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2月, 2020 | ichikoTV - Part 2 ichikoTV

2020 年 2 月 のアーカイブ

Kさんの言葉が今頃になって・・・

2020 年 2 月 17 日 月曜日

出先でちょっとタクシーに乗る。新型コロナウイルスの話になり「タクシータクシーって本当に大変なんですよ」と運転手さんはぼやく。そして「街から観光客がいなくなった。浅草なんかはもうガラガラですよ。本当に驚いた」そして「ここまで行くと・・・テロですね」と言った。テロか・・・

昔々その昔の話だが、霊能者のKさんと話していたことがあった。「ウイルスが蔓延して本当に大変な時代がくるのよ」とKさんは言った。しかし、その後、私たちはバブル景気に踊り、バブルははじてけ、消沈した。そして次に何か新しい社会をむかえ、AIだなんだかんだと。ウイルスの恐怖など私の頭の中の片隅にもなかった。「国がなくなるくらいに蔓延するのよ」と確かにKさんは言った。言葉がよみがえってきた。もうKさんと付き合いがなくて連絡も出来ないままでいる。

何次感染か?などもう不明だし意味がなく思える今、あのKさんの言葉が実にリアルに思い出されてきた・・・

人生って不思議

2020 年 2 月 16 日 日曜日

20代の時に執筆した小説が近々電子書籍になる。先般もブログに書いたのだが・・・ある編集者の方が国立国会図書館で探してこられた。こうした行動もあるんですねぇ。

時間かかって私に辿り着いて連絡をいただいた時、まるで蝉の抜け殻を「はい、見つかりました」と目の前に出されたようだった。しばしその抜け殻を見つめ、呆然と話を聞いていた。「そんなことってあるの?」と。

そして、初めてさの編集者に出会った昨年末。国会図書館にある書籍は表紙がとれているものだということも知った。帯文も知らないまま、彼はもそのコピーを私に見せてくれたのだ。「はぁ・・・」としかコトバが出ずに珈琲を一口飲んだ。

日頃の原稿確認作業にまじって(笑) 改めての文学?の「校正」がほほ終わった。確か、最初の作品は19歳でしょ?汗がでる・・・当時の若い感性については全く手をいれることが出来ず。もう擦り切れた自分には不可能だ。勢いに任せて、ばんばんと批判のようなところは必死にカットした。しかし、国鉄だ、雑誌名にしても「そんなのあった?」と多分廃刊になっているものも多く、過ぎ去りし時代を感じた。

担当の編集者がたまたま鳥取県出身。当時の私はシャツにジーパンはいて、一眼レフのカメラを肩にかけて彷徨っていた。海岸線だ街だと歩き回った。多くの場所やコースもなかったり。そりゃそうだ。「ああ、そうですか・・・」と納得する。そう、「今はないのだ!」と。思えば当たり前だし、用字用語で使用禁止もあり、これはどうしたものか?と思ったが、そのまま表現してしまうことにした。

しかし!である。

人生の後半戦でこのような機会が訪れようとは、本当に夢にも思っていなかった。じーっと静かに埋もれて、風化して、喪失、忘却か・・・と思っていた。

人生は実に不思議なことが起こる。明後日は1980年代にお世話になった方のインタビューである。先方は「もう忘れてますよ」と電話口で笑った。だが、撮影、編集をする。デジタルはまたある意味素晴らしく!また半永久に残る。ある意味怖いよ!(笑)

いずれにしてもつくづく人生は不思議!!

よくフランス人が口にする C’est la vie ! か?

そうそうC’est la vie !です。

ネット社会に生きて

2020 年 2 月 15 日 土曜日

最近つくづく思うことはネット社会が進む中に自分が生きていて、そのメリットとデメリットがだいたいわかってきたということ。知りたいことや便利で助かることがほとんどではあるが、知らなくてもいいことってやはりあるね。表裏って本当に一体なんですねぇ。

薬物の怖さ

2020 年 2 月 14 日 金曜日

ニュースが流れても、驚かなかった。警視庁組織犯罪対策5課が2月13日に、覚醒剤や危険ドラッグを所持したとして、槙原敬之さんを逮捕した。1990年デビューし「どんなときも。」「もう恋なんてしない」などの名曲ほ作った。際立った才能など誰もが持っているわけじゃないのに・・・とても残念に思う。

