産経新聞時代の中堅社員研修の仲間が逝って3年の月日が経った。しかし、人とは亡くなってしまうと本当に戻ってこない・・・そんな当たり前のことなのかも知れないが、不思議な感覚である。
丁度、東日本大震災のあった年。その年のはじめ、彼はこれまで書き溜めた原稿を本にしたいなと思ったものの、何と医師からの余命宣告を受けていた。このこと、後になって、信頼する同僚の方から聞いた。初めて知ることばかりであった。
訃報にせっし、私は言葉を失ったままでいた。暫くして、その同僚の方に「もしものことがあったら」と託したその原稿の一部が見つかった。あの不思議な感覚は今でも残っている。本を出したいという気持ちと、希望はあってもそんなに自分には残された時間がない・・・そんな葛藤があったのだろうかと。
渡されたデータ。しかし、それはオールではなく・・・それからはいろいろ組み合わせて読み取っていく。それは地道なパッチワークのような時間であった。「どうするか?」と仲間たちと考えあぐねた。果たして自分たちに彼の想いをまとめることなど出来るのか?と。
「出版しよう!」と結論が出たその時からその作業は始まった。彼の独自の考えにいきついた 「幻の 稲荷山王朝」の歴史。原稿を古代史に興味のある方々に読んでもらった。皆が口を揃えて言う。「学会とは真逆の理論だね」とそれで終わった。しかし私たちは初志貫徹しかない!前進あるのみだと。古代史については皆は全く素人。ちんぷんかんぷんではあるものの「真逆の理論?いいではないか!」と言い放った。この時が、いわば亡き仲間の出版への船出であったのだ。
しかし、予想以上に校正に時間がかかった。彼の理論に対して修正など出来ない。しかし、死を前に、焦燥感もあったのだろうか。、文字の打ち間違い、計算のケアレスミスか。医師からの宣告をうけ、じっと密かに耐えていた彼の姿を想像すると涙が零れる。いろいろな感情の嵐の中、淡々と地道な作業が続いた。本当にコツコツという作業である。
2014年2月9日の夜中。ついに最終校正が終わった。翌朝、印刷所へ連絡。入稿となった。今は何か胸が高鳴っている。今はみな、いろいろな職場ほ、または実家に両親の介護の為に戻ったりと、思えば数十年前の環境とは全く変わってしまっている。しかし、これほどに再び、仲間たちの気持ちがひとつになったということは亡き彼の透き通った気持ちなのかも知れないと思った。「ようやくだね。桜の季節の出版が間に合いそうだね」とメールで、電話でいいあった。出版を記念し、彼を偲び、そして遠く離れた仲間たちと桜の下で再会をするのだろう。その日はもうすぐである。