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ch08.旅 | ichikoTV - Part 2 ichikoTV

‘ch08.旅’ カテゴリーのアーカイブ

2022 年 5 月 14 日 土曜日

タケノコの美味しい季節だ。新鮮なものは刺身で、煮ても焼いても炊きこんでも美味いタケノコ。

昔、この季節になると山ほど山口県からタケノコを送ってきてくれる友人がいた。いつの日か今か今かと新鮮なタケノコを待っていたのだが、ある年に届かなかった・・・そのまま気にせず時間が流れたがもう一人の友人が「全く連絡がつかないのよ」と連絡してきて、いろいろ私に訊ねたが全く消息不明。現代の「独り」というのは、本当に連絡がつかなくなったら、全く前には進まないのだ。行政は「個人情報は教えられません」と一点張り。これこそ全く前進しない。電話だメールだなんだかんだの方法も全く役立つないことを知る。

東京にきた時は必ず、友人のオフィスにより、そこでみんなに料理を振る舞っていたと聞き、もっと遡れば、そう20代から彼は山仲間だった。電話口で焦っている友人の口から「幼稚運の園児にタケノコ堀りとかいろいろ教えているともきいた」という中から私の頭の中に「幼稚園」という彼のイメージとは結びつかない言葉が響いた。

何れにしても事態は尋常ではないのだ・・・

不思議と言えば不思議である。いつも自分が不思議だと思えるのはこんな時。ふっと地図を広げ、そして地域の中にある幼稚園を3つ選んだ。

最初の幼稚園では「知りませんね・・・」と呆気なく。そして次の幼稚園に電話した時だった。本当にこういうことがあるものか!と思った一瞬だった。たまたまか、必然か?電話口に出たのは園長先生で、私の口から「Nさん」と彼の名前を出した途端!「わぁー」という響きと興奮にも似た焦りの声が聞こえた。「今年も園児たちにタケノコ堀りを教えてくれる予定だったんだす!」と。その後はいろいろな経緯と「死」という事実を教えてくれたのだ。しかし現代の「独り」というのは本当に本人がいなくなってしまうと全く手も足もでない。納骨されたのであれば寺か?また、地図を見ながら川筋を見て、「教えて教えて」と思い、何故か北方向にある寺に電話をしてみた。その瞬間だった。また電話口にご住職が出られ、驚き、彼の「~家」の話を始めた。私はひたすらメモをとった。

何かに揺り動かされて、知らされて・・・友人に電話で連絡して事情を伝え、菩提寺を教えた。電話の向こうで彼女はとても驚き・・・そして泣いた。

20代の頃は、夏になるとふた山くらい登り、高山植物の好きな彼は、花たちを写真におさめた。若い時代の私たちは「近くにこんな綺麗な花があるのにぃ~」と言って彼をからかいながら燥いだ。

5月・・・この季節になると〝あの時〟から毎年毎年、夏山に登った時のこと、そして届けられた荷物にある彼の文字を思い出すのだ。5月に届けられたのは「タケノコ」ではなく・・・なんか「筍」だった気がする。

記憶の遺産ツアー 雑司ヶ谷編

2022 年 5 月 9 日 月曜日

2022年5月7日(土)にアップする筈であったが、散策解散後に一杯・・・ではなく二杯と進み、(笑)。本日アップします。

5月7日にと実施した、としまの「記憶の遺産ツアー」雑司ヶ谷編(豊島区国際アートカルチャー特命大使 SDGs特命大使自主事業)。

この日は、とにかく、天候が気になって午前4時には起きていた。まあ、早朝は雨がたたき打つように降っているではないか。特殊能力でもない限り、とても止められない~と思い、他の用事を始めた。低気圧ってすごいなと思いながら、雨に濡れた樹々も美しいだろうと思う。

午後12時に護国寺へ到着。久しぶりだなあと思い、昔々、小学校の時にこの停留所で降りて、学校へ歩いた日々を思い出す。街並みもビックリするほどの変貌ぶりだ。当たり前か・・・