そしてタレントの田代まさしさん。昨年からまた覚せい剤使用したらしい。ずいぶん昔の話だが、フジサンケイグループでゴールデンウイークに「スポーツフェア」というものを開催していた。そのフェアの中のあるイベントに田代まさしさんファミリーを事務局までアテンドしたことがあった。きれいな奥様とかわいい子どもたち、そして田代さん。本当に幸せそうなファミリーだった・・・そんな記憶がある。裁判の傍聴席で息子さんがいたそうである。「世界一のパパ」は一体どこへ行ってしまったのだろう?そう思うと悲しい気持ちになった。

果たして執行猶予は必要なのか?とも思ってしまった。

その売人や一緒に楽しんだ人の顔を見ると、薬物使用をした時の「快」の気持ちがよみがえると聞いた。しかし、薬物は廃人にしていく。生まれてどう自分が生きてきたか?誰とかかわってきたか?誰を愛してきたのか?何もかも。すべて「無」となってしまう。

相性が良いということ

2020 年 2 月 13 日 木曜日

夜は昔の会社の先輩たちと懇親会。

組織をいったん離れると人って最後は相性なのかな?と思う。

組織にいればやはり組織の一つの歯車でしかない?それから離れればようやく一人の人間がどう生きていくか?ということになるのだろうと。

組織を離れて、「会社つくるぞっ」と大騒ぎしていた人ほど、見ているとやはり何もせずが多いような。

結局、しつこいようだが観察していると誰かが核となってスタート。それに、相性のよいものが集まってくるようだ。

それは、趣味の集団でもないが「楽しく仕事をしたい」という事らしい。

若い時代に見ていた先輩たちの姿というより、組織を外れると「その人の本来の姿」を見ることが出来る。それほどに組織の中の人と離れた人とは異なる。

改めて思う。

先生

2020 年 2 月 12 日 水曜日

本当に「慣れないこと」がある。最近「先生」と呼ばれることが多い。「吉田さん」でよいのに「吉田先生」と呼ばれるとつい、「誰だ?」とキョロキョロする。慣れないというか・・・好きでない。

大学時代に家庭教師先で「先生」と、教育実習で「先生」と呼ばれても何も感じなかった。むしろ、そう呼ばれて「私は頑張らないと!」と思ったほどである。

2000年に神楽坂女声合唱団を小林カツ代がつくり、「団員は社会の中で、“先生”と呼ばれることが多い人ばかりです。ですから!合唱団の中で、“先生”と呼ぶことは禁止します!もし、そうよんだら、罰金1万円をとります!」といって少し・・・ニヤリとしたことがあった。それからは団員間は「~さん」で過ぎていった。今になってもつくづく思う。カツ代さんはさすがに良いことを言ったと。

しかし、国会中継を見ると議員はすべて「~先生」で呼ばれている。慣れているし、その呼ばれ方が大好きな人々なんだなあ~と思ってみている。しかし答弁中の先生!先生!は実に「邪魔な表現」。妙に気になるばかりである。

せんせい~♪ せんせい~♪

森昌子さんのデビュー曲だけでいい(^^♪

 

野村克也さん 安らかに

2020 年 2 月 11 日 火曜日

プロ野球の南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也さんが亡くなられた。享年84。確か、奥様が3歳上だったかと思うから同じか?野球きあまり詳しくないが、夫婦そろって、いろいろ情報番組では話題の多かった方だと思う。勝敗を細かく分析する方だとか。しかし、奥様を亡くされてからのあの寂しい表情はなんとも・・・と思っていた。本当に相性の良いご夫婦だったのだと思う。どうぞ安らかに。

 

甘い時間・・・

2020 年 2 月 10 日 月曜日

昨年の初秋、ある若い編集者と出会った。本当に「何故?」という出会いだった。国立国会図書館で昔々その昔の私の書籍と出会って、どうしても電子書籍にすべきだと・・・現代の「武器」であるインターネットから、漸く私に辿り着き、連絡がとれたということだった。

しかし、あの日、いつもはほとんど出ない固定電話の受話器を取った。ある意味不思議な行為だった。その直前に、某出版社の担当者の言い分に、少しというかかなり腹がたち、電話を切った後のことだった。冷静に考えれば今まで話していたりは携帯電話ではないか?その冷静さも忘れて、直後に固定電話の受話器をたまたま取って「また!なにか?」と、とってしまったのだ。「吉田さんですか?」と見知らぬ男性の声がした。何かの売り込みかと、少し機嫌の悪い声を出した自分。「はい」とぶっきらぼうにいうと「ああ!良かった!つながった!」と電話の向こうで妙に喜んでいる。一体何が起こったのか?分からず・・・そのまま声を聴いていた。

