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9月, 2016 | ichikoTV - Part 2 ichikoTV

2016 年 9 月 のアーカイブ

人生ってpass the gate・・・か?

2016 年 9 月 15 日 木曜日

仕事は「自分ひとり」のものでなく様々な人々に支えられ、そして影響されてなされているわけでありまして・・・よくいう「ばたばた」が協奏曲のようになるとまた大変!

ちょいとチカレタビー(古いっ!)

さてさて、いきなりではありますが・・・

タイトルだとロマンチックな感じ?の「酒とバラの日々」。

発表は1962年,同名の映画「Days of Wine and Roses」の主題歌。

映画のテーマはアルコール中毒。

意外?

夫がアル中に,それに引き摺られて妻もアル中に・・・。

夫はなんとかアル中から脱却できたものの,妻のアル中は更生できず,別れを迎えるというバッドエンドの映画。

作詞のJohnny Mercerは,「枯葉」「ムーンリバー」などを手がけている大御所.

 

様々な感情とともに彩られる若き日々は長くはない。

人はいやでも老いていく。

あの迸るような感情はどこへいったのだろう?

まあね~pass the gateか?

 

今宵、名月はたのしめるたろうか?

美しい月と美酒を楽しみたいものである。

感情に流され中毒にならない程度に(笑)

 

 

 

土壌汚染

2016 年 9 月 14 日 水曜日

恐怖にも似た怒りが止まらない。

人が人をここまでも裏切れるのか?と。

これは犯罪だと思うほど。

そして完全犯罪などない。

 

東京都の築地市場移転先に予定されている豊洲市場。

土壌汚染対策がこれほどに杜撰だったこと。

「わからないよ・・・」と嘘で固めた人間がいたとしてもいずれいなくなる。

食の安全に確かな日本という国で底知れぬ恐怖が生まれたのだ。

 

いろいろな情報が飛び交う中、知ればしるほど怒りをこえた感情が生まれる。

第一、土壌汚染対策のはずの高さ4・5メートルの盛り土が行われていないという実態。「調べればわかります」とか「後程、精査します」なんてレベルじゃない。

誰もが見ればわかることじゃないか。

元東京都知事の石原慎太郎さんが13日に某テレビ局のニュース番組に生出演し、築地市場の移転問題について言及した。

小池百合子都さんの就任以降、石原氏が移転問題について初めての言及だ。

つまり、石原さんが知事時代に「東京都」に騙されていたということ。

「僕はだまされたんですね」と石原さん。

要は「してもいない」大嘘に対して莫大なる予算をつけたという事実は「ある」のだ!

しかし、どこへ消えた?

その莫大な金は?

一般人としてどう考えたった摩訶不思議。

この事業に対してかかわった関係者の方々、そして都民ひとりひとりに対しての裏切り。

 

全て、膿を出せ

「何とかなるから」と裏切った者たちは・・・腹切りもんじゃないのか?

コトバストレス

2016 年 9 月 12 日 月曜日

日本語を扱って仕事をする身として、時々、くららっ~と躊躇うことがある。

眩暈さえしてくる。

 

「これマジ、やばいっす」

「ぶっちゃけ~どうなってるんすか?」

「っていうか~敷居高いっすよね?」

 

これらに戴して、一瞬、どう答えてよいか分からなくなるのだ。

「やばい」といっても「いけない」「まずい」といった負のベクトルではなく、「最高にいい」「抜群の旨さ」といったことも入る。

「このラーメン、マジやばいっす」と言われたら、カウンターの向こうで料理人はほくほく顔していてもいいのだ。

 

では「ぶっちゃけ」とは?

別の言い方で何といえばいいのかな?

