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戦後70年・・・・その時

今年は戦後70年という節目の年。それに因んで各所でいろいろな企画があるようだ。

豊島区は23区で初めて非核都市宣言を行った自治体でもあり、非核平和の実現に向かって努力をしている。そんな中で、戦争、原爆の恐ろしさを後世に語り継ぐ切っ掛けとして9月に「戦後70年豊島区平和展」が開催される。広島平和記念資料館、長崎原爆資料館からご協力いただいた貴重な写真や被災物品の展示の他、映像資料上映、豊島区戦時下の資料展示などもある。

9月の企画展ではあるが、開催要項は下記の通り。

 

【日 時】 9月12日(土)~9月16日(水)

9時~20時 (但し初日11時から。最終日は15時まで)

【場 所】 豊島区新庁舎1階 としまセンタースクエア

【入場料】 無料

【内 容】

●12 日:11 時から オープニングセレモニー

東京都原爆被害者団体協議会副会長・山田玲子さんによる 被爆体験講話

●13 ~ 16 日: 14 時から 被爆体験講話(約20 分間)

 

「としまの記憶」をつなぐ会では豊島区在住・被爆体験者の方々の証言ビデオを制作している。昨夜は中村一彦さん(86)の証言を大正大学のスタジオで撮影した。

長崎に原爆が投下された時学徒動員で魚雷を製造する工場に動員されていた中村さん。昭和20年8月9日の午前11時2分。中村さんが16歳の時だった。一瞬のうちに気を失っていた。気づいた時、魚雷台の下敷きになっていた。そして目に映るのは生き地獄だったという。「助けて」と言う女学生。柱に挟まれてもう助け出す事も出来ず。街々には「水を・・・」と求める瀕死の人々。中村さんはただただ線路沿いに歩く・・・、

「経験した者にしか分からない苦しみと哀しみがあります。核兵器は絶対にいけない。世界の平和を強くのぞんでいる」と。

ふっと手にした瓦礫の中の浦上天主堂の瓦。「戦後70年、どんな時も自分の身体の一部でした」と語った。

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