2025年になった時、カレンダーを見ながら、ゴールデンウイークの妄想してすうか、しっかり予定を立てていた・・・つもりだった。しかし、人生には「まさかけがあるもの。今回、しっかりと分かったのが当たり前の事をいっているようだが「先ず健康である事」である。人間とは本当に生身の生物なのだね。少しずつ少しずつ片付けでいけば「片付く」ということを念頭において一歩ずついこう。
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いろんな覚悟
2025 年 5 月 2 日 金曜日時は静かに経過していた
2025 年 4 月 28 日 月曜日気が付けば・・・1か月以上経っていた。
「もしかしたら」と想像してみてもそれは想像であって現実でない。
ああ・・・良かったとただただ思う。
人生の「まさか」について、いつか纏めなくてはならない時を作らないとなと思っている。
過ぎた年月を思う日
2025 年 3 月 14 日 金曜日あくまでも私の場合だが・・・
会社を退職後というのは、一緒に仕事をしていた人々ても音信不通になってしまうことが多いと思う。そんなて中で、「訃報」にせっしてしまうとは‼ ある人の訃報が昨日から3人の人々から連絡がきた。
はぁ・・・と思った。当時の事をふわ~っと思い出した。バブル前というか、むわりとのんびりしていた時代かな?女性はいい人見つけて結婚して夫を守り、子どもを育てようなんて事が普通だったかな。
例えば戦後だ、高度成長期の中を生きた人々は日本の高度成長を語るであろう。私にとっての「あれはなんだったろう?」時代はまさに、バブル。気も狂ったような、思い出せばすざまじぃ時間があった。接待接待また接待。そして音もなくしのびよったバブル崩壊。
男女雇用均等・・・あのあたりも、ファッションも変貌した‼
あまりにも思い出すことが多く、何とも不思議な感覚に包まれた。もし、書き出したら、昭和のサラリーマン時代の事は、本一冊くらい書けると思う。しかし・多分書かないな。
本当に大昔のこと。あるファッション雑誌が「男の嘘」というテーマで募集していた事があった。いつもあまりにもおかしいその上司の嘘を書いたことがある。なんと「賞」にはいった。そして雑誌掲載の時、面白いイラスト入りで紹介された事がある。私はひとりで笑っていた。そのことを上司は知らないまま。
突風のように、新聞社時代は駆け抜けていった。走り、止まり、そして駆け抜けた。勝ち組負け組という言葉もあり「負けるな」と檄がとんだ。
生き生きとしたその時代の「時間軸」はまだ若い肉体を包み込むすざまじい勢いを増した。「出来ないことなんてない!」くらいの勢い。「負けてたまるか‼」と、いつも心の中では叫んでいた日々。声が4かれるほど・・・叫ぶ。
しか会社時代に一緒に仕事をしていた人間が亡くなったという事実。記憶がありありとあるのにと思うと実に実に不思議な感覚。これが年月というもののなせるワザなのだな・・・ふと思う。
ついこの間の事だ。、新聞社の旧友会の報せが届いたばかりというのに。
時間はするすると経っていくものだね。
数秒の景色
2025 年 3 月 12 日 水曜日時間としてはほんの数秒の景色だった。
車窓から、ビル建設の風景が見える。50階をゆうに超す高さのビルと聞いている。ふっと・・・数秒。その地面の下には遺跡があって、工事が随分と遅れたと不動産屋がいろいろ言っていた日を思い出した。
その遺跡の現地案内会が1日だけ特別に開かれた時、そこにある縄文時代の穴や、江戸時代の住居あと、そして、近代に入り、有名企業の最初の工場あと、関東大震災での被害状況・・・いろいろ見学した日の事を思い出した。
高層ビルが建った後、そこで仕事を仕事をする人も暮らす人も、みんななーーーーにも知らないで生活が営まれていく、そんな事を考えていると、その風景は眼前から過ぎ去ってしまった。
愉しい一日の数秒の時間旅行だった。
嘘と真実?
