
天然の鯛せを見つけた。おお!養殖の鯛とは本当に違うのだ。
先ずは刺身で、そして残りは煮て・・・
この季節の鯛は本当に美味い。

天然の鯛せを見つけた。おお!養殖の鯛とは本当に違うのだ。
先ずは刺身で、そして残りは煮て・・・
この季節の鯛は本当に美味い。

土曜日の午前中。そっと花見を楽しんだ。「花が咲いているだけだでしょ」という人もいるが、桜はやはり特別だと思う。小学校1年生の時、母の親友がニューヨークからのお土産に桜のブローチをくださったが、その時にそれほど感動はなかった、申し訳ないが・・・。桜へのこだわりというか興味ってトシとるほどに深まる感じがする。毎年毎年、桜は特別だ。
こういう時代にまさに直面しているんだな・・・と思う日々だ。
今頃何を言っているのか?と言われそうだが・・・
今までのこと、これまでのことは確実に「過去」であるということだ。例えば、人は死んだらどうなるのか?という質問にあれこれいろんな世界を彷徨する人々の意見は様々あり、それを信じて生きる。しかし、人は死んだら「無」になることは変らない。
たからこそ・・・というか、その「過去」に学ぶことの多いことに対して鮮烈に気づかされる。そう!人間か何を考え何をしてね「時」は経ち、そして「今」が「今」ではない事に気づく。「過去」となっていく時間の堆積と残り香のような感情を懐かしむこともいいが、過去から学ぶことのこれまで以上に気づきが多いことを知る。
随分、昔の話だ。学生時代、友達と映画館へ行き「「ひまわり」をみた。涙を流していた。何故か悲しいと言って共に涙を流していた。
30代になってから40代になってから・・・この映画を改めてみたのだが、心を揺さぶるものが学生時代とは全く異なって、それは自分でも驚くほどだったことを記憶している。
冷戦期にソビエト連邦で初めて撮影された西側諸国の映画「ひまわり」。第2次世界大戦下、ジョバンナ(ソフィア・ローレン)とアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)は結婚するがその幸せもつかの間、アントニオはソ連戦線へ送られる。終戦後、戻らない夫の行方を追ってジョバンナはソ連へ向かう。漸く、夫の居所を探し当てるのだが、戦場で遭難した彼はソ連の娘に助けられて・・・
戦争によって、ひきさかれた夫婦の悲哀という、それだけのものでない事が判る。マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンという二人の名優。そしてヘンリー・マンシーニの音楽。あの映像と旋律。何よりもエンディングでの地平線にまで及ぶ画面一面のひまわり畑。このひまわり畑はソビエト連邦時代のウクライナの首都キエフから南へ500キロメートルほど行ったヘルソン州で撮影されたものである。
アメリカ合衆国の飛行家のチャールズ・オーガスタス・リンドバーグ。1927年に「スピリット・オブ・セントルイス」と名づけた単葉単発単座のプロペラ機でニューヨーク・パリ間を飛び、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功。1931年には北太平洋横断飛行にも成功した飛行家として有名である。
その1931年は航空路調査のため、リンドバーグは結婚まもないアン夫人と北太平洋をよこぎって日本を訪れる。千島を飛んでまず根室へきているのだが・・・・
リンドバークの妻のアン・リンドバークが千島列島の海辺の葦の中で救出され、いよいよ別れの時に横浜の埠頭で人々が「さようなら」と甲高く叫ぶこの言葉の意味を知らされて強い感動を覚えるのだ。
私はそのエッセイを読み進め深い感動に包まれた。
「さようならとこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉はもともと「そうならねばならぬのなら」という意味だとその時に私は教えられた。「そうならねばならぬのなら」なんという美しいあきらめの表現だろう。西洋の伝統のなかでは多かれ少なかれ神が別れの周辺にいて人々を守っている。英語のグッドバイは「なんじとともにあれ」、フランス語のアデューは「神のみもとで」と、再会を期している。それなのにこの国の人々は別れにのぞんで「そうならねぱならぬのなら」とあきらめの言葉を口にするのだ」と。
コロナ禍での日々を考えた。例えば・・・なんて言い方もおかしいが、叔母の亡くなった時も会えず、「さようなら」さえ言えずだった。
昨晩はふつふつと昔々の想い出をかみしめていた。余りにも仕事で忙しすぎた30代のある時、「電話くらいできるでしょ?」と言った叔母に対してそんなことさえ出来ないほど「今は忙しい」と返した自分のあまりにも幼稚な姿を思い出していた。
言葉は大切にしよう・・・もっと
先般、ロケで雑司ヶ谷歩きをしたが、江戸時代から桜の名所でもある「法明寺」がある。宥元年(810年)真言宗「威光寺」として開創され、正和元年(1312年)、日蓮聖人の弟子の日源上人により日蓮宗に改宗され、「威光山法明寺」となった寺である。その境内には酒井抱一が描いた朝顔と戸張富久の句が彫られた「蕣(あさがお)塚」や、曲尺、算盤、枡、天秤など度量衡の珍しい紋様が描かれた梵鐘がある。この梵鐘は第二次世界大戦の時の供出を免れたものだと聞いた。あの金属類回収令。武器になった多くの武器たち。暫く無言で梵鐘を見つめた。

