朝一番で横浜へ。
蒸し暑さはどこも同じ。
ざっー!と雨が降りそうだ。
何年前だったのか?
イベントで横浜には日参していた時があったな。
ガイドブック取材の時はやはり毎日通った。
そうそう、ロケでよく使われる埠頭のBARで呑んだ夜の事も。
夜更けの海に心も奪われた。
そうそう、今はカジノ問題でゆれているな。
時代が街をつくる。
いろいろ思い出も多い、いや多すぎる。
そんな横浜。
朝一番で横浜へ。
蒸し暑さはどこも同じ。
ざっー!と雨が降りそうだ。
何年前だったのか?
イベントで横浜には日参していた時があったな。
ガイドブック取材の時はやはり毎日通った。
そうそう、ロケでよく使われる埠頭のBARで呑んだ夜の事も。
夜更けの海に心も奪われた。
そうそう、今はカジノ問題でゆれているな。
時代が街をつくる。
いろいろ思い出も多い、いや多すぎる。
そんな横浜。
「忙しい!忙しい!」という人がなんと多いことか。
本当に口開けば「忙しい」という人々。何かとならないの?と思っている。
彼らは決して「暇だから」などとは言わない人々。自分が誰よりも忙しいと思っている。
しかしあまり口に出しすぎているとみっともないよ・・・と思う。
私も時々「ああ!忙殺」と言ってしまうが本当に心までなくしてしまっている状態ということだ。これって最悪です。
会話にはもっと余裕をもった方がいい。「手伝うよ」と言っても決して恥ずかしいことではない。
寧ろ忙しい人ほど仕事は速いのだ。
昔からいう「忙中閑あり」。
実にいい響きだ。
夜中に大地震の夢を見た。タテに2~3回ほど大きく揺れて、あとは横揺れときたもんだ!私はものすごい勢いで踏ん張って冷蔵庫を支えている・・・はて?本当に地震か?夢か?で迷っているうちに沈み込むように寝てしまったらしい。
早朝、必死で地震情報を探したが何もない・・・やはり夢か!と思い、今度は「夢診断」の本を開いた。どうも地震の夢なんかいいわけがないよと不安。診断は2項目書いてある。「地震」で家屋が倒壊したり下敷きになったりしている夢はやはり悪夢だ。事業倒産だ、訴訟問題だと書いてある。嫌ねぇ。そりゃそうだな。よくは分からないが・・・踏ん張って踏ん張って揺れを実に冷静に観察している自分。しかしなんで冷蔵庫なんだ?疑問は山盛りであるが、そうか、そうかと納得する。
妙に忙殺されているこの頃・・・少しゆったりとお茶でも飲む時間が必要なのかも知れないな。
前に「感情も老化するらしい・・・」と書いたのだが、そこに、「昔の失敗をひきずる」ということもあった。
しばし意味が分からなくて、いろいろ考えていたが、要は「ひきずるタイプ」ということだ。例えば「昔の恋人が忘れられない」といった恋愛にも、「あいつが出で来なければあの業績は俺のモノだった」とかかな?とまたも安直に考えた。
そして、いつまでもひきずっている方はいることに気付いた。時間が経つと本当に忘れてしまう事をひきずっていつまでもずーっと言い続けている方はいる。対応は難しい。苦手なタイプだ。
実は「ああ、これか」とも思ったことがある。昔の肩書とか会社名をいつまでもひきずっている方もいる。
ひきずるか、ひきずらないかって、脳にある前頭葉の部分の問題だって。つまり「切り替えができない」タイプらしい。
切り替えはうまくやっていきたいと思います・・・なんで小学生の作文のようなことではなく、確かにひきずってもいいけれど、切り替え上手に「記憶」の一部としてひきずることが出来ればかなり人生生きやすくもなるのかなと思う。

暑いといいながらも静かに秋風を感じる・・・
ああ、夏の終わり。
昔、海辺の街で育った友人の一人が「海の家がしめられる頃になると、ああ!夏の終わりかさびしさでいっぱいになる」と言っていたことを思い出した。
夏の終わりを感じるものは人それぞれ。
海の近くで、山に囲まれて・・・
育ったところで人々の想いも違う。
本当に人それぞれ。
夏の終わりか・・・
夜に線香花火をした。
小さい頃の夏休みと言えば花火はいつもしていた気がするが、大人になると花火大会には行っても、手持ちで花火はなかなかしないな。
手にしたのは日本で作られた線香花火。シュワーッと燃えて、いきなりポターン!と固まって地面に落ちることはない。
バチバチバチバチ
一夜を鮮やかに彩ってくれた。
時として、予想もしないことが起こる。
仕事の依頼の場合は「そうか・・・これまでり実績に対して相手側が期待されているのかも知れない」と思う事はあるが・・・
決して「仕事」ではないところで「いきなり」ということがある。これには驚いて、胸の奥の奥で不可思議な鼓動となる。
例えばである!
