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天災は忘れた頃にやってくる

10月7日の夜に発生した地震。現在の地震学ではどうも首都圏直下地震と関係しているのか?いないのか?分からないという。それを聞いて「ああ、そうなんだ・・・」と思った。

しかし、あの夜の地震。誰も予想だにしなく発生した。もう寝ていた人もいた。お風呂に入って慌てたという人もいた。そして、ある人は仕事帰りで、なんと地下鉄内に1時間少し閉じ込められ、恐怖だったと言っていた。

「お客が減っていて、大変ですよ~」と乗れば愚痴る運転手さんの多いタクシー。しかしこの日の夜はタクシーを待つ客の長蛇の列であった。

「帰宅困難者の問題が浮き彫りになった」とかテレビ番組ではまたもサラリ~サラリ~と軽くかわしているが、東日本大震災の時の状態をもう忘れたのか?おいっ!と言いたい。

9月1日の「防災の日」が終わり、9月という「防災月間」も終わったら、あの「防災グッズを揃えておきましょう!」から始まって、いろいろな防災特集が組まれるあの安直な発言やら企画ものの連続。もうやめにしないか?本当にリスクは目の前に迫っていると私は感じている。

さて、NPO活動で語りべの方々の証言を動画でのこしているが、1923年9月1日に発生した関東大震災。この記憶を持っていた方ももう亡くなられている。要は、人の記憶とは受けついていかないと間違いなく「風化」することを知る。

その時代を代表する物理学者・防災学者の寺田寅彦が残した「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉がある。物理学者の寺田寅彦は第五高等学校(現・熊本大学)で夏目漱石(なつめそうせき)に英語を習い、漱石が主宰する俳句結社に参加したことから、生涯親交を結び、「漱石の一番弟子」と呼ばれることもある。漱石の有名な小説『吾輩は猫である』に登場する水島寒月は寺田寅彦がモデルとされる。風変りな物理学者として描かれている。また『三四郎』にも、寺田は野々宮宗八の名前で登場している。日本より外国で知られた物理学者として登場する。

「天災は忘れた頃にやってくる」という警句、つまり起きてしまった災害を忘れることなく日々の備えをしようというものは書かれたものではなく、講演の中での発言とされる。この警句をのこした寺田寅彦は物理学者としても業績をあげたが、防災学者として地震・台風・火山などの被災地を調査し、そこから得た教訓を一般向けに著しているのだ。専門家の中で分かればそれでOK!OK!でないのだ。

人間って、本当に目の前の事しか興味がなく躍起になって想像するということが欠落する生き物だ。辛い、面倒な・・・様々な過去は振り返らない!と敢えて掘り下げようとすることもしない。むしろ、過去は葬ってしまいたいという感覚なのかも知れない。

今、先日の地震で見えた「帰宅困難者」。もうわかっていることだと思う。今後予測されるマグニチュード7以上の地震を想像、想定して準備はコツコツ、そして速やかに、継続し続けなくてはならないのだ。まだ分からない・・・いつ来るか分からないではなく、想像し想定しないとならない。

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