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ichiko | ichikoTV - Part 23 ichikoTV

‘ichiko’ カテゴリーのアーカイブ

深川不動へ

2019 年 6 月 15 日 土曜日

強い雨が降りしきるが・・・気のおけない友人たちと深川不動堂へ。護摩焚きは古代インドの儀礼「ホーマ」を起源とする真言密教の秘法ということだ。ご本尊の不動明王のご宝前に設けられた護摩壇に私たちの煩悩を象徴する護摩木をくべ、そして本尊に捧げる。めらめらと燃えさかる火炎。それこそが不動明王の智慧。その炎を見ているうちに、このところモヤモヤとした何かの塊ようなもの。自分も含めた人間の煩悩か?霧散していく感覚になった。何なのだろう・・・と。

外は相変わらず強い雨が降りしきる。久しぶりに出会う友人たちの笑顔が愛おしいくらいであった。そして、隠れ家ともいうべき酒亭「沿露目」へ行く。美酒と目にも美しい料理を愉しんだ。まるで霧雨のような会話で和んでいく・・・こんな時間は至福である。

 

1通のメール

2019 年 6 月 13 日 木曜日

このところ、出入りが激しい。〝人〟の出入りである。多分、人と人との出会い、つき合いにも「時」というのがあるのだろうと思うようになった。

とても不思議な現象が起こった。これも何かの仕業か?と思えるほどだった。

ある朝のこと。ずっーとずーっと抱えて悩んでいるある問題があり、脳がフル回転していた。「どうしたものか?」と思っているところに一通のメールがきていることに気付いた。しかし、差出人にピンとこない。そこには「本当にご無沙汰しています。時間に余裕が出来ました。協力したい」という文面が。嘗てどんなことがあった・・・取材をした、記事を書いた・・・くらいは思い出しても、数年が経過していくと、意外と人はパッと切り離して前進前進してしまうものだ。多分、きっと何か言ったのだと思う。しかし、数年が経過。そんな時にメールがが届いたのだ。私は思わず「ああ!ああああ・・・」である。こんなことってあるのか!と暫くぼーっとしてしまった。そして、その日に事は着々と進み、大きな悩みの突破口が少しだけ見えてきた。しかし「どうして?今?」と、ただただ不思議現象というものだった。

人とは不思議そのものである。解明は出来ないのだろうと思う。

ただ・・・古人はいう。

去る者は追わず来る者は拒まずである。

デフォルト・モード・ネットワーク

2019 年 6 月 12 日 水曜日

なんとも、とんでもなく大きいお仕事が舞い込んだきた。今の自分にとってはかなり大きい。ササっと済ませて、さて次へ!というわけにはいかない。区史編纂ともなると・・・。既に令和4年発刊ということも決まっている。校正等考えれば・・・時間はそれほどに多くない。調べれば調べるほど、聞けば聞くほどに深まっていく。本当に冷静に立ち向かっていかなくてはササっと済ませるのが得意な自分にはかなり勉強せねば!環境へ突入である。ボーッとしている場合じゃないよっ!と思ったが・・・

 

さて、「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」と呼ばれる脳活動の事にかなり関心をもった。「忙しい」を連発する人々というか、連発する人にこそ、知ってほしいと思ったが・・・これは複数の脳領域で構成されるネットワークで,脳内のさまざまな神経活動を同調させる働きがあるもので、例えば自動車に置き換えると停止してもいつでも発進できるようエンジンを切らないでおくのと同じことらしい。つまり、これから起こりうる出来事に備えるため,さまざまな脳領域の活動を統括するのに重要な役割を果たしているということだ。

よし!これか!と思い・・・大好きなCOFFEEを淹れることにした(笑)

96歳!?

2019 年 5 月 17 日 金曜日

5月22日が「としまの記憶」をつなぐ会の総会である。会員のNさんに出欠の確認のお電話をすると、最初、ちょっと訝し気な声。「吉田いち子です」と名乗ると、Nさんの声がかわった。すかさず「最近は怪しい電話が多いですものね」というと「本当に!」と笑う。そして「96歳になっのよ~」と仰る、声もお元気だし、失礼ながら全く、耳もとおくなっていない。改めて驚いた。こんなにお元気な96歳って!と。まず、心身元気でいることが家族にとっても幸せなことだろうとつくづく思った。「おしゃべりしたいですよ」というと「そうね!」と明るい返事が返ってきた。Nさん、お待ちしています!

 

そんなプライドなんて捨ててしまえばいいのに・・・と思うけど捨てられないのもまた人間なのね

2019 年 5 月 11 日 土曜日

先般、何かのテレビ番組で「東京23区の中で一番プライドが高いのは世田谷区」と言っている研究者がいた。高学歴、高収入など「高」が多いらしい。そうか!高いプライドかと思ったが何でも早死にトップらしい。「高」が多くて、プライドが捨てられないらしいが、捨てられないプライドって何さ?と単純に思ってしまった。

確かに・・・卑近な事例として一つあった。詳細は避けるが・・・結構、ビックリして私にとってはえええーっといった「事件」だったが、多分、その方もその「ブライド」とかが邪魔してしまい、とんだ?行動に出てしまったのかと。そんなプライドみたいな変なものはは捨ててしまえば、気軽に対応できたものをと思った。

フレンチレストラン「コート・ドール」の斉須シェフの対談を聞いていたが、彼のいう「あるがままのすっぴん人生」という響きが妙に心地よかった。

 

どうした?自分

2019 年 5 月 9 日 木曜日

例えば、幕の内弁当。

好きなものはすぐさま!

栗があればすぐ口の中へポン!。

握り寿司定食もイクラやウニの軍艦巻きもいの一番。

しかし、どうしたことか!

