「喪中につき年始のご挨拶を失礼させていだたきます」
欠礼の葉書が届く頃だ。
ちょうど賀状をどうしようか?・・・と思う頃と重なる。そんな中、一通の葉書が届いた。
「いい記事をお送りくださり有難うございます。私の宝物です」と。今年の3月に101歳で亡くなったNさんのお嬢さんからのものだった。心の中で、何かあたたかい涙が流れた、そんな感覚だった。
「戦争中は本当に食べるものがなかったのよ。雑草までも食べた。食べることが仕事だったの」と何度もNさんは語ってくれた。雑草・・・私の頭の中にはその言葉がいつまでも響いて、一体どんな雑草だったのか?他のいろいろな方々の取材での話も参考にしながら調べた記憶があった。
「100歳になったのよ」と微笑むNさんの表情は本当にキラキラしていた。見惚れるほどにつややかだった。そして、101歳で亡くなったと聞かされた。裁縫が好きで息をひきとるまえに、一生懸命に手を動かしていた・・・そんなお話も聞いた。ちょうど、音楽家の坂本龍一さんがやはり亡くなる時に手を動かしていた・・・まるでピアノを弾いているようだった・・・そんなん話が頭の中に残っていたのと重なった。Nさんも「私ね、お裁縫がもう‼大好きなのよ」と裁縫を楽しそうにしていた。そのキラキラした姿からはあの戦争の悲惨な体験は想像出来なかった。
人は・・・一生懸命に生きるというその「姿勢」が大切なんだとしみじみ。何歳だったな、ちょうど何歳になった時でしょ?、もうすぐ何歳になった筈なのに・・・これは、ある意味「記号」のようなものだなと、またしみじみ。
「私の宝物です」というNさんのお嬢さんのしっかりとした文字に、「ああ、良かった。本当にお世話になりました。有難うございます」
そんな気持ちで一杯になった。