12時半過ぎるころ、ぽちぽちと参加者の到着!名簿をとり、名札を渡す、大人の遠足?が楽しい今日この頃って感じで何か嬉しくなる。

この日、まわったコースは

護国寺仁王門集合➡清土鬼子母神➡雑司が谷七福神の「吉祥天」七福神①➡雑司が谷旧宣教師館(東京都指定有形文化財)➡雑司ケ谷霊園散策➡中野ビル・雑司が谷七福神の「布袋尊」七福神②➡仙行寺・池袋大仏、雑司が谷七福神の「華福禄壽」七福神③

仙行寺で集合写真を撮って解散へ。

次回、第2回目実施の「雑司ヶ谷編」は国指定の重要文化財・鬼子母神へ参る。御本堂への特別見学も予定しているが法明寺の「鐘楼」も特別見。実は、ここに驚くほどの歴史を発見がする。知っているようで知らなかった、そんな土地の文化や歴史を発見できるチャンス。「いつでも行ける」と思い、人間とは結局行かないもの。チャンスはその時にわおっと掴むとよい・・・と思う今日この頃。

◆6月4日(土)にまわるコースです!

都電荒川線「鬼子母神前」➡清立院➡雑司が谷七福神「毘沙門天」七福神④➡石橋記念供養塔➡大鳥神社➡雑司が谷七福神「恵比壽天」七福神⑤➡大門ケヤキ並木→並木ハウス➡未来遺産「鬼子母神堂」(国指定重要文化財)➡雑司が谷七福神「大黒天」七福神⑥➡消えた川〝弦巻川〟と焼けた〝仁王門〟➡雑司が谷七福神「弁財天」七福神⑦➡法明寺 蕣塚と鐘楼(特別見学)➡威光稲荷尊天

▼申込みフォーム

護国寺i 仁王門前に集合
5月はやはり緑が美しい 護国寺

歴史を刻む「法明寺」の梵鐘

2022 年 3 月 4 日 金曜日

先般、ロケで雑司ヶ谷歩きをしたが、江戸時代から桜の名所でもある「法明寺」がある。宥元年(810年)真言宗「威光寺」として開創され、正和元年(1312年)、日蓮聖人の弟子の日源上人により日蓮宗に改宗され、「威光山法明寺」となった寺である。その境内には酒井抱一が描いた朝顔と戸張富久の句が彫られた「蕣(あさがお)塚」や、曲尺、算盤、枡、天秤など度量衡の珍しい紋様が描かれた梵鐘がある。この梵鐘は第二次世界大戦の時の供出を免れたものだと聞いた。あの金属類回収令。武器になった多くの武器たち。暫く無言で梵鐘を見つめた。

雑司ヶ谷 鬼子母神へ

2022 年 1 月 4 日 火曜日

雑司ヶ谷鬼子母神へ。定期的に「雑司ヶ谷物語」というコラムを執筆しているのだが、その土地に未だ残っている起伏に想像もふくらみ、感動する。いつも頭の中ではジオラマの世界に憧れている。不思議なほどの興奮。多分、土地の起伏とまた、暗渠になった川筋にロマンが溢れるからかも知れないな。古地図と目の前の実際の風景との比較が始まると脳のどこかとんでもない部分で情動が生まれてくるのだろうと思っている。楽しい!空気は冷たいけど・・・青空が気持ちよい日だ。

有名な「すすきみみずく」も販売されていた

久しぶりに日光へ

2021 年 12 月 4 日 土曜日

久しぶりの日光駅。師走に入り、やはりきーんと張りつめたような寒さだった。男体山を見るとすこし雪景色である。

2021年・・・あっと言う間に師走となってしまった。とにもかくにも大きな「変化」の年、そして不思議体験。そこから見出した新たなTHEME。

今まで、見過ごしていたことに対して正面勝負した年だったことは確かである。さあ、この冷たい空気の中、一歩ずつ、歩んでいこう。

五重塔の「心柱」を見る。心柱は撮影禁止。残念!

