肉類の話。
牛肉、豚肉、鶏肉、そして好きなのが羊肉です。たまに馬サシも、鍋では猪もおいしいです。でもテレビのニュースでタケネズミとかが出てきて、もう眩暈です!中国って・・・
いやあ・・・パソコンに向かって長時間過ごしていると本当に目が疲れる。しかしブツブツいっている場合ではない。昔は・・・原稿用紙のマス目を埋めていたという事を思い出そう。もう戻れないよ、原稿用紙には。なんかんだいってもパソコン執筆しかない。疲れるけれど目薬さして頑張ろう。
夜は「神楽坂女声合唱団」の新年会。
20年を迎えるとやはり一区切りという感じは不思議。
例えば伊勢神宮。式年遷宮の制度は、天武天皇ののご発意により始まり、持統天皇の690年に第1回が行われた。歴史の間には一時の中断はあったものの、これまで20年に一度、約1300年の長きにわたり繰り返し行われ、平成25年10月には62回目の遷宮が行わている。
子供が誕生して20年は「はたち」という。
いろいろ考えながら時々夜景見て・・・また飲んで・・・
新聞記事でもニュースでも新型のウイルス疾患が中国で発見されてからはすなり報道されて来ている・・・しかし、何か知らないというか知らされない世界があるんじゃないかって思ってしまう。なんともざわざわするのだ。
アメリカ国内でも中国に渡航していた人の感染が初めてワシントン州で確認された。なんでも命取りとなるもという。飛沫感染だったら1人とかじゃすまないでしょ?中国湖北省の広大な省都である武漢市内の海鮮市場の関係者から始まっている?数百人以上が発症している?人から人への感染らしいが。。。どうもザワザワするばかりです。
一月は睦月。
正月は、家族や親せきが集まり仲睦まじくする「睦月」
始まる月から、元になる月から「元月」に。それが転じて「むつき」なになったという説もある。
稲を初めて浸すことから「実月」となってという説もある。
どの説も・・・ふんふん・・・と納得してしまう。
とにかく1月は始まりの時!
これは間違いなし(笑)
朝一番で代々木へ。
陰陽五行学の伊勢瑞祥先生と話す。
古い珈琲専門店。今ではあまり見かけない味わいの店構えは。
看板を写真に収めている人もいる。
とにかく、店内へ・・・。
淹れたて珈琲の香りが溢れている。
本日のお勧めは「コスタリカ」。
政治そして天災の話。ここでは政治はさておいて・・・
天災はね、今年、来年と「くると大きい」と伊勢さん。
6434人が亡くなった阪神・淡路大震災今日でなんと25年が経つ。
当時、大阪出張ではいつもお世話になっていたIさん。自宅で就寝中に壁の下敷きになり、若い命を落とした。彼女のおとうさまはその深い悲しみの中、まるで娘のあとを追うように亡くなってしまった・・・
そうだった・・・
神戸に住むご両親と連絡が出来ないと動揺する仕事仲間。彼女の小さなお子さんを預かったことも思い出した。
東日本大震災の時は外出先だった。
街はパニック状態。
見てはいけないほど緊迫した人々の動きを見てしまった日だ。
天災とは予測不能。
曜日と時間帯が大きなポイントであろう。
どんなに努力しても、想像を超えた世界は存在する。
そうだ、1999年に「地球最後の日」とか、世の中が大騒ぎしていたことを思い出した。
しかし・・・近い将来、大きな天災がくるのだろうか。
今夕は豊島区を中心に社会貢献活動を行っている団体やCSR企業を一堂に会する「社会貢献活動見本市&交流会」(共催:NPO法人としまNPO推進協議会、豊島区区民活動センター運営協議会、豊島区)。それぞれの活動内容を、パネル展示で紹介するイベント。今年で第14回を迎え、豊島区の社会貢献活動の祭典として定着している。今回も「としまの記憶」をつなぐ会でもブース出展する予定。
【日時】2月29日(土)11:00~17:00
第1部:社会貢献活動見本市 11:00~17:00
第2部:交流会 17:30~19:00(参加費1,500円)
【会場】としまエコミューゼタウン1F センタースクエア
遠征先のマレーシア・クアラルンプールで移動中、交通事故に巻き込まれ負傷したバドミントン世界王者・桃田賢斗さん。ニュースを聞いてただただ驚いた。運転手の方は亡くなったという。なんとも辛い話である。
以前不祥事を起こしてからしばし謹慎していたことがあったが、最近の活躍には目をみはるばかりであった。心から応援している。とにかく焦らず回復を祈るばかりである。
昔々・・・かなり昔のこと。ある霊能者のKさんと話している時、話の途中でいきなり語気を荒げて「なんでしないの!女性たちの生き方を纏めないの?」と言い出したことがあった。その瞬間、一体何が起こったかは理解できないまま、呆然と、「そんなこともあるんだなあ」程度の感覚で終わり、帰ったことがある。
当時といえば・・・
例えば記者会見にしても一歩進んだフレッシュな情報をもぎりとる仕事が多かった。また各社からの新製品情報にしてもニュースにしてもいわば先端情報を扱っていた。そんな日々の中で、たまたまKさんと仕事とは離れた時間にそんなことを突然言われた。ちんぷんかんぷんであったのだ。
しかし年月とは本当に不思議なものである。昨年、依頼された行政の仕事で、「平成史は男性でなく女性に絞ります」と決定して以来、インタビューの相手は時代の波を精力的に泳いでこられた女性にターゲットとなっっている。単行本一冊書きあげるくらいの勢いの人生の足跡をお持ちの方ばかりであ。たまたま、今回は「平成時代」という30年間に絞るのだが、この30年間のなんと怒涛にみちているか・・・言葉と言葉で積み上げていく作業のど真ん中にいる。
しばらく、霊能者のKさんとはもう連絡がとれないでいる。たまたまKさんが住んでいた郊外の駅に立ち寄ったことがあり、その時「確か、このあたりだったかな」と思って探すが、駅そのものの著しい変化。そして街の様子もすっかりと変わってしまっている。時の流れとともにいろいろなものが変化していく。きっと住む人々も全く変わってしまったのだろう。冷静になってみる。自分の頭の中に残像としてあるKさんの家のドア・・・室内の様子・・・そして室内のにおい。
今、何か使命をうけた気持ちでいる。あの「最先端にいる」などと一種のまやかしにも似た魔法にかかっていた時代を完全に過ぎ、今はもっともっと自分の足元を見つめなおし、それまで得た価値観すら変えていかなくてはならない時期になっていることを知る。
ただ・・・記憶だけではどうにもならないことを知る。