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ありがとう  和子さん

知人・・・友人・・・仕事仲間・・・どうもピンとこない。そんなある女性の訃報に接した。暫く声が出なかった。しはらくして・・・漸く「ああ」と息がでたものの・・・どうも納得できない時間が経った。

女性は結婚すると家庭にはいり所謂、専業主婦でいることに何の疑問も持たずの時代があった、一度家庭にはいった女性たちがもう一度社会で羽ばたこうとい時代の風が吹いた。そんな時に私は彼女に出会った。

いわば、恵まれた家庭環境の女性・・・そんな女性が当時、はやり始めたコビーライターの教室に通い始めた。学び、経験を積んで、暫くすると小さな事務所をひらいた。当時、新聞社に勤務していた私は、同僚と二人で、彼女の作った事務所りあるマンションの一室に取材に行った。先方も確か二人だったか。こちらも二人で、部屋はきゅうきゅうだった。スタート時点にたった彼女の姿は輝く前の原石のようだった記憶がある。

こちらも忙しく・・・

彼女も再就職の為の学校の開校に頑張っていた。次第に彼女の周囲に勢いのある女性たちが息を吹き返したように集まった。私は企画書を書き、スポンサードに走り回ったこともあった。シンポジウムの企画提案もした。いろいろな業界で粗削りな主婦たちが試行錯誤しながら動き始めたのだ。

そんな時代の変化の風はどんどん強く吹いた。

「女性たちの時代が来た」とも言われた。

しかし、男たちの冷ややかな視線はそのまま様子をうかがうふうであった。いつも「俺たちとは違うんだ‼」と腹の底では思っていても・・・彼らはそんな時代の風に「おお‼大歓迎‼」と男が一瞬でもほほ笑む時代が到来していた。

一度歯車が回り始めると、彼女はこれまでにないというより、本来の「姿」か?世の中に登場して、マスコミも彼女を追いかけ、記事を書いたのだ。

そして

そんな人々が集まり語り合う「サロン」をオープンした。そこにはお気に入りのジュークボックスを入れた。時にはバンドも入って演奏から演奏のそれは甘美な時間が過ぎた。

ある時・・・まったく不明であるが・・・体調を崩していることはごく一部の人にしかわからない時があったことを知った。多くを語らず、多くの人に知らせることなくも彼女の身体は病に蝕まれていった。

時間は容赦なく流れ、過ぎていく。コロナの時もそうだった。こっそりとマスクをしながらジュークボックスの音楽に酔った。そう、音色が連鎖していくだけの夜を過ごした夜もあった。

「今ね、小学生くらいの体重しかないのよ」と電話の向こうで話す彼女の声を聴いていた。「小学生?」と聞き返したものの、「そう」としか回答はなかった。そして、ただ昔の自分を思い出すかのように、「そうよね・・・そんなこともあった・・・ふふふ」という笑い声と相槌。私は、弱くなっていく彼女の声に心の奥の奥のところで「ああ・・・人生って‼なぜ?」と叫んだ。

ちょっと長い時間だったね・・・

心の整理にはまだ時間がかかりそう。

連続ドラマのように、「夢」で会いにきてくれないか?また、あのジュークボックスの前で「次はどれにする?」と曲選びをしたい。

どうぞ・・・

やすらかに・・・

やすらかに・・・

そして、ありがとう

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