時代の変化に気持ちは右往左往

2021 年 11 月 16 日 火曜日

大手の新聞社関連の旅行会社から、そしてこれまた大手の出版社の通販部門からの通知。毎回、練りに練った企画力のこんだ内容であり、また通販の商品も逸品と言える数々だった。「ああ、時間作って、是非ともツアー参加したい」「買おうかなと」と思える商品構成だった。しかし届いたのはどちらも「事業中止」のお知らせである。旅行企画は2022年1月出発分まで、通販は2021年12月31日までの申し込みとなっていた。残念・・・などという言葉では言い表せない気持ちである。

コロナの第6波の心配や不安の中でも随分と明るい光がさしこんできたかと、活動開始しているようであるものの、やはり「時代なのか?」としか言葉が出なかった。新生!ではないのか、いや、絶対に次は来る!と私はは信じているのだが、どうも抗えない地球規模の力が働いてしまっている感じがする。

虎塚古墳

2021 年 11 月 6 日 土曜日

ひたちなか市にある国指定史跡「虎塚古墳」へ行く。全長が56.5メートルの前方後円墳である。造られた時期は7世紀の前半である。玄関入口にはベンガラで連続三角文が赤く描かれている。石室内に入ることはできなかったが、古代へのロマンと簡単な表現ではとても、言いあらわすことが出来ない。ただ、当時、生きていた人々の生活を暫し想像してみる。

時に・・・至福

2021 年 10 月 15 日 金曜日

10月のはじめ、天橋立の白砂青松を象徴する「松」をテーマとして列車「丹後あかまつ号」から見たあの日本海の美しさがまた甦ってきた。日本三景 天橋立と西舞鶴間、絶景の奈具海岸や由良川橋梁を運行した。あれほど贅沢に海の絶景を見られるとは!

数々の列車デザインで知られる、水戸岡鋭治氏が担当した木目調のインテリア。車窓からゆったりと景観は至福だった。

https://travel.willer.co.jp/train/tantetsu/akamatsu/

奇跡の「水月湖」で

2021 年 10 月 3 日 日曜日

その分野の研究者にはよく知られているのだが一般的には意外と知られていない湖がある。「水月湖」は福井県にある。地質時代に何が起こったのか?ではなく、そのイベントが「いつ」だったのか?を世界最高の精度で知ることが出来る、そんな湖なのである。地質、気象など諸々の条件がまさに奇跡ともいえる状態であるのだ、今も。地球の年代の目盛りは「年縞」という科学で証明されている。その変化の速さ、伝播の仕方が物凄く正確に分かる。まだまだ現在進行形という実に何ともいえないロマンを秘めている。

2021年10月3日(日)の朝一、私はその湖上にいた。風に吹かれ、太陽の光を浴びていた。山々には時折、野生生物の気配があり、多くの鳥の大合唱だった。

湖面は地球の生きてきた時間そのものを含有し、優しく揺れ続けていた。

船は進んでいく。私は過去の声、そして今もなお聞こえる地球そのものの拍動。そんなロマンをカラダいっぱいに感じる。

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Ohttp://varve-museum.pref.fukui.lg.jp/
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写真(上)は福井県にある奇跡の湖とよばれる「水月湖」

写真(下)は「年縞博物館」。湖沼に堆積した層が特徴的な縞模様を作る。1年の1層(0.7ミリほど)を形成される。年縞は見事にその時代を証明する。湖底には厚さ45メートルもの層が縞となり、それは7万年という時間の堆積である。この年縞の発掘が成功し、それは世界で比類のないものである。年代決定の世界標準のモノサシに採用されている。

京都から・・・

2021 年 10 月 2 日 土曜日

2021年10月1日から京都、兵庫、福井、金沢をまわる。兵庫では但馬の「法華寺」を訪ねなくてはならなかった。土砂災害で現在、山道は修復の工事中である。クルマは用心しながら進む。そして法華寺へ・・・あまりにもいろいろな不可思議があり、宿題をどっさり与えられたという感じである。いきなり解決とはいかない。多分時間もかかるのだろうが・・・進め方は生き方にも通ずるのかとふっと思った。