ものすごーく可愛い美少女が街で声かけられてということは実に客観的な話である。好き嫌いなタイプはあるにしてもだ。
また、ものすごーく大金持ちがなんだかんだと投資話などでアプローチされる事。これも何となく客観性がある。貧乏であれば投資話など多分こないよね。
しかしねぇ・・・
いきなりねぇ・・・
これを読む人は「何を書いているの?」「暑さでいかれた?」と思うだろうが・・・
今一つの不安や機体や表現できない感情を持ったまま゛てはあるが、来週の展開で、一つの幕が開かれそうだ。
最近、書籍の購入は殆どがネットで注文してしまう。かなり古い時代のものでも意外と簡単に入手する事が出来る。
そんな中、先般、時間が少しあって書店内をぐるぐるまわり、ふと、新書コーナーのところへ来て「はっ!」と立ち止まった。「時の流れ」が耳元でザザザーッと聞こえた、そんな気がした。
あれは、高校1年か、2年生の時か・・・。そこが学校の図書館か、または家の近くの図書館だったか、それさえも記憶にないが、そのタイトルに強く惹かれ、読み進め、そしてずんずんと引き込まれたいった本があった。当時、新進気鋭と言われていた作家のものだった。昔は個人情報の管理も実に甘く、本の最後の著者略歴のところに自宅住所が書いてあったのだ。確かに昔からせっかち気質は変わらない。即効でその書籍の感想文を送った。何を書いたのか全て忘却している。しかし、数日して、その著者から葉書が来た。いきなり女子高生からの手紙。多分、当時はさぞ、驚いたと思う。
暫くして、秋になって某大学で講演会が開かれるから来ませんか?と通知をもらい、意気込んで出かけた。広い教室だった。後方の席に座ったが・・・目があった。講演会終了後、関係者たちに囲まれる中を振り切って、振り切って、走り抜ける。正門を出て、駅に向かって歩き始めた。何の言葉もかけずに歩いた。
不思議なことに・・・しばらくして「空腹である」ということに気付いたのか、駅前の吸い込まれるように喫茶店に入った。地下一階にあった喫茶店。店名さえ忘れている。ただ、背中を見ていた記憶。書棚があって水槽があって・・・という記憶は間違いかも知れない。何を話したかも忘れてしまっているものの、読んだら良いと勧められた書籍と作家名は覚えている。・・・あれが青春のひとコマなんだろうなと、今になって思う。思い出そうとすると何ともいえない不思議な感情がこみ上げてくる。
書店で、その作家の「老い」について書かれた書籍のタイトルに、暫し、時がコツコツと音をたてた。刻む音である。コツコツと、そう、思い出した。一気に書き上げた古い時計屋の話を送ったことを。どうしたのだろう?もう、なくなってしまっているかも知れないと。そして、敢えて問い合わせもしない。それほどに時間が経ってしまった。記憶の片隅に残像のようにある「青春」なのだと思う。
書店にて・・・いきなり思い出した「あの日あの時」。
・・・そんな日。
動物愛護をコンセプトに料理研究家の小林カツ代さんが始めた「神楽坂女声合唱団」も20周年を迎える。そんな中で「20周年史を作る!」と手をあげてしまった時から、今の忙殺も考えずにきているのだが・・・、本当に、想定もしなかったことが、いろいろいろいろある中であるが、今は、やはり手をあげて良かったと思っている。もし、あの日あの時、その手をあげなかったら、多分、そのままの時間を過ごしていたに違いない!からだ。
何を言っているのか?当たり前のことでは?と思われがちであるが、実は、そうではないことに気付いた。その時、その瞬間に人は「行動」を起こさないと見えないこと、分からないこと、感じないことが実はあるのだ。だからこさ、いきなり!まさか?が起こってくる。
だいたい、今は人間を相手に仕事をしているわけであるから(笑) いろいろな時代で、事態で人間同士が何を考え感じてどう行動してくるかが分かる。勿論、分からなくても人は息をして食べて飲んでいれば生活もできるだろう、たんたんと、日々のルーテインに従っていればよほどのアクシデントが無い限りは安全だろう。
「人って140まで生きられる!」とある人が言う。ちょっと前までは「人って120まで生きられる」だったかと記憶している。そして現在は何かあれば「人生100年時代」とまるで呪文の如くにいう。ちょっと前までは「人生80年時代」だった。
ストレス社会とはいうものの、いつ敵に襲われるかも知れない戦国時代でもなく、こんなに便利で快適な生活を享受していれば人は100歳は生きられるのだろうなあ・・・と思う。しかし最近はつくづく100というそんな数字に惑わされたくないなと思い始めている。
10年ひとむかしという言葉があるが、今の感覚では3年ひとむかしくらいである。あくまで、私の感覚であるが。いよいよ区史編纂の仕事で「平成史」に向かうが・・・この平成時代の30年間のすざまじい変化に、ただただ驚愕してしまうのだ。長い人類の歴史の中ではたかが、30年間なのかも知れないが、改めて、戦争のなかった、争いの無かった平成の30年間という「蓄積」がずんと重い。重くのしかかるまだ見ぬものに人々が必死に迷いながらも適応しようしたことに何か愛おしささえ感じる。
神楽坂女声合唱団も結成したかっちゃんこと小林カツ代は今、この時代にはいなくなってしまった。しかし、結成時のあの時代の「空気感」だけは自分が生きている時にしっかりと纏めたいと思っている。時として、時代に流されるのは意外とかっこよく見えるかも知れないが、決して流されず、自らが泳げる力を持っていないとならない・・・そう思う。
長~い会議が終わって帰宅途中。草臥れて足取りも重いが、ふっと夜空を見る・・・おっ!満月かっ!そして近くでキラリと輝いているのは金星か?すごいね!輝き方が。
こんな夜もあるんだなぁと・・・。
とことん輝く月と星。どんなことも「自然」には負けてしまうね!

まあ、胃がキリキリ悼むくらい、さまざまな案件をかかえていると、本当に「人」が見えてくるものだ。不思議と今までは見えてこなかったものを見せてくれる。やはり一瞬、たじろぐ。しかし、逃げることなく真摯に考えていくと「ほーっ!」というほど不思議と糸口が見つかるものだ。
いよいよ夏至に向かっている今、それらは、多分「転機」となるのだろうと思える。陽極まれば陰兆すのようにね、「トランプ」のジョーカーも悪い意味ではなくそんな時は「転機」になり、新しい展開へとなるのだろう。