2015年8月31日。1962年に開業したホテルオークラ東京。本館が、2019年春の新装へ向けて、9月から建替えられる。そうか・・・52年間か・・・。友人の結婚式でも何度かいったなあ・・・。特にメーンロビーのあの落ち着いた和の趣。大好きである。オークラ・ランターンと名付けられた 印象的な照明。今しばらく愉しみに待っていよう。
2015年8月31日。1962年に開業したホテルオークラ東京。本館が、2019年春の新装へ向けて、9月から建替えられる。そうか・・・52年間か・・・。友人の結婚式でも何度かいったなあ・・・。特にメーンロビーのあの落ち着いた和の趣。大好きである。オークラ・ランターンと名付けられた 印象的な照明。今しばらく愉しみに待っていよう。
千葉県いすみ市にある興福寺でソニーのイヌ型ロボット「AIBO(アイボ)」の「合同葬儀」が行われたというニュースを見た。
これまでの生活の中で、アイボが家族同様の人々も多い。そんな中で「修理できません」という企業の都合でどうしようもなくなったと言うアイボたちが・・・。それを聞いて、しばし、不思議な気持ちと一緒に企業の責任というものも考えた。
人形は決してゴミとしてなど捨てられない。だから人形供養をする。日本人の魂にしっかりと入り込んでいね精神である。
書きたいことは山ほど。
しかし今回はここまで・・・・ということで。
本日は一日文京映画祭の企画打ち合わせ。
「坂道の恋」か・・・
シビックの22階から外を見ると、小雨にぬれた文京区が見える。
街の風景が何とも優しく見えるのは雨のせい?
このところの気温。25度くらい。すっかり秋である。寧ろ、時々、寒いくらいである。猛暑猛暑と世の中が騒いでいた8月のあの体温なみの気温が急降下するとこれほどまでか!と思ってしまう。こんな時は、体調崩す方も多いだろう。
さてさて、都内某所『納涼パーティー』へ。まさか、納涼パーティーを企画している時は「8月」ということで“納涼”という言葉がぴったりであった筈である・・・が、今夜は寒い。
秋めいた空気。浴衣姿の女性の多いこと!紙資料の多い重たい鞄を持っているガサガサした私のような女性は数少ない。皆さん、それなりのお洒落をしている。キラキラッと。
浴衣というと「寝間着」感の強い私はどうも苦手。勿論、浴衣については、いろいろ理解しても何故か、深層心理の中にあるのは「寝間着」でしかない。もし、こんな事を口に出したら「吉田さん、なんか変~っ!」と言われそうだから決して口には出さないようにしている。
それに、浴衣姿で、外国地ビールとやらを瓶で呑んでいる姿がどうも。あんぐり・・・なのである。ペットボトルの飲料でさえ、大抵抗がある自分。ビールのラッパのみなど、外国映画の世界でしかないのです。しばしそんにこんな風景を見ているうちに、2杯目の生ビールがきいてきた・・・
美しい浴衣姿の女性を見たい・・・ただそれだけ。
立教大学での「池袋プロジェクト」の全体会議も長時間にわたり・・・時計を見ると、次に入っている打ち合わせの事で少し焦燥感。でも何とか!
そして来年3月開催文京映画祭」の映画構成もつまった。いよいよ9月後半からの撮影開始予定。29日は朝から、その詰めの会議に入る。
そんなこんなのプロジェクトに集中していると・・・不思議にも、ふと、面白い感覚に陥った・・・久しぶりの感覚だった。
何だ?これは?
思い出せば、それは学生時代の「文化祭」。特に高校時代の「文化祭」は文化祭実行委員もしていたので、それはそれは10代の全身全霊の放出という感じであった。構内を飛び回っていた。
そうそう、先ず、全校生徒への公募で会場案内用の「矢印」のデザインがのっけから採用され、わくような喜びからスタート。それからはアラシようなエネルギーだった。
しかし、学生時代も終わり、企業に就職。給料をもらう立場となる。例えばイベント事業でもその企業として、ネットワークとしてのイベント。完全なる「営業活動」であったという点なのだろう。先ずは「成功」へ限りなく近づけること。如何に集客し、動員し、効率よく人員配置して、要はグロスをあげるということだった。
しかし、今、かかわっている活動については勿論、広告、協賛もあるのだが、カルチャーというものがベースであるということだ。語源通りに只管、掘り起し掘り起し!そしてこれまでの考察とともに次世代へスピリッツを遺し、そして伝えていきたい、そんなところが大いに違うのだ。人生後半戦ともなると意識が全く違うのである!