先ずはメアドを教えて、再度連絡をとる。来たメールの文面を見て?マークの連続だった。何かの間違い?もしかして騙されるのではないか?と失礼ながらいろいろ思いめぐらす。まあ、時間の蓄積と経過。いやな人間になったものだ・・・と。

そして、日にちを決めて正々堂々と編集者に会った。疑問の一つであった「何故?」と聞き、その編集者の生まれた年代からであった?という理由を聞いた。それでも「何で?」は消えず、いろいろ不思議な気持ちが多く、数カ月経った。「電子書籍に残して、若い世代に残すべきです」と彼は力説したのだ。国立国会図書館でコピーしてきたという作品の束を握っていた。それを見てしばし声を失っていた。

 

20代の時に執筆した原稿のゲラが出てきた。実に変な感じだった。校正を始めたものの、あまりに若い感性の放出は今の私には「別人の作品」にしか思えない。しかし、数回、読み進めていくと、その迸る感受性が原稿用紙のマス目を埋めていた時代の風が吹いてきたことを感じ、その時の「自分」が今、ここにある肉体の奥底に眠っていることに気づいた。

しかし・・・校正は疲れる。とくに老眼には辛い!ドライアイだし!と叫びたくなる。しかし、ルーテインの仕事とは別に、小説とは!こんな「甘い時間」も久しぶりかも知れないなあ。

だが、20代の自分に言いたい。主人公や周辺の人々がよく死んでしまうねぇ・・・なんでだろう?どうして?と笑いも出てしまう。あの頃って「死」をもって「何か」を表現したかったのだろうなと思うけど。

原稿は横書きに慣れている今は縦書きはしばし苦痛であった。修行に近かった。しかし、だんだん「小説」のにおいにも慣れてきた。

あの頃って恋の時間も瞬間もたくさんあったのだね。これまでは事実を追いかける取材記事、ドキュメンタリー、営業、事業企画書を書くことだけの時間の堆積。

思った!時には、次元を変換してみるのもいい。

もしかしたら「恋」の小説でも書けるかも知れない。

恋愛小説・・・書いてみるか!

快挙!アカデミー賞「パラサイト 半地下の家族」

2020 年 2 月 9 日 日曜日

第92回アカデミーショーの授賞式が2月9日ハリウッドのドルビー・シアターで開催された。なんと韓国の映画監督・ポン・ジュノの「パラサイト 半地下の家族」が作品賞を受賞した。アジアの映画として初めての快挙ということだ。

調べてみると2019年第72回カンヌ国際映画祭でコンペティション部門に選出され、韓国映画としては初のパルムドールを獲得。第77回ゴールデングローブ賞では最優秀外国語映画賞のみの受賞となったものの第54回全米批評家協会賞では作品賞と脚本賞の2冠を達成している。

実はロードショー初日に行って鑑賞したのだが、韓国の貧富の差というものがこれほどとは知らなかった。本当に貧しい人々が超高層のビルを見ながら、また半地下という生活をしている。この監督はこうした貧富の差を身をもって知っている・・・ということで「あそこのレストランがおいしい」とか「面白い芝居を見た」とか何となく過ごしている私たちにとっては想像も出来ない世界なのだと思う。韓国にはこうした半地下生活者が39万人ほどいるらしい。これほどまでに「事実」を知るということが大切なことかと。この映画の中に出てくる「セット」にも驚いた。あの豪邸もセット・・・当たり前か?そして家政婦の北朝鮮への叫び?この設定が一体何なのか?このあたりを知りたいと思った。とにかく脚本も面白く飽きなかった。ミステリー性そしてなんというか・・・日本の映画では描かないのではないかと思う結末までの「事件」。ちょっとぞぞーっとするシーンが盛沢山である。ホラーじゃないけどね。

影響力の大きさ

2020 年 2 月 8 日 土曜日

ウイルスでこれほどまで世界が各国々と繋がりがあるということが分かる。パソコンの部品がなく修理が出来ないと秋葉原の修理店は嘆き、メンマが輸入できずと、飲食店チェーンも「まさか・・・」の事態である。某大手商事会社は中国に駐在する社員はすべて日本へと。京都にしても浅草にしても観光客の激減。日々報道されるのはクルーズ船のこと。新たな感染者が見つかったと。夏の東京オリンピックは最悪事態も想定しないとならないのかと。