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ichiko | ichikoTV - Part 23 ichikoTV

‘ichiko’ カテゴリーのアーカイブ

タケノコの季節に

2019 年 3 月 27 日 水曜日

そろそろタケノコの美味しい季節がやってくる。

昔から、山仲間が毎年、この季節に送ってくれるタケノコを楽しみにしていた。昨年は届かずだった。多分も母親の介護などで忙しいのだろう・・・そう考えていた。正月には決まって恥ずかしそうな声で新年のお祝い電話があった。思えばそれもなかった。ということで私は時折「元気ですか」など、簡単なメールをしていたが、返信もなかった。だが「多分、忙しいのだろう」と思っていた。

そんなある日、もう一人の山仲間の一人から電話がかかってきた。バリバリ会社経営をする彼女からの久しぶりの電話だった。すぐさま「連絡が出来ないのだけど」と彼女はかなり焦っていた。どうしたのだろう?何かあったのかしら?と立て続けに聞いた。

固定電話をかけたが既に使われていない。そして携帯電話もまた「現在使われておりません」とMESSAGEが流れた。え?いつ?と焦りがとまらない。彼は上京しては自慢の腕をふるって料理を彼女の会社のSTAFFに作っていたという。

こういう時は行政か?と私は、彼の住む県の役所に電話をかけて訊く。予想通りの回答だった。「個人情報は教えられない」と。「生きているか死んでいるか?だけでも教えてほしい」と訊いても答えは同じ。個人情報って?諦めきれず文書まで投函した。

もう手がかりはないのか?

彼女が「幼稚園でタケノコほりをしたりしていたと聞いたことがあるんだけど」と言った。実は!これが貴重な情報となるのだ。

その後、私は彼の住む地域をグーグルマップで見つめた。行ったこともない土地だ。だいたいの距離感はつかめる。「幼稚園・・・幼稚園・・・」と反芻しながら、幼稚園を探す。「ここか?」と一つ。迷わず、電話をした。電話口に女性が出た。何故突然に驚くが、電話をかけたかの説明する。そしてその女性が「その方のお名前は?」と訊いた。「Nさんです」とフルネームを言うと、「あぁぁ!」と小さな叫びが聞こえた。電話に出たのはその幼稚園の園長先生で、これも奇跡だった。そして園長は少し涙ごえになって「Nさんは昨年の5月に急に亡くなったんです。幼稚園でタケノコほりも企画していたさなかに・・・」と。その時に私はとんでもない事実を知った。「多分忙しいんだろう」ではなく既に亡くなっていたということ。特に独身だった彼の死は誰かによって伝えられることはなかったということだ。

園長からいろいろな話を聞いた。植物の名前は本当にたくさん教わったということ。彼がどれほどに園児たちとかかわって人気者だったかということを。そんな中だった。温泉施設で発作を起こしてそのまま亡くなったようだという。

思い出が多すぎる中、私はまたグーグルマップを見つめて、殆ど「勘」で菩提寺を探した。ちょっと神がかっていたかも知れない。それほどに情報がないときに、人は神がかるものだと思った。お寺は2件目でヒットした。住職と話したその瞬間、それまで背中に食い込むほどの悲しい感情がほーっと溶けて行った。そうか・・・やはり彼は亡くなったのか・・・嗚呼!亡くなったのかと。

一週間ほどして文書で「個人情報は教えられない」という内容が役所から届いた。私は丁寧に礼状を書き、そして亡くなっていたという事も書き添えた。

 

今年もタケノコの美味しい季節が巡ってきた。「誰が食べるのよ、こんなに?」と笑って言うほどのタケノコの山を見ることもできない。そう思うと、何故か、パーティーを組んで最初に登った山の風景が思い出された。高山植物ばかり撮影していた。山歩きをしている彼のうしろ姿が何故かとても懐かしかった。

 

チューリップ

2019 年 2 月 16 日 土曜日

花屋さんの花々が気になって来た。

チューリップを見つけて妙にウキウキしてきた。

この花は本当に不思議!

つい、微笑んでしまう。

風は冷たいけど、空気が春なのかも!