「ホンネを言えばいいの?」程度。

しかし、また分からなくなる。

もう「敷居が高い」などといったら「敷居」の意味さえ知らない使い方をしている。

 

大論文を書くわけではないのだったら。もう、テキトーにかわすしかない。

しかし、ストレスはたまるばかりである。

そもそもの「敷居」の言葉に悩んでいるこんな自分の状態が「ぶっちゃけ、マジ、やばい」・・・

 

お見合い

2016 年 9 月 11 日 日曜日

亡くなった父親が、昔から「ひとぜわとかねぜわはするな」、つまり人のお世話とおかねに関するお世話はしないようにと言っていたものだ。父もいろいろ人生の中は苦労もあった中からでた言葉なのかも知れない。

私もちっぽけながらもいろいろあったが、どうも人のお世話は嫌いではないようでありまして・・・

本日は「結婚したい」という男性と女性のお見合いだった。

何とか、うまくいくといいなぁと思いながら・・・

メールがきた。

互いが「またお会いしてお話ししたい」とのこと。

その後は自由にどうぞということで・・・

何とかうまくいくといいなぁ・・・

性格

2016 年 9 月 11 日 日曜日

眠りが浅い・・・というと、健康なイメージきないな。

アルコールの力で、えいやっ!というのは良くないと昔からきいていたからなるべくやめようと思っていてもやはり意識がなくなっていくのはやはりそのお力が一番のようだ。

神経を休めるためにいろいろ考える。

日々が鈍感ではない・・・気がする。

 

先般「吉田さんって昔からそういう性格ですか?」と訊かれた。

そういうってどういう意味?と思って、一瞬、真顔の相手に思わず笑ってしまったが

「そう変わっていないと思いますよ」と曖昧に返答した。

現在、一緒に仕事を始めている人なので、「よく思われたいよね~♪」などと思っても

そういう?性格っていうものは、パパパーッとなおるわけではない。

兎に角「言葉」というものは伝達のツールであるから「きちんと伝える」ことだ。

なんとなく、「分かってほしいのぉ~」はビジネス上ではNGである。

「ね?言わなくたってわかるでしょ?」と曖昧に飛ばしては失敗する。

しかし、言葉以外にある相手の表情なども大切である。

同時に相手の気質、後天的なサムシングも読み取ることだ。

 

しかしね・・・昔は財布の中のお札のムキを全て揃えるということはなかったなと自分でも笑ってしまう。

領収書などでぱんぱんに膨れ上がっている財布は大嫌いだ。

カードも使用頻度別に並べる。

現在は、かなり神経質かも知れないなあ。

見かけは実におおざっぱなんだけどね~

まてよ、大学時代は購入した書籍を手帳にすべてメモしていたな。

今はこれはしていないな。

礼状は必ず。これは変わっていないな。

まあ、性格とは社会生活を送ってあれこれそれなりの経験をすれば、後天的な影響はかなりあると思っている。

だから・・・「そんな性格」なんです(^^♪

 

中秋

2016 年 9 月 9 日 金曜日

不思議なものである。

空気は湿っぽく、蒸し暑く、天気予報では相変わらず「熱中症にお気をつけてください」と伝えてくれる。

しかしね、必要以上に水を飲むと、どうも調子が悪くなる・・・

それでも季節は秋へと着実進んでいく。

9月7日からいよいよ中秋へ。

今年の中秋の名月はどんな月をみられるのだろうな。

鏡の様に透き通った月に、ガシャガシャした心も映ってしまうのだろうな。

こりゃ、参った!

 

魂の夜明け アメイジング・グレイス

2016 年 9 月 7 日 水曜日

51VcRrOansL__AC_US200_神渡良平さんの「アメイジング・グレイス」を読んでいる。

この歌に込められた人類の黒い歴史。

黒人奴隷貿易船の船長であったジョン・ニュートンが船をおりるまでになった苦悩と後悔。

人としてその尊厳を取り戻した時におのれをも救われたと歌詞に残すのである。

 

著者の神渡さんは働き盛りの38歳の時に脳梗塞で倒れ辛い闘病生活の中で気づく。

人生は一回しかないこと。

どんな人もなすべきことがありこの地上に送られているということ。

人生に起きる出来事に、意味のないものはないということ。

 

深い理解もなく・・・この歌を歌っていた自分を恥じる。

 

