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2022年8月6日 | ichikoTV ichikoTV

2022 年 8 月 6 日 のアーカイブ

富士フィルム発祥の地 雑司ヶ谷

2022 年 8 月 6 日 土曜日

企画たてて、ざっくりでも予算建して、記事書いて、募集して、通知して・・・ひとつのイベントを実施するのにも本当に細かな神経が必要。且つ、当日の天候や気温も気になる。参加者の年齢と共に心配は尽きない・・・。

と!いろいろ言いながら無事に8月6日土曜日、雑司ヶ谷イベントお話会は終了!

富士フイルムの発祥が雑司ヶ谷だったと知る人は少ない。講師の高橋俊之さんは雑司ヶ谷に大正8年に設立された東洋乾板株式会社の取締役技師長であった高橋慎二郎氏のお孫さん。お話会が終了後に自由参加で、東洋乾板があった場所などを、散策開始!約1.4キロメールの道のりを歩く。30度にならず、曇りである。神様が味方して下さった!そんな気持であった。

【コース】

会場「雑司ヶ谷地域文化創造館」

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大鳥神社、弦巻通り 

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東洋乾板跡

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井戸水が豊富だったことが分かる雑司ヶ谷路地裏の井戸見学

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「本立寺」(高橋慎二郎の墓所・豊島区南池袋2-20-37)

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現地解散となったが興奮さめやらず!その後は何とも同窓会のノリ?

※東洋乾板株式会社とは?

日本写真の歴史は幕末に輸入された湿板写真で、これが幕開けとなり写真技術の発展となる。明治16年にイギリスから乾板写真が輸入されるものの高温多湿に日本において乾板の工業化、事業化は難しいものであった。そんな中で乾板製造に成功、大正8年に「雑司が谷」でわが国における写真用乾板の工業化に先鞭をつけたのが東洋乾板株式会社(創業者・高橋慎二郎)である。写真フィルムのフィルムベースからの一貫生産を企図し、研究にチャレンジ。長期間にわたる研究を重ね、開発に成功。富士フィルム設立の直接の母体となった。

「ああ!ここか・・・」と言いながら工場跡地散策。
2025年には超高層ビルが建つ。時代とともに街の風景は変化していく。