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1月, 2024 | ichikoTV - Part 2 ichikoTV

2024 年 1 月 のアーカイブ

新宿という街

2024 年 1 月 16 日 火曜日

知人と久しぶりに新宿でランチ。人々が行きかう街の風景。

昨年、「酉の市」でも新宿の花園神社に新聞社時代の仲間たちと集まったが、昼間の新宿の街の様子も記憶にある風景とは随分と違っていた。昔はなんだっけな?・・・と思い出すと、なかなか懐かしいといえば懐かしいが・・・

新宿3丁目あたりはアルタ、紀伊国屋書店、他の銀行以外はかなり変貌!新宿本部勤務時代とは全く異なる。

先般、大手町でもあんぐり~状態であったな。特に消えない人間の記憶っていうものは厄介といえば厄介である。

紀伊国屋書店の一階の鉱物専門の店舗がそのままあったのには嬉しくなって感動して!店の人と暫く話した。いろんなものが懐かしいというのはトシをとったせいかも知れないな。

冬の三日月

2024 年 1 月 15 日 月曜日

冷たい冬の空気・・・三日月があまりにも美しい。

自分が出来る事

2024 年 1 月 14 日 日曜日

能登大地震の傷跡。家が倒壊し、そして声かけあって避難したにも関わらず、高齢の親後さんが津波にのまれ・・・何なのだろう、2024年の元日の事実。何も出来ない自分がいる。自分が出来る範囲での募金活動。その他は・・・

あの見事な輪島塗の作業場も被害をうけた姿。昔、輪島を訪れた時、輪島塗のあまりの美しさに心がうきあしだったくらい・・・凄い芸術だと思った。

さあ自分の出来る事を探していこう。

脳裏に・・・

2024 年 1 月 13 日 土曜日

新年早々というか・・・いろいろな日の事を思い出す。

日本大学の元理事長で相撲部元監督の田中英寿さんが1月13日に亡くなっていたという新聞記事を読んだ。享年77。肺に病気を抱えて、約2カ月前から入院していたという。

2008年に理事長に就任すると絶大な影響力を持った。まさしく当時は「日大のドン」であった。

昔々の話だが、夏のセミナーの講師として依頼の為、理事長室に行った事があった・・・が次から次へと理事長室へ人がやってきた。多分、業務連絡、報告、相談も山の様に、怒涛の如くあったのだろう。

とにかくその日のその時間はバタバタの時間を過ごした。舞の海の相撲のとりかたの話でいっぱいいっぱい。もう嬉々として話していた田中氏。

しかし、本題は、全く話が進まないということがあるものだなと思った。「この講師案は無しだな」と心の中で思って、そろそろと思った。実に不思議な感覚だった、こりゃ進まんわいという稀にみる感覚だった。バシッと断るでもなく、また改めて来訪したいでもない・・・そんな感覚だった。

帰り道、どんな心持であったかも全く記憶にない。

そして・・・

時は経ち、所得税法違反容疑で逮捕され、執行猶予付きの有罪判決を受けるなど波瀾万丈の人生をおくられたというのだろうか?

あの「時」の田中氏の権力感が今も脳裏にある。

エブリデイ

2024 年 1 月 12 日 金曜日

天災の怖さを感じている。1995年1月の阪神・淡路大震災、2011年3月ま東日本大震災。そして2024年は何という事か、元日に起った。帰省していた人もいるであろう、楽しい家族旅行の人もいたであろうと思うと、見えない恐怖を感じる。出来る限り!記憶しておこう。本当に人は忘れていく動物。仕方ないのかなと思いつつ。やはり頭の片隅でいいから、きちんと整理しておこう。

本当に一日一日を大切に生きようと思うようになった。今まで以上に人と会い、話してみようという気持ちになった。目の前の事でもいい。これまで以上に真剣に一生懸命に取り組もうと思うようになった。こんなに考えた事があったかな?意識ってかわるものだねと。

あと・・・人それぞれなんだけど・・「暖かくなったら」とか「少し涼しくなったら」という言葉。最近はやめるというか、会いたい時には会っておいた方がいいよと思うようになった。決して不思議な事でなく、本当にそう語った方々とは会えなくなることが実に多い。「え?」と思う。人生って!と思うけど本当に人の人生って理不尽の積み重ねです。

