涼しい・・・と思ってぼんやりしていたらこのところ元気な声でずっと聞こえていた蝉さんの鳴き声が無いことに気づいた。あれ・・・と思ったら妙にさみしくなった。競うように、それは激しさを増していたというのに。もしかしたらそんな季節が終わっていくのかもしれないな。なんとも言えない夏の終わりのさみした。砂浜の海の家が消えていく、あの夏の終わり。とくに、夏の海の賑わいが消えていく日々はさみしいものだ。
夏の終わり・・・もうすぐ9月。
涼しい・・・と思ってぼんやりしていたらこのところ元気な声でずっと聞こえていた蝉さんの鳴き声が無いことに気づいた。あれ・・・と思ったら妙にさみしくなった。競うように、それは激しさを増していたというのに。もしかしたらそんな季節が終わっていくのかもしれないな。なんとも言えない夏の終わりのさみした。砂浜の海の家が消えていく、あの夏の終わり。とくに、夏の海の賑わいが消えていく日々はさみしいものだ。
夏の終わり・・・もうすぐ9月。
すみだ北斎美術館へ行き、「北斎百鬼見参」を見る。
人気の錦絵「百物語」や版本などから鬼に関連する作品を紹介し、鬼才・北斎がどのように鬼を捉えて表現してきたかが分かる。
ただただ・・・凄い
天気予報を見ればだいたい一週間くらいの天気だ、気温だと分かる。予め、なんというのか?心の準備が出来る。しかし、ますます増えている豪雨による土砂災害など。そこの住民の方々が言う「これまで経験したことがない・・」という辛い言葉。何かが?何かが変化していると感じる。
ただただ慌ただしく過ぎていくこの2022年の8月。しっかりと地にあしつけて意識して過ごさないと「暑い~」だけで、「忙しくて」で終わってしまうよ。何かが変わってきている、これまでとは。そんな気がしてならない。
11日の夜に花火をした・・・こんなに綺麗な瞬間があるのか?と思うほどの何か伝えきれないほどの高揚感があった。夏の日の花火はやはり・・・いいね!
思い出せば・・・
2019年後半に「なんか豪華客船でウイルスみたいなものが発生しているようだ?・・・と言われていたが、そんな中でも恒例のチャリティディナーショーを開催した。
しかし、2020年3月頃から、どうもこのウイルスは異常事態だ!と思われ、その後、合唱団としての活動もいわば「断たれた」状態となった。あのどうしようもない!感はコトバで表現できない。
今の時代だから実施した「リモートでレッスン」それに加えて、演奏入りのCDでレッスン・・・いろいろ工夫して、チャレンジしたものの、合唱とはやはりそれぞれのパートがそれぞれに声を出して、ひとつのハーモニーに育てていくものだということがみにしみる。無理ですよ・・・と分かる。
今年、3年ほどのコロナ禍の中、いろいろな事が懸念され、中止され続けたがそんな中でも、なんとしても!世界の平和をという気持ちの高まりが団員の中から生まれて、チャリテイーコンサートを開催する運びとなった。。
「まだまだ練習不足ではないか」など意見も多い。当たり前すぎる。
紆余曲折ある。意見だって分かれる。だが、時は今!10月に向かって心をひとつにして頑張っていこうと進めた。団員は歌のプロではない。会場はオペラシティコンサートホール。生の声がそのまま響く・・・のだ。練習に練習しかない!
●チケットは全席4000円(チャリティー)です。
考えて見れば体温のような気温の日々。妙に忙しく働けば、肩も凝るし、目もショボショボとなる。とても意気込んでいたものの・・・何故か・・・8月中旬に行う朗読劇『この子たちの夏』1945・ヒロシマ ナガサキが気持ちがきつくなっている。今更、なんだかんだ言えないもののこの気持ちは何なんだ?!と自分に対して詰問してしまうほど。
日本は唯一の原子爆弾での被爆国である。日本人としての経験を記録でなく記憶に留めたいと構成・演出の木村光一氏が遺稿や手記、詩歌など膨大な資料の中から「母と子」に絞り朗読劇としてまとめたものである。あまりにも身近な言葉が溢れているのだ。
母を亡くした子供
子を失った母たちの書いた手記
体験した人全てが、あの日のあの時間にいつも通りの夏の日常生活が、その瞬間に消えてしまうのだ!
