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ch10.生活 | ichikoTV - Part 30 ichikoTV

‘ch10.生活’ カテゴリーのアーカイブ

血液型

2019 年 2 月 14 日 木曜日

会議の合間のちょっとした時間に血液型の話になった。随分前から血液型占いなるものは流行っている。とくにB型の人は気の毒(笑)「やっぱり!B型なんだね~」とよく言われていることも聞く。B型にしてみれば「だから何だっていうんだ!」の気分でしょう。

「えっ?吉田さん、A型じゃないんですか?」と言われた。。なんでもA型はどうもしっかりと几帳面タイプらしい。いや、違いますよ~

そうか・・・確かに仕事上では本当に細かい。結構というか猛烈に細かいかも知れない。多分、細かくなってしまったのだと思う。これは後天的なものだと思う。

本来は、芝生に寝転んで「ああ!気持ちいいね」とでも言いながら、青空に浮かぶふわっとした雲を見て「ああ~肉まんみたいだぁ~あはは」と思っているタイプなのである。

それが、大学卒業後に社会生活で、もまれもまれて実にいろいろなことを確認したり、細かく慎重なタイプになってきたようだ・

しかし・・・昔の事を考えてみる。あの小学校での夏休みの昆虫採集。綿密にしっかりやっていたなあ。毎日、天気の記録もしていたし、土だ水だの温度も測って記録していたりしていたことを思い出した。記録魔?好きなことには細かいのかも知れないな。こうなると気質?かなと感じた。

まあ、仕事でポカをして、いろいろな人々に迷惑かけるよりは几帳面に遂行した方が良いだろう。まあそれだけストレスも多くなってしまうがしっかりとマネジメントしていくしかない。

 

堺屋太一さん どうぞ安らかに

2019 年 2 月 11 日 月曜日

今では誰でもが使用している「団塊」という言葉。「団塊の世代」の名付け親であり現在の内閣府である経済企画庁長官を務めた堺屋太一さんが2月8日に亡くなったとのニュースを見た。

当たり前のことであるが・・・ああ!人にはやはり「命」というものがあり、そしてそれぞれの「寿命」というものがあるんだと思った。

1985年、「知価革命」を貪り読んだ。まさにバイブルのように新しいパラダイムの到来、まさに知価社会について考えた。

当時、勤務していた会社でのメディア戦略について日々、考え続けた。「これからは知恵を使え」「知恵の時代だ」!と駆け巡った。

今では古びた歴史でしかないが、当時、フリーべーバーの先駆けという存在の強みと追従してくるものの恐怖感にも似た感情だった。しかし、いつまでも安穏と守られてはいないのだ、そんな世界だった。この1985年から1989年あたりの空気感が未だに蘇ってくる。様々に考えに対して「革命」の使命のような挑みをさせてくれた。

今、昔とは比べられないほどに社会がものすごいスピードで変化していく。しかし、そんな中、どんなことにも真っすぐに向かっていくそんな姿勢を身に着けることが出来た時代だった。紛い物の世界に身を委ねたら、そのまま霧散していたに違いない。いや消失してしまったと思っている。

勝った負けたなんて🎵・・・そんな歌謡曲もあった。しかしあの時代は「決して負けるな!勝ち組になれ」それが目標値だった。だからこそ、その「知価革命」という革命を理解できたのかも知れない。

あの日の情熱が記憶に再度、刻まれた!

堺屋さん、安らかに・・・

梅の蕾が!

2019 年 2 月 8 日 金曜日

明日、東京の雪が降るとと天気予報で・・・

嘘でしょ~?

雪の日の足元。

実は最近、全く自信がない(笑)

雪に対して敏感。

雪かき専用のスコップなども以前購入していた。

いよいよ、明日はそれでも使うのかしらん?

イヌは喜び庭駆け回る?

絶対に駆けまわらないよ、私は・・・(笑)

しかし、こんなに雪が憂鬱になるなんて、想像もしなかった。

こんなに寒さに弱くなるなんて!

マイナス何度とか信じられず。

ふと、庭の梅の蕾が膨らんでいるのを発見した。

思わず「頑張ったねぇ」と言ってしまうほど。

しかし寒い!

 

重要!加湿 

2019 年 2 月 5 日 火曜日

インフルエンザが大流行のようです。ワクチン接種したにもかかわらずインフルエンザA型にかかったので何とも言えずですが・・・

今回、聞くところによるとどうもとくに子どもさんが目立っていますね。知人から1歳児のお子さんの事を聞いたらその辛さの様子が大変でした。

一方、罹患していない人・・・いろいろ聞いたところどうも「加湿」を心がけているようです。

勿論、睡眠、栄養、休息は大切ですが、どうもこの「加湿」がキーワードのようです。

2019年幕開け

2019 年 2 月 3 日 日曜日

 

伊勢会の第29回新年会の日であった。明治神宮に参拝。お神楽殿で清めのお祓いのあと、祝詞奏上。そして巫女さんたとの麗しき倭舞。天気にも恵まれ、佳き2019年の幕開けである。

 

広告のある生活

2019 年 2 月 2 日 土曜日

朝からフジサンケイ広告大賞の一般審査に出席した。ラジオ、テレビ、新聞、雑誌と活字や電波などのまさにメディアミックスの中で何を読み取るか?限られた時間内の勝負である。ここでも冷静さが要求されるのだ。ある意味「キャー!好き!」という反応とともに冷静な分析力か?