あの日あの時の海

2019 年 1 月 3 日 木曜日

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目の前の海はとても静かだった。

青空と青い海。

どうして?あの日、この海が?と。

2011年3月11日東日本大震災の日。

飲み込まれた街は見事によみがえた・・・ように見えた。

海をいつまでも見ていたが、やはり信じられなかった。

「ここまで津波がきましたよ」と宿屋のご主人は言う。

そして「梁の奥の奥まで入り込んだ」とも言った。

どれほどに大変だったか、その呻くような時間の経過を聞いた。

そして最後にすべては命あってのこと・・・そう言う。

その横顔に鎮魂をみた。

8年目になる。

海は静かだった。

 

 

 

初夢

2019 年 1 月 2 日 水曜日

初夢って1月1日の夜に?もしくは2日の明け方に見る夢でしたっけ?「一富士二鷹三茄」はあまりにも有名。とても縁起が良いとされていますが・・・2019年5月1日に元号がかわる・・・そんなことが頭の中を占めているからか?なんと天皇陛下と美智子さまの前で詩を朗読することになったものの、覚えられないので原稿を手に持っていてよいか?それを宮内庁に相談している、そんな夢だった。醒めた時・・・ど!どうしたのだ、私は!と思い長く沈黙してしまった。

 

2019年初詣

2019 年 1 月 1 日 火曜日

2019年の初詣。

心から願う・・・

そして御神籤もひいて。

「大吉」であった。

見上げると青い空。

どこまでも続く青い空が眩しい!

 

2018年12月31日

2018 年 12 月 31 日 月曜日

今、2018年12月31日月曜日。大晦日である。

「今」と言った時に既に「今」ではないけれど(笑)

理屈っぽいねぇ~

 

さて、今年は9月あたりから、まるでジェットコースターに乗っているが如くのスピード感だった。そして、ある意味スリルとサスペンス状態。強いストレスもかかっていた。「こんなストレスって癌のもとじゃいな??」と思う時も多々あった。だから、昔、一緒に仕事した仲間の葬儀では何とも言えない苦い悲しみに打ちのめされたのだ。

そう、秋にかけて時間の経過の速いのなんのって・・・酷暑続きで体力低下している頃、息つく暇もないほどにただただ慌ただしかった。己の理性を見失うほど(笑)慌ただしかった。来年は願わくば「これはやめよう!やめたい」と強く思う。

 

気分一新!2019年を迎えることにする!出来れば細胞ひとつひとつも変革したい。「意識改革」とでもいおうか。

人間って十人十色。多様性ありすぎ。だからどーでもいいことに対してはあれこれの「あ」の字くらいで対応しようと思っている。どーにかなるさぁ~命あれば程度に考えよう。あくまでも比喩だが、ラガーのように全力でぶつかるのはバスしよう。ふむふむ・・・「拙者通りがかりのものでございまする~」の余裕で生きようと思う。

しかし、今年、分かったことは「睡眠不足」は人間をかえてしまうということ。要は「狂人への近道」というもの。本当に「どうしちゃったの?」というほど狂うのだ。判断ミスもする。感情もぶれる。

確かに睡眠は個人差はあるが、しっかりとることがよい。「きのう徹夜だった」など全く自慢にもならないのだ。もう徹夜続きの日々なんてない。

先ずは自分にあった睡眠をとること。何も8時間ではない。5時間でも6時間でもいい。正常な神経?心理状態で過ごすこと。そして適度な責任感で「🎵ケセラセラ~なるようになる~」がポイントである。

 

お世話になった方々に感謝感謝です!

引き続き宜しくお願い致します!

 

AIとの未来生活

2018 年 12 月 30 日 日曜日

最近はちょっと人と話す時にはAIの話題でもちきりである。時代を斬るキーワードであるのだろう。

いよいよ来年で「平成」という時代が30年で終わり、新しい元号となるわけであるが、やはり「時代」というものの人の生活も変化していくのだろうと思う。最近は驚くコトもないが、やはり想定もしないコトが起こる時代になっていくのかも知れない。昭和時代に生まれ、平成という時代を生き、そして新しいし時代へと移る。話題で持ち切りのAIの作る「未来」へと突入していくのだろう。

 

あるメルマガを読んだ。

「京都大学の近くにカレー屋があったので入ろうとするとカウンター席に店長らしき人物が座って、帳簿らしきものを広げて頭抱えてるんですよ。いかにも絶望的に「今月どうやって乗り切ろう」て感じで。入るのをやめて、そっと立ち去りました。ああいうのは客から見えないところでやってほしいと思いました。」

別に今までは普通に読んでいた方のメルマガであったが何か底知れぬ、妙な寂しさを感じてしまった。もし、私であれば「よろしいですか?」と声掛けしてOKでればカウンターに座り、注文するだろう。驚いた素振りで帳簿をしまいながら「どうぞ」というかも知れない。大変なんだろうな、年の瀬にと思いながらも、寧ろその店主に話しかけてしまうだろうと思う。そしてお腹が一杯になって、その時に初めて「味」「価格」と諸々の何かを感じとると思った。

