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甘い時間・・・

昨年の初秋、ある若い編集者と出会った。本当に「何故?」という出会いだった。国立国会図書館で昔々その昔の私の書籍と出会って、どうしても電子書籍にすべきだと・・・現代の「武器」であるインターネットから、漸く私に辿り着き、連絡がとれたということだった。

しかし、あの日、いつもはほとんど出ない固定電話の受話器を取った。ある意味不思議な行為だった。その直前に、某出版社の担当者の言い分に、少しというかかなり腹がたち、電話を切った後のことだった。冷静に考えれば今まで話していたりは携帯電話ではないか?その冷静さも忘れて、直後に固定電話の受話器をたまたま取って「また!なにか?」と、とってしまったのだ。「吉田さんですか?」と見知らぬ男性の声がした。何かの売り込みかと、少し機嫌の悪い声を出した自分。「はい」とぶっきらぼうにいうと「ああ!良かった!つながった!」と電話の向こうで妙に喜んでいる。一体何が起こったのか?分からず・・・そのまま声を聴いていた。

先ずはメアドを教えて、再度連絡をとる。来たメールの文面を見て?マークの連続だった。何かの間違い?もしかして騙されるのではないか?と失礼ながらいろいろ思いめぐらす。まあ、時間の蓄積と経過。いやな人間になったものだ・・・と。

そして、日にちを決めて正々堂々と編集者に会った。疑問の一つであった「何故?」と聞き、その編集者の生まれた年代からであった?という理由を聞いた。それでも「何で?」は消えず、いろいろ不思議な気持ちが多く、数カ月経った。「電子書籍に残して、若い世代に残すべきです」と彼は力説したのだ。国立国会図書館でコピーしてきたという作品の束を握っていた。それを見てしばし声を失っていた。

 

20代の時に執筆した原稿のゲラが出てきた。実に変な感じだった。校正を始めたものの、あまりに若い感性の放出は今の私には「別人の作品」にしか思えない。しかし、数回、読み進めていくと、その迸る感受性が原稿用紙のマス目を埋めていた時代の風が吹いてきたことを感じ、その時の「自分」が今、ここにある肉体の奥底に眠っていることに気づいた。

しかし・・・校正は疲れる。とくに老眼には辛い!ドライアイだし!と叫びたくなる。しかし、ルーテインの仕事とは別に、小説とは!こんな「甘い時間」も久しぶりかも知れないなあ。

だが、20代の自分に言いたい。主人公や周辺の人々がよく死んでしまうねぇ・・・なんでだろう?どうして?と笑いも出てしまう。あの頃って「死」をもって「何か」を表現したかったのだろうなと思うけど。

原稿は横書きに慣れている今は縦書きはしばし苦痛であった。修行に近かった。しかし、だんだん「小説」のにおいにも慣れてきた。

あの頃って恋の時間も瞬間もたくさんあったのだね。これまでは事実を追いかける取材記事、ドキュメンタリー、営業、事業企画書を書くことだけの時間の堆積。

思った!時には、次元を変換してみるのもいい。

もしかしたら「恋」の小説でも書けるかも知れない。

恋愛小説・・・書いてみるか!

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