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ch12.その他 | ichikoTV - Part 4 ichikoTV

‘ch12.その他’ カテゴリーのアーカイブ

MESSAGE

2020 年 10 月 8 日 木曜日

日々、忙殺されているとつい気が付かない事が多いのだが、ふっとあ「場面」になると「おやおや」という状態になる。このコロナウイルスの出現でそれらが如実に露呈していていろいろ気づかなかったMESSAGEを与えてくれる。

対話ができにくい今、「リモート」が当たり前になってきているが、例えば、大学の授業で過去の歴史や文化について調べたり聞いたりすることがあるとき、若い講師であれば「リモート」はごくごく当たり前であるが、高齢の方々にとってははっきり言ってリモートと言われても身近なことではない。

打ち合わせに生身の人間が現れない?!ということに大いなる違和感を感じられるのである。その違和感が不安に拍車をかける。それをこれまでの経験をフル稼働してコーディネートしていかなくてはならない。それが社会生活の中でじわじわとパソコンだ携帯電話だが入ってきた世代の人々かも知れない。

 

自分の事を思い出すと・・・

携帯電話など高嶺の花もいいところだった。一般会社員には「内線」というものがあった。代表電話にかかると電話交換手が内線番号に繋いでくれる。その個人へスポットでなんど役職についていた人だ。会社の重役たちは専用の車に自動車電話があり、それで会話をしていた。

パソコンもいずれは一人に一台か?など言われていた時代もあった。今では誰もが手にしているスマートフォンという世界でなんでもかんでも可能である。

そして、キャッシュレスに伴って現れた印鑑不要論。行方についてもいろいろな気持ちが交錯する。初めて「実印」というものを作って、印鑑証明までの道のり。その実印の保管など緊張は未だにある。それほど実印で事業を失敗してしまった人々もみているからか。

私の友人の翻訳者は携帯を持っていない。「家での仕事がほとんどだから必要ない」と彼女は言う。家の固定電話で、そしてパソコンメールでことはたりてしまうからだと。

たまたまだ!携帯もパソコンも、また人によって必要なのでファックスも保持しているだけだ。あまり好きではないリモートであってもその場にいけないセミナーなどのオンラインはどんなにか助かっているか!

しかし、そんな中で、このところ直筆の手紙に感動している。昔では当たり前だったと思うが、その人の文字や文章の流れに見える個性に感動するばかりである。

 

夢は・・・テレパシーか?(笑)

でも既にあるものだとは思っているけれど。

 

時間

2020 年 10 月 7 日 水曜日

ある方がご主人の持病で病院に行ったところ、夫婦でPCR検査をして、結果、コロナの陽性反応が出たという。即刻、ご主人は入院で奥様は某ホテルへ行くこととなった。奥様のほうは至って元気。ただただ驚愕。いわゆる無症状での二週間のホテル生活が始まったという。他人への感染防止はもっともであるが、元気そのもののいきなりの二週間生活はやはりきつい。陰性の結果が出て、漸く退院した。人生観が変わったかな?・・・ようだと。順調だった仕事もある部分は整理し、人に任せたという。「いいところ、あと10年は楽しまなくっちゃ駄目よ」という言葉が響いた。

10年と軽く言うが、考えて見ると3650日か・・・と。これまでそれほど意識していなかったが、彼女のこの言葉の重みがずっしりと日々感じる。

「人生100年時代をどう生きるか?」という言葉のマジックに踊らされている気持ちにもなった。100年など、いろいろ考えれば難解そのもの」という現実にぶち当たる。「今30歳の人が85歳まで20075日」と、まあ、計算すればすぐわかる数字でも、何とも言えない気持ちになった。1年365日。「分かっているけどねぇ」と言っていろいろ先延ばししている人を前に「それはやっぱり考えたほうがいいかもよ」と言った。その数字が頭にこびりついていたからだ。しかし、よくよく考えれば、その人それぞれの「時間」というのもあるから他人がとやかく言うこともなかろう・・・そう思い、この日はひとまず「思考停止」とした。時間はみな、同じように与えられているけれど、使い方は本当に強制はできないものだね。

