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4月, 2017 | ichikoTV - Part 2 ichikoTV

2017 年 4 月 のアーカイブ

卑劣ということ

2017 年 4 月 14 日 金曜日

千葉県我孫子市でベトナム国籍の小学3年レェ・ティ・ニャット・リンちやんのご遺体が見つかった悲しい事件があった。

多分・・・クルマをもっている。地元に土地勘がある。幼女が好きである。男性だろう・・・という犯人像が私の中にはあった。早く見つかってほしいと思っていた。

今日のニュース速報で言葉を失った。犯人はリンちゃんが通う小学校のPTAの会長であったという。暫く声も出なかった。リンちゃんの恐怖を考えたら・・・どんな気持ちだったのかと思うとただただ悔しい。

一体何なんだ?この人は?リンちゃんがベトナムに帰国するための募金集めを先頭きってしていたというではないか?狂っているというしかほかにない。もう、黙秘をしようとなんの「理由」もない。

親御さんの気持ちを考えると辛い。

ベトナムにいるリンさんの父親に容疑者逮捕が伝えられた時、お父さんは声を震わせて「ありがとう」と感謝の言葉を述べたという。どんなに辛い日々だったことか・・・

 

ピカピカの一年生が誕生した4月。友人もできて学校が楽しくなったころだろう。三年生といえば、いろいろな活動も始まる楽しい時期である。そんな身近に犯人がいたとは!子どもたちに何を信じたらよいのか?教えるのも大変である。警察も学校の教師たちの不祥事も「現実」である。こんな「現実」と子どもたちは向かい合って日々を過ごさないとならず。

この犯人は保護者達をもだましていたのだ。

 

 

 

雨の花見

2017 年 4 月 11 日 火曜日

今日は、かなり前から予定されていたお花見ランチの日であった。

かっちゃんことカツ代さんがご贔屓にしていたという新宿御苑近くの「礼華」で。

http://www.rai-ka.com/index.html

「私!晴れ女なのに!」と仲間たちは口々にいうけれど。

いやいや、朝から、笑ってしまうほどの大雨である。

それにこの寒さ。

4月に入って冬のコートはしまった・・・

店の前の桜は葉桜に。

雨にうたれる桜もなかなかの趣がある。

かっちゃん、また私たちの馬鹿話に大笑いでしょ?

浅田真央さんが引退

2017 年 4 月 10 日 月曜日

女子フィギュアスケートの浅田真央さんが4月10日にブログで引退を発表。確かに驚いて、そして26歳というちょっと忘れていた年齢にも驚いた。

「ソチオリンピックシーズンの世界選手権は最高の演技と結果で終える事ができました。その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません。・・・

復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました。そして、去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました。このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。」

原文を何度も読んだ。

ああ!本当にまっすく努力してきた人だったのだと。

 

羽生結弦 世界歴代最高得点を獲得

2017 年 4 月 5 日 水曜日

ヘルシンキで行われたフィギュアスケートの世界選手権。

羽生結弦のフリーの世界歴代最高得点を獲得。なんと素晴らしい!と、その姿にみとれるばかりである。

実は、どういうわけか、ハラハラ見ることが多い?フィギュアスケートであるが羽生結弦は特別なのだろう。なぜか安心してみることが出来るのだ。

4月4日、羽田空港に帰国。頑張れ!

甲辰月の始まり

2017 年 4 月 4 日 火曜日

陰陽五行では本日、4月4日は「清明」、甲辰月の始まりで、まさに「勝負の月」ということらしい。

命の終わりかもね~

宝くじ当たるかもね~

と伊勢瑞祥先生。

なーんていうこと!

なんでも「やるかやらないか、迷ったときは必ず「やる」方を選べ」でって。

本日は朝一からの企画会議!

今、抱えている企画。

よし「やる」を選ぶこととしよう。

 

雷鳴

2017 年 4 月 3 日 月曜日

昼下がりから友人たちとあれやこれやの会議。

大いにもり上がってきたころに雷鳴、

そして大雨。

なっなんなんだ?という感じの一日が終わる。

さくらは満開まで、あと少し。

さくら・・・思い出すことが多すぎる春。

 

「としまの記憶」をつなぐ会 WEB 完成!

2017 年 4 月 1 日 土曜日

http://movie.toshima-kioku.jp

これです!

URLです!

クリックしてみてください!

 

「人の記憶ってうすれていくよね・・・」

「何とか残したいよね・・・」

そんな気持ちから立ち上げたNPO法人「としまの記憶」をつなぐ会だった。

当初は「おいおい、年増の記憶か?」「何をのこすんだい?」などと一部に揶揄されたこともあったが、一年ごとに語り部の方々の記憶を丁寧に扱い、そして蓄積していくことで、漸くではあるがWEBが公開できるようになった。

たまたま「豊島区」での記憶ということで「としま」ではある(^^♪

こうした仕事は、うちわだけでやっているとどうも内向きの満足となってしまうため、外部の方々にも委員としてはいっていただき、制作した。

次年度はこれらの「記憶」に「地図」(年代別)をのせていく方向である。3Dとでもいおうか・・・そして次世代へ繋いでいくことが大切だと思っている。