自粛生活、テレワーク・・・まあいろいろなパターンがある。
私は、外出時には必ず、イヤリングをするというのに・・・
自粛が始まってから一度もイヤリングをしていないことに気づいた。
服装に応じて必ずイヤリングを選ぶ・・・という日々がなくなっていることに気づいた。
毎日、鏡を見るというのに気づかなかったというのも不思議(笑)
ふっと、イヤリングの山?を見て、これまた不思議な気持ちになった。
イヤリングは「いざ!」という時の小道具なのかも知れない。
いろんなことに気づく自粛生活。
自粛生活、テレワーク・・・まあいろいろなパターンがある。
私は、外出時には必ず、イヤリングをするというのに・・・
自粛が始まってから一度もイヤリングをしていないことに気づいた。
服装に応じて必ずイヤリングを選ぶ・・・という日々がなくなっていることに気づいた。
毎日、鏡を見るというのに気づかなかったというのも不思議(笑)
ふっと、イヤリングの山?を見て、これまた不思議な気持ちになった。
イヤリングは「いざ!」という時の小道具なのかも知れない。
いろんなことに気づく自粛生活。
書くのが遅れてしまっていたのだが・・・
5月12日に京都市埋蔵文化財研究所が、京都市上京区の京都仙洞御所内で、豊臣秀吉が最晩年に築いたとされる「京都新城」の本丸を囲う石垣と堀が見つかったと発表。これって大発見ではないか!同城の遺構が発見されたのは今回が初めてで、本当にこれまで資料がなかったという。亡くなる1年前か、いろいろ考えてしまう。
いつの頃からか、「血液型診断」という日本独特?の診断方法がある。何かにつけて「あなたB型でしょ!やっばりぃ~」と、わけがわからん事を言っている人々がいるものだ。
そもそも、血液型にはA型、B型、O型、そしてAB型とたったの4種類しかないが、その中から強引に決めてかかるのだ‼ (笑)
実は、私はA型ではない。だが、不思議と「吉田さん、絶対にA型でしょう?」と言われる。ただし仕事関係での話。そこで、その類の本を読んでみると。「ほーっ!なるほどねぇ」と思う。そして改めて思う。仕事上では寧ろよかったのではないかと。
よくよく考えれば、社会生活で、豪放磊落にぶつからないとならない点、そして、その後はかなり細かくしなくてはならない編集の仕事が長かったからかと思う。営業も編集もしてきたが、それなりにその「水」の中は泳いできた。
要は「後天的A型」らしさを会得したのかと。学生時代のようにぶっ飛び専門。どこまでもぶっ飛んでいたら多分、A型らしさは会得できなかったかもね~と今更ながら思う。人生でのモノ、コト、ヒトとの出会いとは摩訶不思議!。
今年は少し疎くなっていた・・・
足元の雑草が
ピンクや黄色の花が咲いている
草むらにはヘビイチゴの姿もある
その姿は、何かとても愛らしい
騒がしい日々の中
小さな息吹に妙に感動してしまう
テレワークとやらで・・・
リモート会議
相手の室内環境が丸見え
背景は変えられることもできるそうで
そこまでするか?と思うが
カルフォルニアにいるような設定をしている人もいる
「実は日本にはいないんだ‼」ともいえる
ミステリー小説のプロット、展開のようだ。
これが新しい生活様式なのか?
これって輝く「未来生活」への一歩なのだろうか?
ややや・・・
どこかね、強張っている自分発見‼
昔にこだわっているわけではないが
初めての原稿が「ボツ」と言われ、投げられ宙をまった日
携帯電話もない時代の「待ち合わせ」のドキドキ感
まさか‼というような路地裏で素敵な店が見つけた日
刻まれたときめきはそんな時代の賜物だ
あああ・・・そんな自分は「未来」への扉がちょいと重い
テレワークとやら・・・
ある技術者は「集中って意外と疲れますなぁ~ハッハッハ」と意外と明るく言う。
「なんか、話し合っているうちに気づくことって多い」とリモート会議が続く人が言っている。そう言っても「分析」中心の仕事は片付いていくものらしい。
しかし・・・
しかし・・・
何かが違う!と思って気が付いた。
編集者って、今はきつく「ダメ」と言われている、所謂「濃厚接触」が必須だということ。
特に、突っ込んた取材敢行ともなると、時には酒の力をかりて探り出すということも必要な業種なのだ。
歴史年表睨んで・・・また、分厚い文献に目を通しながら「コラム」などの執筆は可能範囲であるが、どうも、本来の自分の動きとは違う。最も「ダメ」な「超濃厚接触」から得られることが多い。取材で得たものは「戦利品」。これをどれだけの知識と知恵で調理していくか?という意外と力のいる世界なのである。
会話は必要。
そして「対話」だ!