大学卒業してからメディアの世界の長くいたのでどうしてもある観方が抜けない。日々広告の世界を見ていたからだ。好き嫌いの世界でなく驚くほどの経済効果があった、そんな時代があった。

久しぶりにラジオ広告を聞きながら、中学生の時に読んだマクルハーンのマーケティング理論のあのハッとして感覚が蘇った。10代全般のあの生意気な自分を貫いた理論だった。鮮やかだった。

日々、情報の氾濫の中で、ただただ浮草のように漂い、別段被害もなければフェイクニュースにも鈍感になっている現代人。指摘すれば開き直り「何か?」とまで言う。いや言わない、言えないほどに情報たるものが何なのかも分かっていない・・・のではないかと。

某建設会社のあるラジオ広告を聞きながら、涙が滲んだ。長い歴史の中で人々の声、呻き、呟き、溜息、歓喜がきこえるようで、長編映画を見ているような数秒間であった。

大賞の結果は4月ごろの予定だ聞いた。まあその結果がそのものが「現代」なのであろう。

人々が生きている限り広告は消えないな・・・そう思った。生活の中の広告というより広告のある生活なんだなぁと。

 

逃げ月に!

2019 年 2 月 1 日 金曜日

気が付けば2月ではないか・・・・

毎年言っているが、2月は「逃げ月」というほど早くにスイスイ逃げていくのだ。

あれっていつだっけ?なんてボーッとしているとあっという間に半年が経っている。今年こそ!と思っていても、中高年の悲哀というか、実に時間が経つのが早いのだ。

芽吹いた、風がかわった・・・自然の変化にもっと敏感になって、いちいち感動することにしようと思った。子ども時代の「わっ!なんでだろう」という疑問も素朴に持ちたいと思った。

何れにしても4月1日には新元号が分かる。その時だ!多分人々の心の中で「平成時代」というのが一つ「歴史」の一つになってしまう瞬間である。

昭和に生まれ、平成を越して、そして新しい元号に。スゴイ時代をいきているものだと思う。

 

豊島区の勢いが止まらない!そんな中ペンギンケーキ(笑)

2019 年 1 月 7 日 月曜日

本日は豊島区の新年の名刺交換会。少し早めに会場となる「ホテルメトロポリタン」に入ったが、出席者がなんとぞくぞくと2000人を超え、会場に入れない人々もいたという。アート・文化というキーワードで2019年は豊島区の勢いが止まらない!

終了して、数人で喫茶へ。JR東日本のペンギンをかたどったケーキなど注文してしまう!南極から東京にきたアデリーペンギンちゃん。珈琲を飲みながらなんか和む・・・・

 

雪の怖さ

2019 年 1 月 6 日 日曜日

北海道の雪が想像を超えたのだろうか?1月5日の雪で欠航が相次いだ影響で、新千歳空港ではなんと6日も空港で一夜を明かした人々が2000人を超えたらしい。降り始めた時間とその雪の量が問題とか。

ふと昔、青森からの帰り、空港の雪が酷く、どうなるものか・・・と思っていたが飛ぶことになった。しかし、飛行機の中で乱気流というのだろうか?これまでに経験もしたことがないとんでもない飛行状態に死ぬ思いをしたことがあった。

天候とは人の想像を超える。それを考えて行動することもこれからはますます必要となるのだろうな。

過去という幽霊

2018 年 12 月 14 日 金曜日

今年は12月22日が「冬至」である。人間に脱皮する時があるのであれば、この時である。「冬至」は「陰極まって陽兆す時」。つまりこれ以上夜が長くなることはない時。太陽の勢いが強くなりはじめるというタイミングの事である。この時に脱皮しないと大変なことになる・・・と。

大きく、深く息を吸い込んで新しい年を迎えるのが良いそうだ。しかし、こういう時期は過去にしがみつくいわば幽霊のようなものに人は縛られる。つまり、過去のことや未練といったもの。未来が見えてくると、日が昇る前にあがくらしい。こんな話を聞くと何故か、ドラキュラを思い出した(笑)

いよいよ冬至が過ぎれば1月が来る。1月は「丑」月。つまり時刻でいえば、「丑の刻」のこと。「丑三つ時に幽霊が出る」というようにその未練といった幽霊を捨てて、一歩踏み出さないとならない時期。

そして、2月3日の節分には「鬼は外、福はうち」と言って豆をまく。2月4日はいよいよ「立春」となり脱皮した人は新しい一歩を踏み出すわけ。