障害をもつ人が行なう芸術活動について セミナー

2016 年 9 月 6 日 火曜日

催し物のお知らせです。

 109日(日)、目黒区の東京大学駒場キャンパスで「障害とアートの現在:異なりをともに生きる」と題するシンポジウムが開かれます。

 「障害をもつ人が行なう芸術活動について」美術を専門に研究する大学の教員や、障害の当事者など、様々な人の話を聞き、対話することのできる機会です。ご関心のある方は、是非お越し下さいませ。

詳しくは、下記 

http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2016/10/symposium_on_disability_and_ar/

 

 

やはり猛暑だったのかも知れない・・・今夏

2016 年 9 月 5 日 月曜日

我が家のキュウリ君の収穫には・・・思わず笑った。

結局、収穫は1本だったのだ。葉は「見て~見て~」とばかりに生い茂って、黄色の花が次々に咲いて、もう期待にワクワクしていた。・・・にも関わらず、でぶっとい一本のキュウリでこの夏も終了。

まあ、ゴーヤがあらあらあら~というほどの収穫だったのでこの夏もめでたしめでたしということで・・・

しかしね、やはり今年はすこぶる猛暑だったのだ。ゴーヤだってずいぶんと途中で「あれ~っ」と腐っていったものも多かった。要は、本当に力強いゴーヤが大きく成長したのである。

 

さて、徳島大学の刑部敬史特任教授らが、生物の遺伝子を改変する「ゲノム編集」技術を駆使。なんと人工授粉が要らず栽培が容易なトマトを開発したという二ュースを見てもう感激!受粉なしに真っ赤なトマトが!高齢化している農家にとっても労力を節約できるだろうな。そして数年以内に新品種として実用化したい考えということでこれこそ期待にわくわくである。

ふっと未来の農業について考えてみる。

 

変化

2016 年 9 月 4 日 日曜日

変化・・・嫌いではない。

しかし・・・

昔から街に溶け込んでいた珈琲専門店などがなくなって、失礼な言い方だが気軽な立ち飲み屋などにかわっているのを見ると、ただただ唖然とする。好きだった席も失われた空間でしかない。

 

自宅の近くに鬱蒼とした“ところ”があった。いつからあったのか?近所でも知っている人がないほどに古い、その壊れそうな空き家は雑草に日々、覆われていくだけだった。その空き家が「橙の家」と呼ばれていることは知っていた。その庭には橙の木が象徴のように植えられていた。ある一人の“女性”が住んでいたということは訊いたことがある。

随分前の話だが、街の散策のような文化イベントで古い家を訪ねる企画があり、参加したことがある。一度だけ、その古家に入った。玄関から室内へ。昔は主がいたのだなという形跡はあった。写真などもそのままで・・・ああ!これが主人かと。その人が来ることを待ってお妾さんが日々暮らしていたのか?と想像した。居間?から庭らしき方向を見ると、その橙の木はよく見えた。奥へ行くと小さな台所があり、勝手口へと続く。その横に二畳ほどの女中部屋か?静かな女性たちの声が聞こえるようだった。日々、雑草に覆われる空き家はずっとずっとそのまま、ある景観して鎮座していた・・・

先日のこと。息をのんだ。知らぬ間にその空き家は取り壊され更地になり、その橙の木は無残にも切り倒されようとしていた。

「あっ・・・」そこには何もなくなり・・・ぽつんと更地が残る。3人の作業人が煙草をくゆらせている。何かぽつぽつと話しながらその紫煙は蒸し暑い空気と溶け込んでいった。

 

そしてまた一軒。

少し離れたところにも、昔はパラの季節になると、色とりどりのバラが咲き乱れる屋敷があった。手入れされたパラは誇らしげに咲き、そして時を刻みながら花弁をおとしていったのだ。

ある日・・・主を失った屋敷は取り壊され更地になり、勿論、パラたちも消えていった。そしてそこにはセンスのいいお洒落なワンルームマンションが建てられた。敷地いっぱいに。「ああ、これほど広かったのか」と思うほどにみっちりとその建物が地べたを支配していた。

 

街というには小さい・・・人々の住む、小さな小さなエリアが変貌して、そして昔、そこに何があって誰が生活していたのかなど全く霧散してしまうのだ。記憶の破片が果たして正しいのか?など検証もしないままに、小さな小さな街が変わっていく。