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ichiko | ichikoTV - Part 14 ichikoTV

‘ichiko’ カテゴリーのアーカイブ

手つかずのファイルを開けた

2021 年 11 月 13 日 土曜日

〝断捨離〟という言葉は最初に聞いた時からあまり好きな言葉ではなかった。それに私自身、小さい頃は本当に片づけの出来ないアホな子どもだった。人任せの実にいい加減な奴!という感じの子どもだった。

が!しかし!時間の経過は不思議なもので、今では片付け魔というほどに整理整頓好きとなった。時間見つけては整理整頓している。こんなにも「人間って変われるものか?」というほど今では思う。そもそもの気質はそれほどに変わっていないと思うが、どうしたのだろう?(笑)

しかしね・・・手つかずのファイル。ずーっと気にはなっているものの手つかず数年、いや数十年の経過。それは膨大な「手紙」類。実に悩ましい。本当に気が重いが、開いてみた。あぁぁぁぁ・・・思った通りだ。ボウゼン状態のまま、しばし息継ぎ。しかし、おかしなことに「この人誰だっけ?」という人がいるではないか。私、アタマおかしいんじゃないの?気分である。ただただゴメンナサイ。

そんな中、大学時代のゼミの恩師のハガキの数々。これはやはり捨てられない。そしていろいろあって相談にのって下さった方からのハガキや手紙。ああ!これもダメだ・・捨てられない。そんな中「久しぶりに人間ドックに行ったけど・・・健康第一だよね!」と明るくポンポン跳ねた文字で書かれたハガキ数枚。彼女は若くして呆気なくクモ膜下出血で亡くなってしまった。あの時も呆然だった。そして、女友達の「結婚式」招待状・・・すったもんだすったもんだ~で二人は別れてしまったな・・・これはナシにしよう。あっ!開封していないものもある。写真入りと書いてあるではないか!。「どっ!どうしたんだ?」。開封すると・・・散骨にいった時の写真数枚と手紙がある。きっと開封も出来なかった時なんだろう・・・とふっと思った。時が過ぎてしまった。

小説読むより面白い時間が過ぎた。何故って、人々の人生の呟きが聞こえてくるから。そしてその呟きを聞ける記憶がまだあるからか。

寂聴さん 安らかに

2021 年 11 月 12 日 金曜日

情熱的な愛と生をつづった小説や、法話などの活動で有名な僧侶の瀬戸内寂聴さんが11月9日に亡くなった。享年99。

最近は90代に突入できた方は天才というか一つの才能だと思っている。圧迫骨折や胆のうがんなどで痛みとも闘われてきたようだが、本当に見事な生き方だと思った。

かなり昔の話だが、講演会の講師にと瀬戸内さんに連絡したことがあった。普通は秘書さんを通すのだろうが確かご本人といろいろ話したことがある。ただ、「姉が亡くなって、悲しくて悲しくて、とてもとても今はお引き受けできないの」と仰った。その言葉ひとつひとつが妙に新鮮だった気持ちだった・・・そんな記憶がある。

何故だったのか完全に忘れているが、法話をおききして、はらはらと心が涙で一杯になって、すっきりしたことがあった。何の悩みだったのか?今は忘却している。人間っていいかげん(笑)

99歳とは!それだけでも素晴らしい!

やすらかに・・・あちらの世でも法話を

幸せのスイッチ

2021 年 11 月 9 日 火曜日

生きているかどうか全く想像も出来ないが、2050年の世界を予想した書籍など読んでいると、ほっ~と心の中にブラックホールが現れる。こんなに大人になっても?それほどワクワク感もない部分に触れると、何故か、昔々の何もかもがフレッシュだった時間に戻りたいと思う事もある。

例えば、デジタル面の端境期はいうになれば本当に大変な時代。先般のイベントでも申し込み方法から戸惑っているゾーンをどう救いだすか?に追われた。「QRコードなど読めないけど」「インターネットをしないので分からない」そして「FAXがないから・・・」と諸々の問い合わせが携帯にかかる。そんな層がいるということが例えば若者たちにいうと不思議な顔をするのだ。彼らにとってはもう「普通」「日常」の環境だから。この感覚の事は幅広い世代を相手にしていると本当に難解極まる世界となる。これって・・・体験しないと分からないな。