そこには想像力も働かせ、そして時には推論もしていく。
しかし・・・今は全く無理だ。
意外と根っこが真面目なところがあるので、「外出禁止」と言われるとそれを守る。
「破ってやる!自分の意思に従う!」という青春時代のエネルギーは現在枯渇している。
しばし、思索の道もいいかなと・・・想いながら進むか。
鳥が鳴いている。
「サクランボの実が色づいてきたぞ!」とでも仲間たちに告げているようだ。
その声は騒がしくもあり、また落ち着いたようでもある。
そうそう!
毎年、ゴールデンウイークの頃になると実は紅さを増していく。
目ざとい鳥たちが一番乗りで啄むのだ。
そして次の鳥たちは待ち構え・・・紅い実を啄んていく。
いつもと変わらぬワンシーン。
日増しに変化していく様子が愛らしい。
季節が変わっていく。
今年の2月後半からの手帳を見る。イベント関連の予定がほぼ消されている。酷く雑にササーッと斜めの線で消されている。
数々の中止と前が見えない「延期に」という言葉が舞う。
全く個人的には、毎年恒例の3月3日の会食。心おけない友人たちとの愉しみもあったが、2月末には「中止にしよう」と私から言い出し、まだその時は友人たちは驚いていたのだ。今考えれば正しかったのか?そうではなかったのか?なんとも言えない。今・・・あの日から友人との会食など設定も出来ない状態ではないか!
分刻みとは言わないが時間刻みほど詰まった予定表は今はない。その「空欄」を見て考える。これまでとは違う世界に入っていくんだよって。
ふと・・・「コヘルトの言葉」を思い出す。あの身震いするほどのバブル時期に人々は一瞬でも狂ったようにその「泡」を味わいそして初めての世界の味を食荒らし、愉悦を貪った。味わっている時、その後の崩壊も知らずに。
今、見えないウイルスという強敵の前で、何も出来ない。ただ罹患しないように行動を著しく止めて、じっとしている。本当に人々は押し黙ってしまっている。
こんなに青い空。そして眩しい新緑。それを感じながらも、それがいつもの「空」ではなく、「新緑」ではないことに気づくのだ。2020年の心の鏡に映るのは。
そう・・・久しぶりに「コヘルトの言葉」に触れる。あの狂ったバブルの日々に、そわそわした怖れを感じた時、私は確か、この言葉に触れた。一方で助けを求めてしまった。あの時、どんなに気負っても、どれだけコトバにより救われたか・・・
エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉。
コヘレトは言う。なんという空しさ
なんという空しさ、すべては空しい。
太陽の下、人は労苦するが
すべての労苦も何になろう。
一代過ぎればまた一代が起こり
永遠に耐えるのは大地。
日は昇り、日は沈み
あえぎ戻り、また昇る。
風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き
風はただ巡りつつ、吹き続ける。
川はみな海に注ぐが海は満ちることなく
どの川も、繰り返しその道程を流れる。
何もかも、もの憂い。語り尽くすこともできず
目は見飽きることなく
耳は聞いても満たされない。
かつてあったことは、これからもあり
かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない。
見よ、これこそ新しい、と言ってみても
それもまた、永遠の昔からあり
この時代の前にもあった。
昔のことに心を留めるものはない。これから先にあることもその後の世にはだれも心に留めはしまい。
毎月一回は皆で集合していろいろ話す「会」があった。仕事ではなく、いわば、よもやま話でいいのだ。皆がそれぞれに仕事を持っているので、日々忙殺されている時は本当に仲間の都合が合わず「じゃあ~今回は無しにしようか?」と言いながらも何となくその日が決まって、メンバーの一人が経営する店に集まった。テーマも何もなくても、長い付き合いであると本当に楽しく、おなかを抱えて笑い、そして時間は過ぎていった。私たちに、その時間は毎月決まっている「当たり前」のイベントであった。
それが・・・まさか!の事態となった。「働き方改革」なんで口先で言っている場合ではないほどの事態に呑み込まれたのだ。まず、健康でいるのかどうか?それも気になってしまう事態である。
「いかがお過ごしでしょうか?」というメールを出してから暫く時間が経過。ドーンと直撃である業種を複数こなしている彼女だから、なんともおせっかいながら気になった。
教室の休講、社員の出勤の工夫、そしてテレワークと無事にしているようで安心した。そして「またみんなで笑って会えるよう、今はひたすら人と接触しない日々を過ごすしかなさそうですね。それではまた、お会いできる日まで」ととしでている。本当にそうだね!「当たり前」のようにしていたことが「当たり前」でなくなる事態って本当にある。見えない敵に勝つためには、とにかく接触を断つことが必須!
辛抱!
「花見の気分にもなりません」・・・
知人からの呟きにも似たタイトルでメールがきた。
最高の大吟醸がある!という流れには少しばかりの元気も見えた。
しかし、彼の少しばかりの元気にも、気の置けない仲間たちのワイワイ感は、一歩も入ってはいけない・・・そんな感じである。
先が見えないな、今は・・・