夕空

2024 年 1 月 11 日 木曜日

2024年になってまだ11日目。

いろいろ対応しなくてはならない事多し。

ただ黙々と真摯にそして愚直に進めばいいと思う。

夕方、ふと見上げると空が微妙な色彩だ。

こんな絵を描いてみたいな・・・ふと思う。

来週からかなり寒くなるらしいね。

八代亜紀さんの歌よ 永遠に

2024 年 1 月 10 日 水曜日

演歌歌手の八代亜紀さんの訃報にせっした時、これもまた可成り驚いた。「舟唄」「雨の慕情」などのヒット曲で知られている歌手。何と昨年の12月30日に急速進行性間質性肺炎のため亡くなったという。享年73。若すぎるでしょ?と思った。熊本県八代の出身だ。

独特のハスキーボイス。小さい頃からそのハスキーな声だったらしい。苦節何年・・・という演歌歌手が多いが、中学を卒業してバスガイドをされ、親衛隊という同年齢の男子たちも多かったという。

熊本県の震災の時も即刻、見舞いにいかれてその土地の人々へ歌声を届けた。目鼻立ちのくっきりした美人で、こういう女性って誤解されやすい(思いこみか?)が、意外と正反対の性格だつたんじゃないかな。

彼女の歌はいつも待つ身の、か弱い女性の歌が多い中、「舟歌」はいきなり男性の視線からの歌だった。思い出す。新聞社時代の接待。何軒目かのカラオケでは必ずというほど「銀座の鯉の物語」から始まって「舟歌」だった。その歌で、大八代亜紀に女性ファンが増えたらしい。実のところ、私は「なみだ恋」からのファンでたいがいの歌は歌える(笑)苦節何年で着物姿が多い演歌歌手とは違い、やはりキャバレーで鍛えた華やかな独特の雰囲気を持っていた歌手である。

大切にしていた言葉は「ありがとう」とニュースが伝えている。駆け落ちして本当に仲が良かったという両親からの「1人では何もできない。支えてくれる周りの皆さまに感謝を」との教えを守り続けた。療養中も医療従事者やスタッフに常に「ありがとう」と感謝の言葉を伝えていたという。この「ありがとう」に対して「ありがとう」と言いたいのは私の方だな。

もっと長生きして、才能あふれる油絵も描き続けてほしかった。

人ってさ・・・嗚呼、生きてこそなんだな・・・とつくづく思う。

どうぞ安らかに。

あの「目白御殿」が火災

2024 年 1 月 8 日 月曜日

テレビニュースで燃え盛る火を見て驚いた。1月8日午後3時すぎか、文京区目白台にある田中角栄元首相邸の敷地内で火災が発生したという。2階建ての建物から出火。約800平方メートルが全焼。雑木林なども燃えたというから画面は凄い・・・。

もう若い世代は田中角栄を知らないかもしれないが。かつて「目白御殿」と呼ばれていた。政治家たち、政財界の関係者が「角栄詣」を行っていたほど。それって、本当におそろしいほどの舞台だったでしょう。

昔々・・・その昔のお話です。

あれよ~あれよ~という間に角栄さんの邸宅はどんどん大きくなっていったのを見ていた。不思議に程に!

しかし、火事ってこわい。火が回るとこうなるのか・・・何もなくなるんだねと改めて思う。全てがなくなる。

隆起

2024 年 1 月 7 日 日曜日

地殻変動はすごい・・・一部の漁港では海水が入らないほどの隆起が認められるそうだ。輪島市の皆月湾や名舟町などで、海岸線が沖に向かって大きく前進したのが確認できるらしい。皆月湾周辺では海岸線が沖に約200メートル進んだ場所があり総延長では約85キロにわたる前進とか。聞いてもよく理解できないでいる。日本地理学会のグループの調査では陸地の面積は計2・4平方キロほど増えたとか。能登半島の沿岸全体で約4・4平方キロの陸化・・・それにしてもますます寒くなる能登半島。早い対策と復興の為に自分が出来る事を。

常陸の海へ

2024 年 1 月 6 日 土曜日

常陸の海へ。やはり太平洋って明るな・・・そんな事を思いつつ、また、大好きな日本海の海の色を思い出す。「海」好きの自分。海はいつまでも見ていられる。波が好きで空の雲が好きだ。あらら、今日は青空!雲がないぞ(笑)

それにしても2024年はあたたかな正月。

海辺のレストランでランチをして・・・

さて、こんこんと水がわく泉のある「泉神社」へと向かう。

青空と青い海。白い灯台がひきたつ。