2月4日(土)。
快晴‼
良かった!雨天中止だから!
・・・と空を見る。
立春をむかえ、いよいよ2023年に突入したわけでいよいよこれ‼というものが見えてくる筈である。
さて、令和3年8月から発掘調査を行っている「南池袋二丁目再開発地区」南街区エリア内で煉瓦造基礎の遺構等が発見され、同街区の一部は、大正8年設立された現富士フィルム株式会社の前身である「東洋乾板株式会社」の敷地であったことも分かり、それを少し前から追い込み取材していた。今日は実際に見学が出来る日である。
午前の部(10時30分~正午)と午後の部(13時~15時)の2回、「見学会」が行われたが・・・なんと、現場には、10時前から多くの参加者が集まり長蛇の列が‼ちょっと前、タクシーがわんわんやってくる。比喩が変ではあるが料亭前に黒塗りがやんやとやってくる、そんな感じ。つまり何とも分かりにくい場所であるからだ。長蛇の列ということもあり、 少し早めの入場に。しかし、この魅力は何であるのかと思ったが、一度は失われたと考えられた遺跡を見られるという事実。目の当たりに地下に残されていた様子は実に迫力のあるものでした。記事にはしたものの、なんという感情なのだろうか?この地には高層ビルが建設される。
縄文時代の穴。落とし穴には猪や鹿が落とされて人々のお腹を満たしたのだろう。江戸時代の畑ではいろいろな作物が育てられたのだろう。酒の器もきれいな状態だ、酒屋があったのだろう。
そして近代になって写真技術のスタートがきられた。乾板というものから。それを私はスマホの感度抜群のカメラで撮影している。映像ディレクターもスマホで動画撮影を続けている。思えば、なんて不思議な光景か・・・
遺構見学の後、東洋乾板の創業者のお孫さんである高橋俊之さん他数人で区役所の一階にあるカフェでお茶をのんだ。それほどに寒く無かったので屋外の席へ皆てで座った。感慨ひとしおという感じであり・・・暫くして「ここから見える風景もかわっていくんでしょうね」と高橋さんがぽつりと言った。そうだろうなあと・・・。超高層ビルが建てば、この日に確認した遺構も頭の中にだけ残り、今、目の前に見える青空も見えなくなり、多分ビルの外観の放つ煌きが飛び込んでくるのだろうと思った。