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‘ch04.カルチャー’ カテゴリーのアーカイブ

オーディオブック

2021 年 3 月 1 日 月曜日

「なまずの太郎」の物語と「マダムケイ」短編集が今度、オーディオブックとなる為、その声優さん選びをサンプル音声から選んでいた。紙の本から電子書籍・・・そして音声へと、生きている間にいろいろ経験するものだ。

人の声ってやはり不思議だ。歴史ものにあっている、または軽快なコマーシャルにいい感じとかもういろいろでかなり研ぎ澄ませていかないと頭の中で混乱してくる。それはどうも好きだ!嫌いだ!みたいなものが入ってくるからか(笑)

作品の内容に合わせて・・・ん・・・沈黙の時間が・・・

油断大敵!見えない敵はひしひしと・・・

2021 年 1 月 23 日 土曜日

コロナウイルスのニュースを聞き続けていると、何か、暗示にかかるような気がしてくる。例えば語っている医師たちもその声の質や言い方で随分と左右されてしまう。

英国で確認された新型コロナの変異株について、ある医師がある番組で「従来のものより感染力が強くなるだけで致死率はそれほと高くない」というようなコメントをしていた。日本では静岡県で数人がこの株に感染していた。そしてと東京でも昨夜、速報で10歳未満の子供が感染と流れた。「渡航歴なし」とアナウンスとともに。しかし今日になって40代の男性が感染と伝えている。要は既に、市中感染が相当なスビードで進んでいるということではないか?

そんな中、英国のジョンソン首相が記者会見の中でこの変異株について「感染力だけでなく、致死率も高い」とその可能性について発表した。証拠があるようだとの言葉は英政府のパトリック・バランス(Patrick Vallance)首席科学顧問は、存在するデータから導いたもの。僅かではあるらしいが変異株は従来株より致死率が「約30%高い」可能性があるの指摘である。

どんなウイルスに感染したかは分からないが、日本のお笑い芸人さんの一人が、胸苦しさを覚え、救急車を呼び、そのあとの記憶が全くなくなったという。翌日か?と目覚めたところ8日間も集中治療室で昏睡状態だったと言う。

私の周囲にもまだまだコロナウイルス感染は「他人事」で、あーだこーだと言っている人々がいる。実に、いろいろな事を思う。感染してみないと理解出来ないのだろうなと・・・呆れてももう言葉もないのでスルーするしかない。

見えない敵の恐怖。ひしひしと感じている。一に飛沫、二に飛沫ということだ、暫くは楽しいおしゃべりも合唱も厳しいということなのだ。

文章力

2021 年 1 月 20 日 水曜日

具体的な名前は出さないが、ある大学の学生さんたちのREPORTの文章力がちょっと・・・ということを聞いた。その担当の先生がアタマを抱えて呻吟しているのだ。それでちょっとした作業が停止状態なのだ。ああああああああ!

文章力といっても、何も名文ということでなく、授業等で見たもの、聞いたもの、調べたもの・・・諸々を纏めるという作業である。それが今一つというか今3つ?くらいと。しばし、考えてみた。一体どうしたのだろう?と。FBだ、ツイッターだのよく「おしゃべり」しているではないか?しかし最近の歌詞にしても諸々(こうした表現しかできないが)どうも、文章を構成する力が劣っている感じは否めない。

随分前であるが、いくつかの大学の学生たちの中で、何故、自分は就職するのか?という文章を書いてもらって、指導する機会があった。たくさんの文章の中で、「ほう!」と思ったのが薬学部の学生たちのものだった。いずれ、実家の薬局を継ぐにしても病院に勤務したいにしても、それらは真摯な一言一言で埋められていた。展望というかビジョンがしっかりしていた・・・だからか、構成力も素晴らしい作品が多かった。

何気なく過ぎているが、最近は当たり前のように「情報共有お願いします」「情報共有致しました」という表現が多い。はて?その他の言い方を知らないのか?というよりすっかり忘れてしまっているのではないか?またはビジネスシーンには「あいませんよ!」と言われるのがおちか?と思った。社会生活の中で、本当に表現方法をなくしていくことが多い。そしてラインという世界で交わされる実に陳腐で安易なやり取り。ひれが継続していては全く構成力などなくても「生きてはいける」と感じた。

あの時代に懐かしさを

2021 年 1 月 14 日 木曜日

紙類などは殆どいらない・・・というタイトルを読んで、言われてみればと思った。確かに、自粛生活で気づいたことは多い。数年前のマーケテイング関係はもう時既に遅し・・・という情報となる。発刊されたものも随分と「過去形」のものとなってしまっている。しかたない!

新聞記事が出てきた。2020年8月7日付けの切り抜き。お茶の水大学の名誉教授・外山滋比古さんが亡くなったという記事であった。英文学者で「思考の整理学」の著者としても知られる方である。

外山先生のご著書には、大学の卒論を書く時に本当に救われた!卒論は言語学で纏めたが、国語学の他、現象学、論理学、記号学など、いろいろ調べているうちに混乱したアタマと心に、ほっとした一冊が外山先生のご本だった。一般意味論でも混乱していたアタマの中がどんどん整理されていった。実際にお目にかかったこともない方ではあるが、私の机の上には外山先生のご著書がかなり並べられた。

その新聞記事に何か懐かしさを感じた。訃報記事で哀しさもあるのだが、あの時代の懐かしさがこみ上げた。

果たして・・・今、手掛けている仕事で将来「ああ!懐かしい」と思うような事とか人とか出で来るのだろうか?と思うと妙にワクワクした。

順応していくしかない!

