないことが多くなった。漢字もかなり忘れている。メールで作る文書はパソコンがいくらでも変換してくれるが、手紙の場合は忘れた漢字はかなり努力しないと出てこない。

膨大な量の絵ハガキ。先ずは「四季別」に。そしてその他は「雑」として分類した。植物は特に難しい。旬を知らないと分類できない。「雑」を見ていると・・・・心の中で弾けるものがあった。

エメラルドグリーンの海、どこのでも広がる砂丘の風紋、砂漠の真っ赤な夕陽、海深くに棲む生物、星雲・・・

なんてすばらしいのだ‼と思い、3枚選んで、額縁に入れて、仕事のデスク前と、デスク上に置いた。多分・・・なかなか行けないだろうが、この写真を撮ったカメラマンの視点にたつと涙が零れるほど感動する。地球の風景の美しさは掛け替えのないものだということが分かる。

ああ!旅がしたい!

締め切りとかメールの返事とか何も考えなくていい時間の波に乗って・・・旅がしたい。

筑波山から富士山を見る

2020 年 1 月 3 日 金曜日

昔から「西の富士、東の筑波」と愛称される筑波山へ。朝昼夕と色を変えるところから「紫峰」とも呼ばれている。男体山と女体山の2つの峰を持ち、古くから信仰の山として栄えてきた山である。

山頂近くから2020年の夕陽の中の富士山を見る。何とも美しいシルエットだ。

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蕎麦味わってLaviewに乗って!

2019 年 7 月 7 日 日曜日

新型特急車両001系『Laview』の乗車時間が決まっていたので、ちょっと気忙しい。が人気の蕎麦店「そば処まるた」へ。秩父に来たらやはり石臼で挽いた蕎麦を味わいたいものだ。蕎麦の美味さとともに旬の野菜の天ぷらの何と美味しいことよ!日本酒でとじっくり味わいたかったが・・・

さて東京へ。

現在、運行している10000系『ニューレッドアロー』から、25年ぶりに登場する新型特急車。「どうしても黄土色?椅子の色が気に入らない」とブウブウ言っていた人の言葉を思い出していたが、なかなか、明るい車両内はいいんじゃないかな?と思った。レモンイエローもキレイだろうが、今度は落ち着かないとか汚れが目立つとか、なんだかんだと言われるのだろうと思う。10人いれば人は勝手なことばかり家ものだ。しかし、色の感覚って本当に難しいなあ!

しかし・・・

「車窓」というか、客室窓のスケルトン感覚。例えば川の流れに近づくと、高所恐怖の人には辛いかも?表現の仕方が少し変だな(笑)

 

※下記の写真は西武鉄道のWEBから。

 

森に佇む美術館へ

2019 年 7 月 6 日 土曜日

取材のため秩父へ。棟方志功のミュージアムは雨にけぶる森の中にひっそりと佇む。梅雨で雨がしとしと降っているが、森の中の散策もなかなかいいものだ。

ここは1992年に開館した。開館当時は来訪者で賑わったそうであるが、この日など二組以外・・・殆ど来訪なしである。なんでも横瀬町の村長のコレクションだったそうである。「大きな蔵があってねぇ」と街の人は言う。

この日は、梅雨寒。コートを持ってくれば良かったと後悔しながら・・・また時として降りしきる雨。樹々の囁きが聞こえるようである。

棟方志功の作品数しては日本有数を誇る。出世作の『大和し美し』、代表作『阿呍譜二菩薩釈迦十大弟子』(あうんふにぼさつしゃかじゅうだいでし)などの板画(版画でなく棟方は板画とよんだ)の数々。その勢いが何とも熱いのだ。

また、ミュージアムには熊谷守一、林武、鈴木信太郎等の作品も展示してある。とくに林武の作品は昔から大好きであるので初期の作品の前でちょっとドキドキする。

「やまとあーとみゅーじあむ」

http://www.chichibu.ne.jp/~yamato-a-t/

空そして雲

2018 年 10 月 6 日 土曜日

信濃路へ。

車窓から見える空、雲はなんて美しいんだろう。

自然の前では何事も忘れてしまう。

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ダッシュ!箱根~小田原~道中

2017 年 8 月 5 日 土曜日

箱根へ。

「暁庵」で蕎麦を食べる。

ああ旨い!

→暁庵の蕎麦

http://www.hakoneyumoto.com/eat/33

 

江戸末期に箱根町畑宿に始まったとされる伝統工芸。畑宿で寄木細工作りを体験。箱根駅伝の寄木トロフィーを間近でみてただだた感動する。色や木目の違った朴の木や桑の木など、木を寄せ合わせて幾何学文様を作り出す技法。集中力が高まる。

 

そして小田原へ。

万能薬「ういろう」は別名「透頂香」とも言う。600年以上前から変わらぬ製法で作られている、現地でしか買えない大衆薬。歌舞伎の「外郎売」は懐かしい。高校の時、放送研究会で覚えた口上。今も少しは言える。ここでしか買えない!というのがなかなかスゴイ。蔵の中まで見学した。関東大震災にも倒壊しなかったという。言葉を失う。

→ういろう 本家

http://www.uirou.co.jp/uiro.html

 

途中、小田原漁港へ。美味い魚を探す。

 

鈴廣さんで蒲鉾づくりを体験。簡単に見えるが、実際に作ってみるととてもとても難しい。職人さんは神業だ。

→蒲鉾づくり

https://www.kamaboko.com/sato/taiken/

慌ただしいが楽しい時間が過ぎる。強羅ではまだ美しい紫陽花を見る。紫陽花の季節にはまた来よう!

 

名湯のところには牧水の歌碑が

2017 年 5 月 19 日 金曜日

ちょっと調べることがあって身延線で下部へ。下部温泉といえば「信玄の隠し湯」として有名ではあるが、歴史は実に古く、決して隠されたことではない。

そもそも、下部温泉の開湯は甲斐の国造・塩見足尼が領内巡視の折りに発見したのが始まり。承和3年に当時の甲斐国司藤原正信が下部温泉で病気治療していたところ夢枕に熊野権現が現れこの地に祀るようお告げがあり熊野神社を勧請。

それ以降、下部温泉の鎮守となったわけである。斯様に古くからの名湯であり、鎌倉時代に記された日蓮聖人遺文や室町時代の抜隊語録にもこの名湯の存在を思わせる記述が残っている。

丁度、訪れた日、その熊野神社では祭りがあった。「昔は1000人もの人々が集まったのに、今では100人もこない・・・」と一人の老人が語った。語るというより呟きに近かった。賑やかな祭りの風景がその老人の脳裏にはのこっていたのだろうと。自分には全く想像もできないのだが。

源泉の湧き出る宿には若山牧水の歌碑がある。

「山越えて 入りし古驛の霧のおくに 電燈の見ゆ 人の聲きこゆ」と若山牧水の歌碑があった。明治49年9月、牧水が26歳の時の歌である。山を越えて霧の奥に人の聲を聞いた時はどんな気持ちだったのかと想像する。

旅を愛して、各所で歌を詠む。そういえば日本各地に歌碑を見たな。

そして大の酒好き。一日一升もの酒を呑んでいたという。そして死の大きな要因となったのは肝硬変で、真夏に亡くなったにも関わらず死体から腐臭がしなかったのは生きたままアルコール漬けとまでの逸話があり驚かされる。

まあ、男の厄年にこの世を去って・・・各所を旅に、好きな歌を詠んで。

考えれば、彼は幸せだったのかもしれないなと。

あまりにも高齢社会の中で生きていると不謹慎にも思ってしまう。