さて・・・

2020 年 9 月 11 日 金曜日

敢えて大きな声では言いませんが・・・100年に一度の新型コロナウイルスショックは、「なければ見る事の出来なかった」人の一面というか多分分からなかった一面をみせてくれます。裏というとあまりいい感じではありませんが、意外や気づかなかった部分だと思います。

新聞社を退職して暫くは所謂「異業種交流会」というのが流行っていたのか、兎に角「名刺100枚はお持ちください」と言われ、こんなにも名刺を配りまくらないとならないのか?と思っていました。今、あのようなイベントは全くないですね?あるのかな?ものすごい量の名刺をいつもも持っていき、パーティー巡りしていましたが・・・そこで知り合った人々はもう一人も記憶にないし、あったとしても名前も出てこない。一体、何だったのだろう?と思います。愛のひとかけらでもあれば多分心の底で思い出すのだと思いますが。

 

・・・というのを思い出したのは、昨夜、仕事関係者が「吉田さん、●●さんってどういう方でしょうか?」と聞いてきたのでざっくり回答。本当にうわべだけの回答。そして「なぜ?」と理由を聞いたところ、私の大っ嫌いなFBで何百人もの人脈をお持ちなのでと言う。ははーん!です。要はあの時代の交流会での名刺の数と似ているなあと思いました。メルマガもバンバン届くし、パーティーの誘いもバンバンくる。バブル時代の残り香のようでした。

 

人間関係ってこの100年に一度と言われるコロナショックでだいぶ見えてきたように感じます。それに例えば・・・時を騒がせた政治家の名前も政策も忘却しそうなことがある。

もくもくと・・・

刻々と変化する時代を冷静に生きなくては。

戦後

2020 年 8 月 15 日 土曜日

戦後75年という。

毎年毎年くる敗戦の日。

NPO法人「としまの記憶」をつなぐ会を発足して8年になる。今になって考えてみるとただただ慌ただしく・・・しかし意味深い活動をしてきたと思う。

ある夏、戦争体験を語れる語りべの方が「吉田さん、戦争を語れるのは我々の世代が最後だと思うよ。そのあとは体験談を聞いた人間が語り継ぐ時代になる」と言った。

頭では分かってはいるもののまだまだ語っていただける方はいると思っていたのだが・・・

あの言葉は本当に真実だった。

病に倒れ、そのまま入院生活へ。

施設に入られる方。

記憶が全くなくなってしまった方々。

辛いのはそう・・・亡くなってしまったという現実。

思い出すことは多い。

「空襲の中、両手にわが子の手を握りしめ、ひたすら逃げ回った。どこへ逃げ回ったのか記憶はないのよ」と言っておられたご婦人。ある日、たまたま私はバスの窓の向こうにそのご婦人がお店(氷室)の前に立っていた姿を見た。「ああ!」と。そして先般、亡くなられたことを聞いた。お元気なころに「みんなでおしゃべりをしたいわ」と言った言葉が忘れられない。

 

 

そして従軍看護婦をされのいた方のお話。「あの日はね・・・兵隊さんに残った少しばかりのお米でおかゆさんを作ったのよ。そして一匙一匙口に運んで・・・。でも力尽きて一言・・・おかあさんと言ってね。そのあとは亡骸を森に運んだ・・・」と涙を滲ませていた壮絶な体験談。兵隊さんの魂は火の粉とともに夜空へとんでいったのか?未だにその言葉が離れず私は涙がとまらないのだ。

 

この活動を始めてから、ある年から、「動画」に収めた。数年が経過している今。デジタルの凄みを感じ入れる時が来たと思っている。いろいろな体験談がデジタルという力で再現。それはただ見るということだけでなく感じ取って、そして「記憶」は繋げていってほしいと思う。

「としまの記憶」アーカイブ

http://movie.toshima-kioku.jp/

 