いろいろな事象に感謝!

ばぁば・・・安らかに

2021 年 1 月 8 日 金曜日

NHKの番組「きょうの料理」に長年出演され、とくに和食の魅力を伝えた料理研究家・鈴木登紀子さんが2020年12月28日に肝細胞がんのため東京都内の自宅で亡くなったとのニュースを見た。享年96。

近所の方々に向けに開いた料理教室が評判となり、活動を始めたのが46歳の時だったという。明るいお人柄で「ばぁば」という愛称で本当に親しまれていた。

もう本当に大昔の話・・・ある編集者が鈴木登紀子さんの料理本を作ったということで持ってきてくれたことがあった。本当に家庭料理のいろはがたくさんあった。ほっとする一冊で、煮もの、焼き物と参考にしているうたに本は日々、ボロボロになっていった・・・。

テレビに出演されていた時、確か、「包装紙が捨てられないのよ」と言って、封筒だったか?いろいろ手作りされている風景がとても素敵だった。「マニキュアもかわいいでしょ」と赤く染めた両手を広げていらした。

料理だけでなく礼儀作法も。普段の生活に根付いた和食文化。きちっと遺していってほしい。継承していきたい。

言葉遣い

2020 年 12 月 27 日 日曜日

人から発せられる言葉って本当に大切だなぁと思うことが多い。

テレビのバラエティ番組などで日頃、ドラマでいい演技している綺麗な女優さんが「えっ!マジ?」「わぁ、ヤバイっす」などというとあれぇぇぇと思って見てしまう。

それにひきかえ、ちょっとガサツな感じのタレントさんが「うちのおとーさんが」とは言わず「昔、うちの父が・・・・」などというと「えっ?」と安心してしまう。

五月蠅いね(笑)いちいち煩いことをいうのもなんだが、どうも言葉遣い一つでその人の魅力はアップもダウンもしてしまう。

かなり前だが、女優の池内淳子さんが旅番組か何かで、和菓子店でいろいろたずねられて「お薄といっしょにいただきたいわ」と言ったその言葉がなんとも忘れられない。お薄とは!と思った。

コマーシャルでワイワイと「今夜私がいだたくのは!」という言い方がどうも嫌である。多くのプロにより構成されたものだと思うがどうも好感が持てないのだ。

まあ年末に言いたい放題であるが・・・

貧乏神、死神やらと・・・いろんな神様に出会ったイブ

2020 年 12 月 25 日 金曜日

昨夜はクリスマスイブ。立教大学のリモート授業で大変お世話になった三遊亭圓窓師匠一門会に。ライブなのでディスタンスとって・・・と思ったところ、あらまあファンが多いこと。

貧乏神、死神やらと、いろんな神様に出会ったイブでありました(笑)

師匠の人情噺には・・・胸の奥がぐっと来てしまった!

素晴らしいクリスマスイブでありました。

昭和歌謡

2020 年 12 月 16 日 水曜日

なんでも、平成生まれの若者たち(の一部であろうが)に昭和歌謡が人気であると聞いた。このこととは別に、最近の歌の歌詞からはドラマがあまり感じられないなと思っていたところなので「なるほど!」と感心した。

恋愛問題にしても携帯電話のない時代はそれなりの苦労や失敗や努力があったものだと思う。メールにしても然り。個から個へのメッセージは完全のーに恋愛観すら変化させてしまったと思う。

そうそう、「駅」にしても。今のあまりにアリの巣の如く入り組んだ迷路に近い駅。ややもすれば相手を見失うし、もし「逃げたい」人であればあっという間に霧のように消えてしまうのも可能だ。

時代が変わるけれけど、好きだった昭和歌謡の歌詞を見つけてみる。意外なドラマとリンクに驚き、少しばかり記憶に残っている思い出に浸ることも楽しい。

リモート授業 近未来・・・

2020 年 10 月 30 日 金曜日

午後から立教大学で秋期のインタビュー授業。講師の落語家・三遊亭圓窓師匠をアテンドして教室へ。広いディスプレイに映る受講生たち。コロナウイルス発生というひとつのアクシデントがこの光景を見せてくれているのだなと思った。リモートで各学生たちのパソコンに繋がっている。表情もそして声も。

 

ふっと・・・思う。

実に不思議な地球・・・

学びたくても学べない子供たちも現存している地球。

コロナウイルスが原因ではなく。

そこがポイントである。

自分の存在とそして他者の事。

常に考えられるようにならないと・・・そう思いつつ

 

授業は進む。小気味よい師匠の話とともに学生たちの屈託のない笑顔と瑞々して好奇心にふっと涙が出そうになった。この涙は一体何なのだろう?

 

当たり前の行事であるものが当たり前ではない・・・

2020 年 10 月 16 日 金曜日

10月末から12月まで立教大学で秋期講座のコーディネートをしている。歴史記憶のthemeで、本夕は「法明寺」の近江ご住職と打ち合わせ。実はこの時期は本来、雑司ヶ谷はお会式で賑わうのであるが今年はお会式は中止である。

今回の講座であるが、学生ともZOOMでの対応となる。打ち合わせ中、「こんなことってあるのかなぁ?」とぼんやり思いつつも、疑問の渦でいっぱいになっても、兎に角、時代の変わり目の潮流にのらないと!と思って進めていく。

お会式について、また「年末年始そして節分もね・・・どうなるか」とご住職が呟く。当たり前に感じていた年中行事が当たり前でなくなっている!という現実に気づくのである。

取材を終えて、寺を出た時は夜の空気はもう冬の寒さであった。