毎日、慌ただしくScheduleをこなしていると目の前のカレンダーが10月も約半分来てしまったことに改めて気づく。何やらいろいろ書き込まれている。私は全くのアナログ派で、手帳に書きこんでいかないと、なんというのか・・・その様子がアタマに入らないタイプである。文字で書いていくと本当に全体像が構築で来て、足りないもの、足りない事が判るきがする。
いつも頼んでいる手帳にしても今年はどうしようかな?とかんがえている。今年一年の向かい方が正しかったというより自分にとって快適であったか?と考える。
たしか10代後半から20代前半にかけて、手帳には読んだ本と読みたい本を書いていた。今はほとんどAmazonで書籍は購入してしまうが、当時は図書館で借りるかまたは絶対にほしい本は購入したい希望で輝いていたのだと思う。ポン!と選び、Amazonでシュッとクリックして注文できる世界とは全く異なっていたのだと思う。そして「保存版」にしたい本に対しての愛の深さは格別のものがあったなと。今でばんぱん読んで、不要になったものはBOOKOFFで引き取ってもらい、かなりの古書関係は図書館でワンさと借りてくる。同じ本との付き合いではあるものの、違うんだなと。
実に・・・カレンダーも然り。昔は家の中にどこにもかしこにもカレンダーなどなかった?気がする。時間を知るには時計、も日めくりカレンダーの言葉に感動か?どこかの企業のロゴなど入ったカレンダーが新聞販売店か、かなりデザインのこんだ分かりにくいものなどなど・・・こんなにも多様化している。