哀しいとか辛いとか・・・言う間もなく!
戦争って一体なんなんだ?
倍賞千恵子さんの「死んだ男の遺したものは」を聴く。
涙が零れて止まらない。
これは、詩人の谷川俊太郎が詩をしたため、昭和35年の反安保集会のために武満徹が作曲したものだ。武満さんは倍賞千恵子さんののデビュー映画「斑女」の音楽担当でもある。倍賞千恵子さんも昭和40年代のリサイタルからずっと歌われているようだが、平成になってからの小六禮次郎さん編曲版がリサイタルの定番。小六さんのピアノ、そして倍賞さんのあの歌声は響く。
元英空軍大佐で、戦後は英国王室に仕えたピーター・タウンゼンド。マーガレット王女との世紀の悲恋が世界中で話題となり、映画『ローマの休日』のモチーフになったと言われ、その後、ジャーナリストとなった彼が、日本の長崎で出会ったのが谷口稜曄さんだった。
あの写真を覚えているだろうか?16歳の夏、郵便配達の途中に被爆し、生涯をかけて核廃絶を世界に訴え続けた谷口さんを、タウンゼンド氏は取材。1984年にノンフィクション小説を出版。タウンゼント氏の娘のイザベル・タウンゼンドさんが、2018年の長崎で、父の著書とボイスメモを頼りにその足跡をたどり、父と谷口さんの想いを紐解いていくドキュメンタリーだ。
2022年8月7日。
立秋です。
瞬く間に!と思うほど、時が経つのが早い。
いよいよ「残暑お見舞い」となる。
立秋とは中国や日本で使う暦。
例えば英語で表す言葉は・・・ないけど・・・
the beginning of autumn
秋の始め
the first day of autumn
秋の最初の日
明日は猛暑ぶり返しらしいが、8月と9月を乗り切ればね!
企画たてて、ざっくりでも予算建して、記事書いて、募集して、通知して・・・ひとつのイベントを実施するのにも本当に細かな神経が必要。且つ、当日の天候や気温も気になる。参加者の年齢と共に心配は尽きない・・・。
と!いろいろ言いながら無事に8月6日土曜日、雑司ヶ谷イベントお話会は終了!
富士フイルムの発祥が雑司ヶ谷だったと知る人は少ない。講師の高橋俊之さんは雑司ヶ谷に大正8年に設立された東洋乾板株式会社の取締役技師長であった高橋慎二郎氏のお孫さん。お話会が終了後に自由参加で、東洋乾板があった場所などを、散策開始!約1.4キロメールの道のりを歩く。30度にならず、曇りである。神様が味方して下さった!そんな気持であった。
【コース】
会場「雑司ヶ谷地域文化創造館」
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大鳥神社、弦巻通り
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東洋乾板跡
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井戸水が豊富だったことが分かる雑司ヶ谷路地裏の井戸見学
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「本立寺」(高橋慎二郎の墓所・豊島区南池袋2-20-37)
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現地解散となったが興奮さめやらず!その後は何とも同窓会のノリ?
※東洋乾板株式会社とは?
日本写真の歴史は幕末に輸入された湿板写真で、これが幕開けとなり写真技術の発展となる。明治16年にイギリスから乾板写真が輸入されるものの高温多湿に日本において乾板の工業化、事業化は難しいものであった。そんな中で乾板製造に成功、大正8年に「雑司が谷」でわが国における写真用乾板の工業化に先鞭をつけたのが東洋乾板株式会社(創業者・高橋慎二郎)である。写真フィルムのフィルムベースからの一貫生産を企図し、研究にチャレンジ。長期間にわたる研究を重ね、開発に成功。富士フィルム設立の直接の母体となった。