自分もそんに気持ちで動いているから感じているのだと思う。
でも久しぶりの「文化祭」感覚!
愉しい!
いよいよ9月14日から始まる戦後70年企画「戦後池袋―ヤミ市から自由文化都市へ―」(主催 豊島区・東京芸術劇場・立教大学)。
戦後70年の節目の年に、ヤミ市という歴史のターニングポイントを直視し、戦後日 本の歩んできた道と〈自由文化都市・池袋〉の未来を考えるという企画であるが、展示版もいよいよ大詰め・・・。
★「池袋=自由文化都市」プロジェクト実行委員長の渡辺憲司先生メッセージ★
戦後池袋 ヤミ市から自由文化都市へ
昭和20年4月13日、所謂、城北大空襲は、池袋を焼き尽くした。
8月15日終戦。この時、壊滅的打撃からいち早く立ち上がったのは通称ヤミ市と呼ばれたマーケットである。それは、灰土の中に点された熱い池袋人の思いの結晶であった。闇の向こうに底光りがあり、大正ロマンが残光を繋いだ。
立教大学・自由学園など自由教育の地盤、アジアからの熱いまなざし、宣教師たちの西欧文化移入、絆に紡がれた雑司ケ谷の文化遺産がこの地にあった。
池袋は自由文化都市の先進性を伝統としていたのである。ヤミ市を、人は自由市場と呼ぶ。ヤミ市の底深く流れていたのは、この自由への思いである。
自由は常に渇望から生まれる。人々の渇望の坩堝がヤミ市であった。訪れた平和のエネルギーがこの地にあった。しかし、平和への思いの風化は進んだ。
私たちはこのエネルギーの所在をしっかりと見つめなおしたいと考えた。
忘れてはならないと考えた。
ここで、世界を牽引する日本のマンガ文化・アニメ文化の担い手が育まれ、池袋モンパルナスの若き芸術家の魂が躍動し、江戸川乱歩等の大衆文化が胎動した。笑いは楔を放ち開放され、映画館に鈴なりになり、歌謡曲やジャズと一緒に、恋は町にあふれ、躍動のリズムが劇場に鳴り響いた。
昭和30年代まで、池袋西口のヤミ市は、存続した。
池袋のヤミ市が担ったのは、飲食のみではない。衣料品、おもちゃや模型店が並び多くの婦人子供の足を止めたという。他のヤミ市以上に庶民の生活に密着していたのである。
戦後70年を迎える今日、文化創造都市池袋は大きな節目を迎えた。
この企画は「池袋学」の上に戦後池袋の平和への原点を刻む試みである。
公式サイトはこちら http://www.ikebukuro2015.com/
月に一回、アイムの長井和子さんの青山の店「R40」http://www.bar-r40.com/に集まる。仕事をしているメンバー。この夜だけは仕事を忘れ?お腹にたまっていること?をも吐き出しながら楽しく過ごす。
長井さんが作った豆サラダ。ドレッシングの美味しさに感激して何度もそのソースの名前を聞くものの、暫くすると酔いも回って「あれっ?ドレッシングの名前ってなんだっけ」と。
仲間たちの元気な姿に、ただただ乾杯!である。
先般、ある会話中で「吉田さんって泣くこととかあるんですか?」と不思議な質問をされた。すかさず「ありますよ」と言うと「えぇ?」とかえってきた。どんな時って?あるよ!「今年も夏の甲子園を見てぐっぐっと泣いた」と言うと、「えっ?どんなところに?」と再び質問を。コツコツと答えるしかないか・・・
寧ろ、こちらから聞きたい。夏の甲子園で泣かない人っているの?と聞きたい。球児たちの夏に感動しきりである。
具体的な事は省略するが、ある場面でもう周囲がカラダ震わせて号泣ということがあったが、こうした時は、次の対策を考えてしまう。心の張り裂ける噴出する哀しみは何故か、自分の中の不思議なポケットに入り、そして具体的に実際にどう自分が行動すべきかがまず頭を駆け巡る。すると・・・哀しいかな、いろいろなところから「鬼か!」と言われたりする。
決して冷たい人間であるとは思わないのだが、寧ろ熱すぎるところがあると思うのだが・・・
涙って・・・不思議。