まだ終わっていない!
北朝鮮の拉致被害者、田口八重子さんの兄で拉致被害者家族会の前代表、飯塚繁雄さんが亡くなったニュースを見た。享年83。
平成19年11月に家族会の初代代表で、横田めぐみさんの父、滋さんに代わり、代表に就いた。妹の八重子さんとは17歳離れていた。代表の職をめぐみさんの弟の拓也さんに託した。
八重子さんは当時22歳。長男の耕一郎さんは1歳だったか。飯塚さんは息子としてずっと育てた。しっかり息子としてアルバムも作り、自分の子どもとして育てたのだ。奥様の強い協力もあった。
しかし、妹の失踪・・・だと思っていたことが北朝鮮の拉致だと分かったのは、あの大韓航空機爆破事件で、工作員の金賢姫からの証言だった。その時、飯塚さんがどんなに衝撃だったかと思う。
何度も読み返したが、元産経新聞社会部の阿部雅美さんが執筆した「メディアは死んでいた」では北朝鮮拉致報道の検証をしている。どんなに取材しても、他のメディアは一行も一分も報道をしなかったのだ。そのまま暗い〝闇〟の中に葬られてしまったのだ。
下記は飯塚繁雄さんが息子として育てた耕一郎さんの言葉である。無念と怒りが伝わってくる。
「父および前家族会代表の飯塚繁雄は、去る12月18日午前2時ごろ、(埼玉県)上尾市内の病院にて死去しました。享年83歳でした。本来でしたら、生前お世話になりました皆さまに丁重にご連絡すべきところ、このような形でのお知らせとなり誠に申し訳ございません。深くおわび申し上げます。別途、改めて記者会見や皆さまへのご挨拶の機会としてお別れの会などを設ける予定です。
葬儀については家族葬を予定しており、父をしめやかに送りたいと考えております。その点、ご了承頂きたく存じます。生前、父が本当に全国の多くの方々にお世話になり大変感謝しております。
改めて息子である私からも御礼申し上げます。ただ、田口八重子さんとの再会がかなわなかったことが無念であり、非情な結果となってしまった形です。2002年に父、飯塚繁雄が妹を救う活動を公の場で開始して以降の長い年月が過ぎてしまいました。もう少しなにかできなかったものかと悔悟し、今後、私個人として、この悲しみ、怒りをどうすべきかとも考えております。」
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会事務局長 飯塚耕一郎