昭和20年8月9日 午前11時2分

2020 年 8 月 9 日 日曜日

昭和20年8月9日、午前11時2分。

原爆搭載機ボックス・カー号は、高度9,600メートルの上空から第二号の原子爆弾を長崎に投下した。

毎年、暑い8月がやってくる。

昔、被爆者の方々に取材したことがあり、その言葉の重みは毎年毎年、経年するごとに重く深く突き刺さる。決して忘れてはいけない。

 

昭和20年8月6日 午前8時15分

2020 年 8 月 6 日 木曜日

1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分。今から75年前のこと。第二次世界大戦末期、アメリカ軍が日本の広島市に対して世界で初めて原子爆弾「リトルボーイ」を実戦使用した。人類史上初の都市に対する核攻撃であるという事実について、誰もれもが心の中に刻み込まなければいけない。

やっぱりおかしいよね

2020 年 7 月 26 日 日曜日

地球の気候が変だ・・・と思っていたら、ある方が言う。「気象兵器ですよ」と。「気象兵器?何ですか?それ」と問いたいのだが・・・

先人たちの知恵に学ぶ 治水の歴史

2020 年 7 月 23 日 木曜日

 

最近の尋常ではない水害の頻発について竹林征三先生が「治水の名言」というご著書を発刊した。先人の知恵に学ぶことはどの世界も多いと思われる。

下記は竹林征三さんのプロフィル

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%9E%97%E5%BE%81%E4%B8%89

 

【タイトル】「治水の名言」

【発行】鹿島出版会

【定価】2,420円(本体2,200円+税)

【内容】治水の歴史は人類文明の歴史でもある。古来より、先人は洪水に対し命をかけた労苦の連続で、その過程で名言が生まれてきた。先人が遺した名言に秘められた教訓は現在も生き生きと輝いている。本書では、書物に掲載されていたもの、現地調査による石碑の碑文など、著者が感心、感動したものを収録。知っておきたい先人たちの名文句集!

[主要目次]

第一部:日本の治水史に見る名言

従事した仕事より見えてきたこと/治水意識の芽生え/戦国時代の武将の治水・治水事業の発展期/明治維新の治水・治水事業の成熟期/大正・昭和・平成の治水、治水事業のこれから/被災直後から復旧・復興の知恵/

第二部:治水の名言に秘められた教訓

日本は水害大国/河川に関する名言に秘められた教訓/災害に関する名言に秘められた教訓/治水は讒言と地獄の世界/治水秘術に関する名言に秘められた教訓/堤防に関する名言に秘められた教訓/ダムに関する名言に秘められた教訓/先人が遺した治水に関する名言/政治家・マスコミの迷言/真髄をついた警告としての名言/求められている風土工学と環境防災学の視座と展開/五訓シリーズ

 

火球の行方 習志野隕石として申請

2020 年 7 月 13 日 月曜日

国立科学博物館が713日に、今月2日未明に関東上空で目撃された火球の一部が千葉県習志野市で隕石として見つかったと発表。ニュースでその隕石を見て感動というか・・・不思議でなんとも言えない気持ちになった。

 

あの時間は轟音で飛び起き、すごい閃光に慄いた。もしや・・・宇宙人と遭遇するんじゃないかと、一瞬思ったほど。しばし、眠れなかった。後からいろいろ話しても「夢でも見ていたんじゃないの?」と興味のない人は殆どそんな感じ(笑)「しかしどこにいったのだろう?何か形跡はないのか?」と日々思っていた。

 

落下の衝撃で2片に割れていたというが・・・ちょっと信じられない。国際隕石学会に「習志野隕石」として登録を申請するらしい。

 

久しぶりに外で会合・・・

2020 年 7 月 1 日 水曜日

久しぶりに夜の会合。

少しずつ離れて座って・・・変に疲れる。

そして、終わったころは結構な雨降り。

そして寒かった。

なんでも東京はコロナウイルス罹患者が増えているというニュースを聞く。

なんとも背中にゾゾゾと怖さを感じる。