2025 年 1 月 20 日 月曜日嫌なニュースが今日も流れていた。
昔、そのある意味、その巨大なグループに属していたからか?。そのテレビ局の社員さんとはメディアミックスということでよくプレゼンもしたなとか、社員さんの結婚式にも参列したこともあったし・・・何なのだろう?この嫌な嫌な気持ち・・・
「嘘は常備薬 真実は劇薬」・・・そんな言葉を思い出した。
ただ素晴らしい仲間たちとの思い出や、年賀状のやり取りの中、変な気持ちは払拭したい‼それだけである。
親友の作った焼き菓子
2025 年 1 月 20 日 月曜日奈良県に住んでいる学生時代からの親友から焼き菓子が送られてきた。彼女の事だから、材料一つ一つ、吟味されて作られているお菓子。あっ‼と感動で一杯になって言葉が出なかった。昔から、いい加減な私とは違って、正確に作る彼女のお菓子。とくにプリンなどもう‼格別だったな。
彼女の人生もいろいろあったと思うけれど・・・長い手紙を読みながら、何回も読みながら、高校の時の文化祭で校内中を走り回ったことも思い出した、一体、何を探していたのか?・・・ふふふっと笑みがこぼれた。
いつも思っているからね‼
月日
2025 年 1 月 17 日 金曜日月日の経つのは実に速く・・・1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から30年が経った。建物の倒壊や火災が相次ぎ、避難生活の長期化で体調を崩すなどした「災害関連死」も含めて6434人が亡くなった。
大阪本部でいつも出張時にはお世話になっていた方も亡くなってしまったことを思いだす。本当に心がいたむ。
2025年・・・なんかいつもと違う
2025 年 1 月 16 日 木曜日言い方は変なのだが、気持ち的には既に2025年は3カ月ほどたってしまった感覚である。年末から年始にかけての何ともいえぬほどの気ぜわしさ(笑)1月でけでカレンダーの見間違いをこのところ2回もしてしまった。変だよね~(笑)
いろいろな変化?は私だけでなく、知人、友人でも経験している。だからこそ「話したい」の声が続々である。2025年・・・なんか違うよ。
立春まで静かに見守る事にしよう。
減り続ける年賀状
2025 年 1 月 9 日 木曜日昔?では考えられなかったが、本当に今年の年賀状は少なかった。その中でやはり‼年賀状じまいというか、「しまう方」が多い。
しまうと・・・相手がどうされている?は全く不明になる。LINE全盛時代はLINE到着の報せ音がポンポン聞こえておしまいである。「今年も宜しく」スタンプで溢れる。
人間関係っていずれは終わるものなのだということが最近は強く感じる。例えばこのブログにコメントされたかたも連絡が取れなくなれば・・・ああ、もしかして?そうなのかな?と類推するしかない。
そんな中で、私自身が年賀状を久しぶりにだしたものだから、親友から「忘れ去られているかと思っていた」という返信がきた。慌ててお詫びとともに最近の仕事の資料など(相手はいらないかも知れないが)送って手紙を書いた。ふっと高校時代の「文化祭」の時の事を思いだして、クスッと笑えた。そしてもっと前の試験前にそれこそ自宅の固定電話で長~い電話をして親に怒られた事なども思い出していた。
年々、減り続ける年賀状。切手代のアップの理由の一つだし、個人情報ですからっ‼というきつさのの中で住所が分からないというのも理由の一つだけど、そんな中にあって「その人」の息遣いや声や想いが年に一度でも届くなんて、昔は思わなかったけれど「宝物」じゃないか?という気持ちは強い。
最後の1枚でもいいな・・・受け取りましたという返信があれば。。
春よ来い
2025 年 1 月 4 日 土曜日何か、不思議とざわざわと落ちつかない?というかうまく表現できない感覚でいたところ、陰陽五行を学ばれた方からのメールに「1月5日から2月節分までは「丑」の月になります。辰、未、戌、丑は、春夏秋冬の土用で、季節の変わり目なのです。季節の変わり目は、準備の時なので次の季節に移行するために、断捨離したり、準備、計画を立てると良い時なのです。特に、今月は次年度の準備期間で静まった収蔵の冬から新芽が動き始める春の端境期。新芽だけではなく世の中も物事が動き始めようとするのです。」とあり、ああ・・・この感覚か・・・と思った。その一歩が立春で「春よこい」のみいちゃんが歩き始めて・・・という意味がしっくりくるそうだ。つまりはじめの一歩の立春が重なということ。このざわざわ感。分かってほっとした。