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‘ichiko’ カテゴリーのアーカイブ

あららぁ・・・

2022 年 5 月 1 日 日曜日

気か付いたら既に5月に突入しているではないか・・・本当に何か気ぜわしく、本当に忙しい。時間を刻んでいる感じの怒涛の日が過ぎていった・・・

兵庫県豊岡市但東町

2022 年 4 月 17 日 日曜日

2022年4月16日(土)から17日(日)、兵庫県豊岡市但東町にいた。多分、この日の出来事についてはじっくりと自分の内で考えながら纏めていこうと思っている。ただ、山から下りてきた時、コウノトリが飛来し、森の中へ飛んでいったあの姿は私にとっては本当に幸福なひと時であった。

国境

2022 年 4 月 14 日 木曜日

「国境は燃えている」という映画があったが・・・

どうも私には「国境」の感覚はない。

昔、ヨーロッパを巡る旅をしたことがあったが、その時に何か「国境」をこえているという感覚があった。

今、世界地図を少し方向をかえて見ると、ロシア、中国という国との距離感が違って見える。「えっ?」と思うほどの感覚の違いだ。

そして、日本に住んでいると「宗教観」さえも違うことに改めて気づくのだ。


ちょっと・・・

2022 年 4 月 12 日 火曜日

今週末からちょっと取材で秘境の地へ(笑)本人至って真面目なんですが・・・その為にいつも以上に頑張って鍛えて、体力つけているところです。しかし、乗り継ぎ乗り継ぎ・・・で結構、移動に時間がかかりそうであるが、着実に体力は回復して気がする。一に健康、二に健康であるなとつくづく。

時は止まらない・・・

2022 年 3 月 28 日 月曜日

こういう時代にまさに直面しているんだな・・・と思う日々だ。

今頃何を言っているのか?と言われそうだが・・・

今までのこと、これまでのことは確実に「過去」であるということだ。例えば、人は死んだらどうなるのか?という質問にあれこれいろんな世界を彷徨する人々の意見は様々あり、それを信じて生きる。しかし、人は死んだら「無」になることは変らない。

たからこそ・・・というか、その「過去」に学ぶことの多いことに対して鮮烈に気づかされる。そう!人間か何を考え何をしてね「時」は経ち、そして「今」が「今」ではない事に気づく。「過去」となっていく時間の堆積と残り香のような感情を懐かしむこともいいが、過去から学ぶことのこれまで以上に気づきが多いことを知る。

昔、映画「ひまわり」をみた

2022 年 3 月 19 日 土曜日

随分、昔の話だ。学生時代、友達と映画館へ行き「「ひまわり」をみた。涙を流していた。何故か悲しいと言って共に涙を流していた。

30代になってから40代になってから・・・この映画を改めてみたのだが、心を揺さぶるものが学生時代とは全く異なって、それは自分でも驚くほどだったことを記憶している。

冷戦期にソビエト連邦で初めて撮影された西側諸国の映画「ひまわり」。第2次世界大戦下、ジョバンナ(ソフィア・ローレン)とアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)は結婚するがその幸せもつかの間、アントニオはソ連戦線へ送られる。終戦後、戻らない夫の行方を追ってジョバンナはソ連へ向かう。漸く、夫の居所を探し当てるのだが、戦場で遭難した彼はソ連の娘に助けられて・・・

戦争によって、ひきさかれた夫婦の悲哀という、それだけのものでない事が判る。マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンという二人の名優。そしてヘンリー・マンシーニの音楽。あの映像と旋律。何よりもエンディングでの地平線にまで及ぶ画面一面のひまわり畑。このひまわり畑はソビエト連邦時代のウクライナの首都キエフから南へ500キロメートルほど行ったヘルソン州で撮影されたものである。

日々

2022 年 3 月 17 日 木曜日

淡々と日常生活をこなしていく

耳に入る数々の情報

全てが把握できない中で

落ち着かないその感情さえも封印して

静かなレジスタンスなのかも知れない

言の葉

2022 年 3 月 9 日 水曜日

アメリカ合衆国の飛行家のチャールズ・オーガスタス・リンドバーグ。1927年に「スピリット・オブ・セントルイス」と名づけた単葉単発単座のプロペラ機でニューヨーク・パリ間を飛び、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功。1931年には北太平洋横断飛行にも成功した飛行家として有名である。

その1931年は航空路調査のため、リンドバーグは結婚まもないアン夫人と北太平洋をよこぎって日本を訪れる。千島を飛んでまず根室へきているのだが・・・・

リンドバークの妻のアン・リンドバークが千島列島の海辺の葦の中で救出され、いよいよ別れの時に横浜の埠頭で人々が「さようなら」と甲高く叫ぶこの言葉の意味を知らされて強い感動を覚えるのだ。

私はそのエッセイを読み進め深い感動に包まれた。

「さようならとこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉はもともと「そうならねばならぬのなら」という意味だとその時に私は教えられた。「そうならねばならぬのなら」なんという美しいあきらめの表現だろう。西洋の伝統のなかでは多かれ少なかれ神が別れの周辺にいて人々を守っている。英語のグッドバイは「なんじとともにあれ」、フランス語のアデューは「神のみもとで」と、再会を期している。それなのにこの国の人々は別れにのぞんで「そうならねぱならぬのなら」とあきらめの言葉を口にするのだ」と。

コロナ禍での日々を考えた。例えば・・・なんて言い方もおかしいが、叔母の亡くなった時も会えず、「さようなら」さえ言えずだった。

昨晩はふつふつと昔々の想い出をかみしめていた。余りにも仕事で忙しすぎた30代のある時、「電話くらいできるでしょ?」と言った叔母に対してそんなことさえ出来ないほど「今は忙しい」と返した自分のあまりにも幼稚な姿を思い出していた。

言葉は大切にしよう・・・もっと

何と申しましょうか・・・

2022 年 3 月 7 日 月曜日

最近は「普通の・・・」とか「当然の・・・」ということが何であるのか?分かりにくくなってきた。ただ、決して嬉しく小躍りしてしまうほどの真逆の現象は人間の本性をも丸裸にしてしまう、そんな気がしている。コロナ禍も3年目に入って、「来週には」といったようなことが言えない事態がワンワン押し寄せてくる。そしてウクライナ問題にしても然り。全く!真逆の考え方をする人も出てくる。楽しく過ごしている時は決して現れない?顔や考え方なんだろうと思う。しかし、決して否定はしてきならないのだろう。道徳から外れていることがらとは別にという意味である。


クルマの運転、ゴルフのプレイをみればその人の気質や人柄が大いに出るとは聞いたことがあるが、実に人間とは変容していくものだ。クルマも乗らず、ゴルフもしない人であってもこうした社会情勢にあってももろだしである。

歴史を刻む「法明寺」の梵鐘

2022 年 3 月 4 日 金曜日

先般、ロケで雑司ヶ谷歩きをしたが、江戸時代から桜の名所でもある「法明寺」がある。宥元年(810年)真言宗「威光寺」として開創され、正和元年(1312年)、日蓮聖人の弟子の日源上人により日蓮宗に改宗され、「威光山法明寺」となった寺である。その境内には酒井抱一が描いた朝顔と戸張富久の句が彫られた「蕣(あさがお)塚」や、曲尺、算盤、枡、天秤など度量衡の珍しい紋様が描かれた梵鐘がある。この梵鐘は第二次世界大戦の時の供出を免れたものだと聞いた。あの金属類回収令。武器になった多くの武器たち。暫く無言で梵鐘を見つめた。