最近は最後の最後まで後生大事に残す。

そして仕事。

これまた困った。

「メンドーだ」と思うものになかなか手がつかない。

それが人生最大の悩みのように手をつけない・・・

まるで子供みたいだなと、ふふっと笑ってしまうが・・・。

なんでもかんでも優先順位を重視してサクサク進めて行った自分が最近はどうもいなくなっているよ~

困ったものだと思いつつ・・・

まだ手を付けないでいる。

おいおい!期限が迫っている!

 

2019年3月31日

2019 年 3 月 31 日 日曜日

2019年3月31日。

明日、4月1日に新元号が発表されるとあって、本当にみんなが予測している。私もいくつか考えてみた。久しぶりに歴史年表とにらめっこしてみたり。それはそれで楽しい。

いろいろなことがあるが・・・健康でいつも何か考えられる人でありたいと思う。

あくまでも新元号が明日に発表されることであり、平成は4月30日まで続く。

平成最後~と騒いでいるようだが・・・違うよ(笑)

 

タケノコの季節に

2019 年 3 月 27 日 水曜日

そろそろタケノコの美味しい季節がやってくる。

昔から、山仲間が毎年、この季節に送ってくれるタケノコを楽しみにしていた。昨年は届かずだった。多分も母親の介護などで忙しいのだろう・・・そう考えていた。正月には決まって恥ずかしそうな声で新年のお祝い電話があった。思えばそれもなかった。ということで私は時折「元気ですか」など、簡単なメールをしていたが、返信もなかった。だが「多分、忙しいのだろう」と思っていた。

そんなある日、もう一人の山仲間の一人から電話がかかってきた。バリバリ会社経営をする彼女からの久しぶりの電話だった。すぐさま「連絡が出来ないのだけど」と彼女はかなり焦っていた。どうしたのだろう?何かあったのかしら?と立て続けに聞いた。

固定電話をかけたが既に使われていない。そして携帯電話もまた「現在使われておりません」とMESSAGEが流れた。え?いつ?と焦りがとまらない。彼は上京しては自慢の腕をふるって料理を彼女の会社のSTAFFに作っていたという。

こういう時は行政か?と私は、彼の住む県の役所に電話をかけて訊く。予想通りの回答だった。「個人情報は教えられない」と。「生きているか死んでいるか?だけでも教えてほしい」と訊いても答えは同じ。個人情報って?諦めきれず文書まで投函した。

もう手がかりはないのか?

彼女が「幼稚園でタケノコほりをしたりしていたと聞いたことがあるんだけど」と言った。実は!これが貴重な情報となるのだ。

その後、私は彼の住む地域をグーグルマップで見つめた。行ったこともない土地だ。だいたいの距離感はつかめる。「幼稚園・・・幼稚園・・・」と反芻しながら、幼稚園を探す。「ここか?」と一つ。迷わず、電話をした。電話口に女性が出た。何故突然に驚くが、電話をかけたかの説明する。そしてその女性が「その方のお名前は?」と訊いた。「Nさんです」とフルネームを言うと、「あぁぁ!」と小さな叫びが聞こえた。電話に出たのはその幼稚園の園長先生で、これも奇跡だった。そして園長は少し涙ごえになって「Nさんは昨年の5月に急に亡くなったんです。幼稚園でタケノコほりも企画していたさなかに・・・」と。その時に私はとんでもない事実を知った。「多分忙しいんだろう」ではなく既に亡くなっていたということ。特に独身だった彼の死は誰かによって伝えられることはなかったということだ。

園長からいろいろな話を聞いた。植物の名前は本当にたくさん教わったということ。彼がどれほどに園児たちとかかわって人気者だったかということを。そんな中だった。温泉施設で発作を起こしてそのまま亡くなったようだという。

思い出が多すぎる中、私はまたグーグルマップを見つめて、殆ど「勘」で菩提寺を探した。ちょっと神がかっていたかも知れない。それほどに情報がないときに、人は神がかるものだと思った。お寺は2件目でヒットした。住職と話したその瞬間、それまで背中に食い込むほどの悲しい感情がほーっと溶けて行った。そうか・・・やはり彼は亡くなったのか・・・嗚呼!亡くなったのかと。

一週間ほどして文書で「個人情報は教えられない」という内容が役所から届いた。私は丁寧に礼状を書き、そして亡くなっていたという事も書き添えた。

 

今年もタケノコの美味しい季節が巡ってきた。「誰が食べるのよ、こんなに?」と笑って言うほどのタケノコの山を見ることもできない。そう思うと、何故か、パーティーを組んで最初に登った山の風景が思い出された。高山植物ばかり撮影していた。山歩きをしている彼のうしろ姿が何故かとても懐かしかった。

 

チューリップ

2019 年 2 月 16 日 土曜日

花屋さんの花々が気になって来た。

チューリップを見つけて妙にウキウキしてきた。

この花は本当に不思議!

つい、微笑んでしまう。

風は冷たいけど、空気が春なのかも!

あの日あの時の海

2019 年 1 月 3 日 木曜日

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

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目の前の海はとても静かだった。

青空と青い海。

どうして?あの日、この海が?と。

2011年3月11日東日本大震災の日。

飲み込まれた街は見事によみがえた・・・ように見えた。

海をいつまでも見ていたが、やはり信じられなかった。

「ここまで津波がきましたよ」と宿屋のご主人は言う。

そして「梁の奥の奥まで入り込んだ」とも言った。

どれほどに大変だったか、その呻くような時間の経過を聞いた。

そして最後にすべては命あってのこと・・・そう言う。

その横顔に鎮魂をみた。

8年目になる。

海は静かだった。