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‘ichiko’ カテゴリーのアーカイブ

ChatGPTの刺激と時代の風

2025 年 10 月 19 日 日曜日

めざましく進化する時代・・・最近はいろいろ考えることも多い。昭和という時代に仕事の大半?をしてきたからか。本当にめざましいとしか言いようがない。

「これからは一家に一台。パソコンの時代がくる」なんて報告書・・・遺跡か?と思える。FAX導入の日、狂気して喜んだ。先般は鉛版の話をじっくりきいて、その古い記憶のはしきれを思い出した。

今、令和7年・・・2025年。

ChatGPTにより「猛烈に理解力が高まって、今は数学が楽しくてしようがない」という中学生の声を聞いた。そしてある経営者もまた、「ただただ凄いんですよ。思っている以上の表現と速さで仕事をしてくれますよ。聞いてくださいよ」と読み始める文章。そして満面の笑顔と弾けるほどの明るい声。

便利になった・・・と確かに思う今日この頃。ただ、本気でしらべものをしないとならない時、私は数冊の書物にかこまれてある意味闘いに挑んでいる。〝調べる〟と言う事、と言う時、未来に向かってどう対応していくのか?と考えるとかなり時間が経っている事に気づく。

記憶が蘇り・・・ひとつひとつの記憶が実にいとおしい。メモ帳に必死に書き込んで記事にしていた時代。新聞が出来上がるまでの人々の関わりと膨大な作業。本当に「あああ~疲れたぁ」と言う人々を癒した一杯のコーヒーの香り。そして感情の整理をしていたのだろう、仲間たちとの乾杯。

あと何年生きるか?神のみぞ知る世界で、私は何を知り。何を考え、思い出し、記憶の中に生きている人々の声や仕草に胸の奥に生まれるあつさょ感じていくのだろうか?

「時代」を読む力かな

2025 年 10 月 3 日 金曜日

深く考え込む話ではないが・・・少し前であれば「元・・・」という名刺をいただいても「あらま」程度でいたものたが、最近はちょっと?マーク気分になる。分析していけばいろいろな心理学の世界もあろうし、また皆それぞれであれば大したことではない。が、やたらと多い(特に男性たち)のは何故だろう?と思ってしまう。

ある転職会社をつくった方に聞いたが、本当に「~で~部長やっていましたから」と自信たっぷりの方が実に多くて、結構今の時代を知らない人が多いと聞いた。「就職先は実に難しいですよ・・・だから無いです」と聞いた。大変な事たせなと。本人は自信たっぷりであっても・・・・要は「時代」を読めない。

本当に自分の「強み」を探しぬくことだろうなと。そして、つの強みは更に磨き続けれなければならないという事。


真夜中の哀しみ

2025 年 9 月 23 日 火曜日

漸く、このところ秋らしい風が吹き、何となくほっとしている。

敢えて並べないが、昔、観た映画が物凄く懐かしくなるのは一体どうしてかな?と思う。

真夜中にたまたま、スキャンダルというのか・・・話題のテレビ局の新入社員が自分の勤めるそのテレビ局の社内ドキュメンタリー番組を制作していた。はじめはハッとして興味津々で見たが、途中で猛烈に哀しくくなった。

若しい時代にお世話になったプロデューサーももう過去の人々だろう。「恥ずかしい」と勤務先のテレビ局の事を言い、転職も考え、一部内定までもらったものの断った・・・そのあたりなど私にとっては全く理解出来なかった。

あああ・・・

時代が本格的にゴオゴオと流れていくのだろうか?恰も、昔話でしか知らない話で一杯の記憶を保存した頭、何とも真夜中に情けなくなってしまった。

言ってはなんだが・・・本当に致命的なスキャンダルだったのだろうか。まだ知らないものが蠢く世界があったに違いないと思うしかない。

週末は企画したツアー。とにもかくにも「猛暑」と「雷雨」はないように・・・お願いです❢神様❢

クマと遭遇した、あの夏の日

2025 年 9 月 11 日 木曜日

最近、住宅地などにクマが現れたニュースを見ると、驚きとともに昔、登山している時にクマと遭遇した時の事を思い出す。よくできた話のようだが・・・

決して作り話ではない。クマザサががさがさ揺れて、ぬくっと黒光りしているクマと目と目があったのだ。「死んだふりするか?」「木に上るか?」といろいろ考えながらも、全くカラダが動かなかった。「人生ってこんなに早くおわってしまうのか?」と思っているうちに、その黒光りしたクマはずんずん山の奥の方に歩いていった。

栃木県の庚申山という山だった。恐怖で、ひょこひょこと歩き、山小屋に漸く着いた。山小屋のご主人にその話をしたが、笑いながら「見間違いだよ~サルかシカだ」と言われた。そんな昔の夏の日のひとこま。

