終戦記念日。
平成生まれの若者が時折「え?日本って戦争あったんすか?」と聞くことがある。それほどに時間が経ってしまったのだが・・・かくいう自分も戦争を知らない。
玉音放送の読み方も分からない若者もいた。
下記は「終戦勅諭の和田信賢アナによる解説」である。お時間のある方はどうぞ。約17分ほどである。
祖父母、父母から「戦争」について少しは聞いていた。空襲、防空壕、戦災孤児といろいろ。聞いた時にあまりにも幼く、それは「興味」「関心」にはならずにいた。
年月が経ち現在、「としまの記憶」をつなぐ会で、多くの語り部の方々から、戦争の記憶などをインタビューしている。半永久的なデジタル「映像」として遺す仕事を始めからはその関心は深まる。
深川。
東京大空襲にあった方々の話を聞いた。お話、写真、絵で見る。想像すれば身震いである。言葉がでないまま、その方々の生きてきた足跡を考える。
戦災孤児・・・そんな一言で終わるのだろうか?今、そこにあるご婦人の微笑みの奥にしまわれた恐怖と家族を失った悲しみと、そして「今」に至るまでの人に言えないほどの辛さ辛さの連続だったに違いない。
「東京大空襲・戦災資料センター」
http://www.tokyo-sensai.net/index.html
外に出ると雨が強く降っている。
歩いて歩いて・・・
清澄白河で一杯のコーヒーを飲む。
若者で人気の店。
アメリカの本社があるカリフォルニア州オークランドの環境に似ているからということで数ある候補地の中から選ばれたという。海外各地から届いた豆が積み上がった倉庫の中で、大きな焙煎機で煎られる豆を見ながら、バリスタたちが入れるコーヒーを飲む。
実に不思議な不思議な感覚の中で飲んでいた。
時とは、あまりに大波のように過ぎていくものなのだ。
ただ私たちが言えることは「記憶」を風化させてはいけない・・・ということなのだろう。