未来予想図で見ている映画やドラマの世界。どんな未来が訪れてくるのだろうか?よく「昔の事はよく覚えているのに、ついさっき起った事を忘れる」と高齢者の介護の事できかれる言葉だが、最近は年取ったらなんと幸せなスイッチが人間には入るのだろうか?と思う。幸せのスイッチ、若かりし頃は考えもしなかったスイッチである。

時代かな・・・

2021 年 10 月 30 日 土曜日

最近仕事をしている中でふっと気づく事がある。自分がかなりの年長者になっているという事だ。若かった!なんて言えるのは本当に~本当に~随分と前の話であることは分かっていても、計算すると・・・おおおぉぉぉ・・・ある意味ぞっとしてしまうのだ。それほどに時間が経過したということだ。

そして、なんともキラキラネームというのだろうか?ルビふってもらわないと本当に本当にまず読めない名前が多い。男子もそうだがだいたい読めるが特に女子の名前。芸名のようで、凄い!考えもつかない読み方。

大昔の話。私が小学生の時、同級生はだいたいが「~子」だったと思う。和子、明子、喜子、昌子、優子、美智子、・・・時々、弥生ちゃんとかいた。親がどんな気持ちを込めたかわかる気もした。

下級生に「さくら」「あおい」「ふよう」ちゃんなどいるとワイワイ騒いだものだった。6年の時、1年生に「つばき すみれこ」という愛らしい少女が入学した時し「いいな!いいな!」と言いながら、みんなで大騒ぎした記憶がある。

多分ね・・・「~子」という名前はね・・・今後、出てこないのだろうなあ~と想像できる。これって時代なんでしょうね。

継続

2021 年 10 月 17 日 日曜日

10月13日に久しぶりに神楽坂女声合唱団のコーラスレッスンに出席した。もう600何日ぶりくらいだ。団員の一人が「楽譜はコビーしておくから」と言ってくれた。普通に進んでいれば楽譜の整理整頓などそれこそ当たり前にやっていたことだが、コロナが確実に日常生活に入り込み、ある「時」からこれまで必死に紡いていた事柄が何もかも崩壊した感覚を得た。無理に抵抗してもそれは無駄だと思った。そして、とびきりの才能があるわけでもなく、その中で、努力や練習もしない日々の中でどんな一歩があるのか?と思っていた。

久しぶり!とリハーサル室には団員の仲間がいた。どんな日々を過ごしていたかはわからなくても、打ち克っていたのだろう、明るく。そうでもなければ、いろんな一歩は踏み出せない。

全てが新しい楽譜。カツ代さんが作詞した「団歌」以外は全く初見だ。カラダ中の血が騒ぐ。続けていいのだね?と自分に問うてみた。

花の香に包まれれば

2021 年 10 月 10 日 日曜日

先般、福井県の水月湖を訪れた時、湖の周囲に梅の木が多いことにはたと気づいた。かなりの時間、その梅の木が気になって三方駅から乗った宿から迎えに来てくれた運転手さんにその事を訊ねたところ昔から「梅の産地なんですよ~」と言う。はあ~知らなかったと言うと、「そうですかぁ」と。梅の香りに包まれる季節は何とも美しい景色であろうと思った。梅干しというと紀州みなべの梅とアタマに凝り固まっている自分としては本当に新鮮だった。

昔、甑島にわたった時、この島が水仙の花がさく頃は見事な香りで島全体が包まれると聞いたことがあった。花の香に包まれる季節・・・なんて優美な時間であろうか。口から出るのはコロナコロナの日々。何ともこの優美な感覚を忘れていたよ!

花の香に包まれれば人の心は優しくなれる。

摩訶不思議世代へ

2021 年 9 月 10 日 金曜日

おっそろしいほどに時間が速くに過ぎる。一体、どうしたの?と思うほど。

若い時代は時間の経ち方が遅いらしい・・・ということを以前、本で読んだ気がする。

10代は人生の始まり過ぎてか、将来のことなど何も見えていなかった。気にもしなかった。先般、高校生とのプロジェクトで、ああこんな時が私にもあったのか!と反芻したほど。

20代も然り!見えないし、考えもしない。GO!だった。飛び込むことも厭わない。

30代ともなると自分は?!どこから生まれたのかと思うほどの自信。漲り始めてこわいものがなくなっていた。体力もあった。日帰り出張もなんのその。ちょっとイカレテいるよ(笑)

しかし・・・不思議な40代になると「ん?」という感情が出てきた。

50代で何か今までとは違う荷物を背中にしょった感覚にとらわれた。

それからは不思議~摩訶不思議ZONEには入りこむ。

時間が物凄いスピードで救き去っていく。

ゴオゴオと音たてて(笑)

最近、不思議すぎる夢ばかり見ている。

鮮明だ。覚えている。

気になって「夢診断」なるものを見ては「ふむふむ」と思う。

それも一つか?と思う。

いよいよか?

