直木賞受賞の「藍を継ぐ海」。
理系作家という肩書の伊与原新さんの作品だ。
読書は好きだが、久しぶりに面白い本を読んだ。
初めての知識‼これまた良かったな。

直木賞受賞の「藍を継ぐ海」。
理系作家という肩書の伊与原新さんの作品だ。
読書は好きだが、久しぶりに面白い本を読んだ。
初めての知識‼これまた良かったな。
新聞社時代にお世話になったたからしげるさん。現在は児童文学の世界でも大活躍であるが・・・
「どっち? ラスト1行の四字熟語」(PHP)が新発売された。大好評『ラスト1行の四字熟語』、待望の続編です。不気味で怖いお話もある・・・実は私はこれが好きなのだが(笑)
ラスト1行は必ず「2択」の四字熟語で締めくくられているところがミソ‼
多分ね・・・
まさに、日ごろ、間違い続けながら使用しているであろう「四字熟語」の意味や使い方が身につく「一石二鳥」のショートストーリーです。前書と本書の2冊で238個の四字熟語が‼これってすごいよ。
時間あったら
たまにはスマホおいて本を読んでみては?
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ある意味、暗黒のコロナ時代、手帳をしっかりと確認していかないと一体自分はあの頃に何をどうしていたのか?分からなくなっている。不思議なものである。その後に、諸々あって・・・ミュージカルなどで活躍されている先生にボイストレーニングをしていただくようになってから、何かが変わった。もう駄目だなと思っていた時間もあったが、ある時から、その不思議な変化に気づき、先生に伝えたところ「声帯も筋肉だからね」と言われた。そうか・・・声帯も筋肉かと❢感動した。妙に嬉しくなって、もやもやしていたものが払拭された。そして・・・
先般、2月1日にある「まちづくり」のプレゼンテーションがあった。しっかりと企画の意図を説明しないとならない。しっかりとした自分の声で。
企画書、申請書など諸々を提出した後で、いざ本番に強いと自分で思っても、ある賭けを自分の中でしていたので責任の重さで緊張が走っていた・・・終わって、審査があり・・・発表へ。2通りの現実を冷静にら受け止めなくてはと思いつつ、やはり、賭けともいうべきものに対する責任でまた緊張が走った。
「最優秀賞を発表します」という声の後に・・・奇跡だと思った。「ああ」と声にならない声が心の中で響いた。見事、受賞‼
懇親会の時、審査員の方々とまた話で盛り上がった。
その夜は久しぶりに・・・泥のように眠った。
先般、「昭和の歌謡曲を歌いたい❢」という会?があり、久しぶりにカラオケを楽しんだ。何年ぶりだろうか?合唱はやっていてもクラッシックが主だから、歌謡曲をカラオケで歌うことは本当に楽しかった。
しかしある女性が熱唱していた歌の中で「ダイヤル回して~」。おいおい、それは電話?と、皆で大笑いしてしまった。「改札口前の伝言板」など今では全く意味不明の歌詞が連続で出てくると実に楽しいものだ。
たまには昔を思い出してみるのもいいものだ。
今はない歌詞の世界を調べてもまた面白いなと・・・いつもの悪い癖が出てしまった(笑)
2025年1月3日‼またまだ屠蘇気分‼ そんな中、栃木県の大谷資料館・地下採掘場跡へ行く。ここは1919年(大正8年)から1986年(昭和61年)までの約70年もの歳月をかけて 大谷石を掘り出して出来た巨大な地下空間。テレビなどでは見ていたが、なかなか興味津々でも行けなかった場所。結構、パワー必要な階段‼の連続に続き、2万平方メートルにもおよぶ広さ。且つ、坑内は冷蔵庫か?といった感じ。今では、コンサートや何と結婚式も開かれるが、戦争中は地下の秘密工場として、戦後は政府米の貯蔵庫として利用されていたらしい。迫力満点です。
12月8日(日)は神楽坂女声合唱団のチャリティーディナーショー。2000年の5月に結成された合唱団も24年目の年末のショーを開催するとこができる。やはり感謝しかない。今年も2名の団員の「死」の報せがあった。その度に哀しみを感じ、そして自分でもびっくりするほどのそれぞれのな素敵表情と印象的な言葉を浮かべることが出来る、