しかし、クマの環境もこの長い時間で変わってきている。クマの環境・生態も変化しているのだ。現状をよく理解してクマ問題を考えなくてはならないと思う。

自然消滅か

2025 年 9 月 5 日 金曜日

「ちょっと体調崩していて」「忙しくて」・・・まあ、むいろいろあるものだが、最近は高齢であってもどうも「自然消滅派」が多いように思える。例えば会社を辞める時も。いろいろんな役職から離れる時も、とにもかくにも、相手先に「連絡」は当たり前の事だと家庭でも、社会でも教えられてきた。日常生活で当たり前の事として・・・しかし、最近感じることは実に自然に「自然消滅」の方々。催促でもなければできれば静かに幕引きか?なんとなく・・・しずかに・・・ことはあらだてたくない・・・風潮?なのかしらん?と思う。というより、露呈されてしまう時代に入ってしまったのだと思うようにしている。そして?マークがいっぱいになったら・・・離れよう。

いろいろあるけれど人の噂もなんとやら・・・そんな事があったっけ?とものを忘れていくのが人である。

暑い夏よ

2025 年 8 月 26 日 火曜日

微熱か・・・37度という気温に太刀打ちできない…暑い。こんな日は本当にサングラスと大きな日傘が役に立つ。こんなに暑い夏ってあったかな?と思うが2022年もかなり暑い夏だったようだ。

それにしても昭和100年。冷静になって纏めていいかないと。冷房の部屋で一日中仕事をして、体調を崩したという人もいるが、本当にどうやってこの暑い夏を切り抜けるか?だ。

ToDo

2025 年 7 月 28 日 月曜日

先般、あるところで「もう、其の言葉には飽きましたねぇ」と言われた。とにかく「暑い」「暑すぎる」日々。確かに言われる通りだ。トルコのある地方ではなんでも50度越えとか?想像できないが。いずれ、日本も夏は40度が普通の数字になってしまうのかも知れない。

しかし、まだ7月です。一冊おおぶりのノートを購入した。「ToDo」とでも書いておこうと思う。リストまではなく、タスクでもなく・・・頭をいつも駆け巡っているテーマとその進め方4という4より下調べをこの夏にはしておきたい。夏生済の宿題のように・・・である。そうでもしないといつも駆け巡って終わりとなるから。、

いろんな覚悟

2025 年 5 月 2 日 金曜日

2025年になった時、カレンダーを見ながら、ゴールデンウイークの妄想してすうか、しっかり予定を立てていた・・・つもりだった。しかし、人生には「まさかけがあるもの。今回、しっかりと分かったのが当たり前の事をいっているようだが「先ず健康である事」である。人間とは本当に生身の生物なのだね。少しずつ少しずつ片付けでいけば「片付く」ということを念頭において一歩ずついこう。

時は静かに経過していた

2025 年 4 月 28 日 月曜日

気が付けば・・・1か月以上経っていた。

「もしかしたら」と想像してみてもそれは想像であって現実でない。

ああ・・・良かったとただただ思う。

人生の「まさか」について、いつか纏めなくてはならない時を作らないとなと思っている。

過ぎた年月を思う日

2025 年 3 月 14 日 金曜日

あくまでも私の場合だが・・・

会社を退職後というのは、一緒に仕事をしていた人々ても音信不通になってしまうことが多いと思う。そんなて中で、「訃報」にせっしてしまうとは‼ ある人の訃報が昨日から3人の人々から連絡がきた。

はぁ・・・と思った。当時の事をふわ~っと思い出した。バブル前というか、むわりとのんびりしていた時代かな?女性はいい人見つけて結婚して夫を守り、子どもを育てようなんて事が普通だったかな。

例えば戦後だ、高度成長期の中を生きた人々は日本の高度成長を語るであろう。私にとっての「あれはなんだったろう?」時代はまさに、バブル。気も狂ったような、思い出せばすざまじぃ時間があった。接待接待また接待。そして音もなくしのびよったバブル崩壊。

男女雇用均等・・・あのあたりも、ファッションも変貌した‼

あまりにも思い出すことが多く、何とも不思議な感覚に包まれた。もし、書き出したら、昭和のサラリーマン時代の事は、本一冊くらい書けると思う。しかし・多分書かないな。

本当に大昔のこと。あるファッション雑誌が「男の嘘」というテーマで募集していた事があった。いつもあまりにもおかしいその上司の嘘を書いたことがある。なんと「賞」にはいった。そして雑誌掲載の時、面白いイラスト入りで紹介された事がある。私はひとりで笑っていた。そのことを上司は知らないまま。

突風のように、新聞社時代は駆け抜けていった。走り、止まり、そして駆け抜けた。勝ち組負け組という言葉もあり「負けるな」と檄がとんだ。

生き生きとしたその時代の「時間軸」はまだ若い肉体を包み込むすざまじい勢いを増した。「出来ないことなんてない!」くらいの勢い。「負けてたまるか‼」と、いつも心の中では叫んでいた日々。声が4かれるほど・・・叫ぶ。

しか会社時代に一緒に仕事をしていた人間が亡くなったという事実。記憶がありありとあるのにと思うと実に実に不思議な感覚。これが年月というもののなせるワザなのだな・・・ふと思う。

ついこの間の事だ。、新聞社の旧友会の報せが届いたばかりというのに。

時間はするすると経っていくものだね。