ふっと星新一の短編小説を思い出した。あるBARのオーナーが美人のロボット・ボッコちゃんを作った。接客もまあまあ。鸚鵡返しの会話もいいけれど・・・あの結末の怖さ!秀逸だ。

もし店主がAIであったら頭も抱え込まずに、店内に案内され席に座り、淡々と利益優先の商品を勧めめられ、それを何気なく食べるであろうって。経営悪化になったらどのように打開していくかAIはササっと答えを出すであろうって。経営がうまくいかねば、決して悩まずに「NO!」と判断するだろうと思った。

未来に向かって、きっと何かが変わっていくのだろう。それは徐々にか?いきなりか?いずれにしても変化というものに対して順応していくのが人間であるが・・・AIでは切り抜けないものが人にはあると私は信じている。

詩を感じた朝

2018 年 12 月 11 日 火曜日

 

 

急に寒くなったある朝のこと。

急に西脇順三郎の詩が読みたくなった。

それはまるで乾いた喉に一杯の水がすっと流れるような久しぶりの感覚。

理由は深く考えない。

本のベージを捲る。

「失われた時」

長編詩だ。

文字たちは心にすっと染み込む。

言葉の美しさに数分、酔いしれる。

 

「猫の首に鈴を付けるのは誰なんだ?」

2018 年 11 月 8 日 木曜日

「猫の首に鈴を付けるのは誰なんだ?」「影武者はいないのか?」・・・昔、サラリーマン時代から、だいたいこういう時は「吉田、お前やれ!」ということが多かった。今思うと「はぁ?」である。

「度胸いいからな」「潔良いよな」とよく言われ。しかし、どうもそのちぐはぐ感におかしいと若い時代は思わなかった。若さとはそういうあれこれをも払拭して「飛び込む」というすごい力があるものなのかも知れないな。

しかし、人は加齢していくと、いろいろな知識というか人生の澱のような知恵がついてくる。だから今は「あだだだ・・・」という感覚である。

そう、年とっても、この「猫の首に鈴を付けるのは誰なんだ?」のお役目がやってきた。もう度胸も愛嬌もない。だから、ただただ能面のように冷静に対応していくしかないと思うと一番弱い「胃」が痛むのだ。

まあ、鈴付けも永遠に続くことでない。そう考えて、さっさと能面で向かっていこう・・・と思う。

 

ああ!Suica・・・

2018 年 10 月 27 日 土曜日

先般、ボッーとテレビ番組を見ていたら「宝くじに当たった人」ということでデータ紹介があった。ある人の「トイレの夢を見て宝くじを買った」とあった。ちょうど、このところ私もトイレの夢ばかり見ていたので「よつしゃ!」ウホッホと気持ちは高まっいたのだが・・・

その日、やたらとあっちこっちへ回ることが多く、バッグをいつものバッグではなく、とても軽いものにした。バスケースからSuicaを抜き取り、スマホのケースにさくっと差し込んだ。回るところが多かったので駅でたんまりチャージした。そして、ちょっとエキナカで買い物していざ改札を入ろうとしたら・・・「ない!」。慌てて、店舗に戻っていろいろ聞いてまわったがやはり「ない!」。

すぐさま、みどりの窓口でそのSuicaの紛失届け出をして、使用禁止の手続きをした。翌日、カードの内容の調査の結果を聞きに行ったところ「あ~残高ゼロになっていますねぇ~」と言われた。「えぇぇぇぇ!」であった。まさかの素早さ!要は使われてしまったのだ。SuicaはコンビニでもファミレスでもタクシーもカードのSuicaという名前の如くスイスイ使える。

性善説の私が大揺れした・・・あああ!と思って遅い。パスケースにしっかりと入れなかった自分がいけないのだと反省したものの、「はて、どんな人が拾ったのか?「ゴミ箱に捨てられたら、まあ、出では来ないでしょうねぇ」と駅員の人が言った。願わくば、変なところにSuicaカードを捨てないでぇ~捨てるならゴミ箱に」と願った。

「きっと厄落とし~厄落とし~」と思った。そして、ワサワサしていないでもっと落ち着いた生活をしないといけないと猛省。

しかし、たんまりチャージした直後に紛失!駅の売店から改札口手前。そのゾーンは余りにも狭い。

宝くじの夢はいずこ・・・