今年の曲のひとつに「昴」がある。1980年4月にシングルリリースされた谷村新司さんの曲である。60万枚の売り上げがあったという。今回、私たちが歌うものは編曲もあってか、かなり凝った作りになっている楽譜。曲は勿論だが、歌詞がとにかく素晴らしい。エピソードを読んだ。谷村新司さんがある時、引っ越しの為、荷造りの最中に「詩」は降り注いだらしい。思いのまま、段ボールに書き留め・・・その後20年ほど経って「これはプレアデス星団からの啓示」ということを谷村さんは言う。ブレアデス星団=和名が「すばる」である。これは、物質的な生き方に別れを告げ、目に見えないものを大切にする豊かな心を求めていくものたということ。突然、降り注いだ啓示とは?。
嗚呼‼ 2023年の10月8日に亡くなった谷村新司さん。やはり彼は天才だったのだと思う。
いろいろな意味を理解し、心を大切にして12月8日は歌いたいと思います。そして今回のチャリティは能登へ義援金としてお渡しする予定です。
現代を代表する詩人の谷川俊太郎さんが、11月13日に老衰のため亡くなったというニュースを見た。享年92。
何とも無念というか・・・人ってやっぱり死んでしまうのか・・・と思った。
高校時代に詩を作り始め、1952年、詩集「二十億光年の孤独」を発表しデビューたれた。広い宇宙に生きる孤独な人間の姿を見事に表現。天才といえる表現。
生きるという素晴らしさをつづった「生きる」や、世界中で朝を迎える様子を描いた「朝のリレー」。これからも読み続けたい。
先般、企画ものの件で、アートセラピーなるものを体験した。一人で絵を描いて。いろいろアドバイスを受けるものかと、簡単に考えていたが・・・参加者の二人が面と向かって好きな色のクレパスを選び、時間内でいろいろ絵を描くのだが・・・絵とというより寧ろ記号に近い感じか・・・
私は黄色いクレパスを選んだ。とくに「月」が好きなので、白い画用紙に真ん中ドーン❢と満月を描きたいと思ったその瞬間、相手がピンク色でワワワーっと描き出した。その女性の意外性?に一瞬たじろいだが、ふっと不思議な気持ちになった。あらら・・・相手が見えてきて、且つ自分の心の動きがだんたん分かるようになってくるのだ。これは不思議としか言いようがなかった。「会話は一切禁止」と言われたからか。会話なしで友人でもない人間とは?そしてう数分か、時間が経つと、他の人に交代する。いやはや、次は相手のイライラした神経?ストレスか?疲労感?なんともザワザワとした波が押し寄せてきた。「ああ・・・」と思った時、私は木を描き出し、そして枝に葉をつけ足していく。一体なんなんだ❢と叫びたくなる感覚だったが、相手の押し殺したような爆発しそうなストレスが伝播した。多分、私は必至にその木にしがみついたのか?そんな感覚で時間が過ぎた。
まだまだアートセラピーの第一歩らしいが・・・たまには数十年の間にたまった、社会性というか、生活垢を落としてもいいのかなと妙にすっきりした。
2024年10月に入り、猛暑酷暑を忘れられる日々の中、訃報とは本当にせつない。神楽坂女声合唱団でしばしご一緒していた弁護士の大谷恭子さんの訃報に接した時、当時の事が一気に思い出せた。いろいろ思いだせばだすほど・・・言葉にならない時間が過ぎていった。
そして、俳優の西田敏行さん。昔、仕事場で一緒だった俳優のJちゃんと西田さんの舞台を観にいった時がある。「楽屋に挨拶にいこう❢」と彼女が言い、ついていったこと事があった。楽屋の西田さんは上半身裸。あの声で「ありがとね」と何度も繰り返し、大汗を拭いていた。その様子はまるでドラマのワンシーンのようだった。
あらためて西田さんのプロフィルを見た。なんでも5歳の時にお父様を亡くし、お母さんが再婚。実母の姉夫婦の元で養子として育つ。ある新聞のインタビューで「『かわいい子でいないと僕に居場所はない』って、かわいい子を一生懸命に演じました。そんなような思いが俳優という意識につながっていったと思います」と述懐する様子。「養父母に認めてもらいたい」と一途に・・・そんな自己表現はやがて、かけがえのない武器に変わったと
どの役にもその役の「本人」になりきってしまう役者さんだった。生意気な意見だが、芝居がうまいとか下手とかいう次元ではなく・・・あの人々の心の襞にしみこんでいく表情や声の抑揚。天才というものなんだろうなと感じた。残念でしかたない。ただただご冥福を祈ります。
どんな世界でも極めていこうとするとほんとうに難解な壁にぶつかる。たまたま私は今、歴史コラムで「鎌倉街道」の壁にぶつかっている。実に・・・実に難解。