不思議ZONEに入り入り込む世代になってきたということか。

天赦日に

2021 年 8 月 28 日 土曜日

2021年8月28日は暦の上でも珍しい「天赦日」であると聞いた。善い行いはすると良いとしても、神社にお参りにということで某神社へ・・・初詣などではあんなに混雑している神社がひっそりとしている。しかし・・・猛暑で人出もないだろうと。お参りをして、おみくじをひいた。水みくじを初めて体験した。「小吉」とでた。なんでも大大吉もあるらしいが・・・今は、十分に幸せである。

水みくじ 初めて体験!
「小吉」と出た 

つれづれなるままに

2021 年 8 月 21 日 土曜日

昨夜はあまりにも!美しい月だった。

ふと・・・思った・・・というより次元超えた感覚か?人の人生って本当に本当にドラマチックなんだなと。

このパンデミックともいうべきコロナ禍を経験しなかったら、この次元超えた感覚はアタマを出さなかったと思える。不思議な時間だった。人はどんなに頑張ったったやはり100年だろう。120歳までは可能!という長寿企画のキャンペーンをしたこともあった。しかし、その頃の私は、年齢など全く意識していない日々であり、それに伴う体力もあった。始発の飛行機に乗って、日帰り出張もなんなくこなしていた。年齢など感じなかった。しかし、今は切実な問題として感じている。人には「終わり」があるということ。別段、悲観的に捉えているということでなく、かなり冷静に判断しつつ、それだからこそ人生ってなんてドラマチックなんだろう!と思えるのだ。

リモート会議をしている時は分からなくても、ふっと思い出せば、この事態は大変な事である。過去においては例えば、全国の支局の編集長たちが集まる会合の日時、会場を決める事は難儀だった。ネットワーク会議として、その土地に仕事というより観光も含めて・・・考えて納得できる事だった。しかし、日本においては例えば午後6時からと言えば、皆で討議もできる時代だ。各地の大学の講義だってきける時代である。これこそ「未来に一歩踏み込んでしまった!」ということだ。外国であっても時差の問題は解決できないにしろ、同様である。

秋に某大学の講義があるが、学生たちとのリモート授業ということであると、皆がだいたい遅刻もせずにパソコンの前に集まれる・・・思えば不思議な事。未来に一歩入ってしまったということだな。もう「当たり前」の日常となってしまったが・・・

コロナだったからこそ気づけた事もある。こんなに「接待交際費」という勘定科目が必要なくなってしまったということ(笑)バブル時代真っ最中に、まさに社会生活の渦潮の中にいた時間。そして、新しい世界観?これも思えば実に不思議である!

過去があって現在そして未来構想へ

2021 年 8 月 15 日 日曜日

コロナの前の世界には戻らない・・・念仏の如く、ドイツの哲学者であるマルクス・ガブリエル氏の言葉を反芻する。漸くというか、2020年を過ごして、これほどまでに真空地帯のような時間はなかったなと思った。しかし、この年の時間の蓄積が、かなり価値観というか、何か皮膚感覚のようなものを変えてしまった気がしている。

今年になって年頭からまあ、あれぇ~と、凄いことをいろいろ体験したのだが、これがまた助長されてその皮膚感覚が「やはり!そうか」という想いとなった。暫し、もがいても良いと自分に言ってみる。しかたない。何かを構築する時は仕方ないのだろう。

砂浜に、「よし!これぞ!」と思うほどの砂の城を造り意気揚々と、少し遠目で見た時に想像もしない波がサザサーッと押し寄せてきてあっという間にその城を呑み込んだ!まさに、そんな気分である。だから、これまでにしてきた体験、経験の中で「勝ち取ったものだ」と思い、いつもピカピカに磨いてきた事柄さえ、今はどんよりと曇って見えるのは仕方ないのだ。「ああ!あの時はね!」というのは気の置けない十分に時間を共有した仲間と損得勘定なしの時間に戯言の如く言ってもいい。しかし、それは今後の構築には全く役立つものではない!ということを再認識しよう。

変化を愉しむくらいの潔さが、これからは絶必だと思っている。