人間は1年間に1000万回の呼吸して、500万リットルの空気を消費するらしい。
空気は「気配」でその「気配」は「時」がつくるそうだ。
人間は1年間に1000万回の呼吸して、500万リットルの空気を消費するらしい。
空気は「気配」でその「気配」は「時」がつくるそうだ。
今、いろいろ考える。思い出す。とんとんと進んでいること、進んでいたことがふっとストップ!状態となると人は本気で考えるのかも知れない。そうだ、17世紀に再流行したペスト。ロンドンを恐怖のどん底に陥れて社会を大混乱させた。中学生の時に「あっ・・・」と思ったアイザック・ニュートン。彼もその時代を生きた人物であり、学校が休暇となり、故郷に帰ってのんびり思索にふける日々の中であの万有引力に気づいたと昔、何かで読んだ記憶がある。ペストはその後も世界中に拡大し続け、近代ヨーロッパが幕を明けることとる。神学者でもあったニュートンは思索にふけった、その姿を想像した。これまた当時、私の頭の中は万有引力で固まってしまった。
・・・そんなことを思い出した。。
このところずーっとインタビューが続いている。
午後はサンシャインシティの元役員のKさんにインタビュー。
カメラがセットされスタート!
竣工から44年・・・半世紀も近い。
話が終わって、当時の宣伝部長のIさんのことを訊ねた。一昨年、亡くなったと聞き、なんとも言えない気持ちになった。
人はトシをとれば亡くなる。そんなことはわかっているが、実際に亡くなったという過去の出来事のようにお聞きする・・・
どうしてか?鮮明に実に鮮明に最初に取材した日の事を思い出す。当時は工事現場のプレハブの2階へ上がっていったが・・・Iさんは中心人物で、ものすごく忙しい最中だった。「ちょっと待っていてください」と言われたもののどこで待っていたら良いのか右往左往するほど若い私は未熟者だった。
夜にまた一件、取材が入り、それが終わって寒風の街を歩く。
「時」がコツコツコツコツと音を立てて流れていった。
昔々・・・かなり昔のこと。ある霊能者のKさんと話している時、話の途中でいきなり語気を荒げて「なんでしないの!女性たちの生き方を纏めないの?」と言い出したことがあった。その瞬間、一体何が起こったかは理解できないまま、呆然と、「そんなこともあるんだなあ」程度の感覚で終わり、帰ったことがある。
当時といえば・・・
例えば記者会見にしても一歩進んだフレッシュな情報をもぎりとる仕事が多かった。また各社からの新製品情報にしてもニュースにしてもいわば先端情報を扱っていた。そんな日々の中で、たまたまKさんと仕事とは離れた時間にそんなことを突然言われた。ちんぷんかんぷんであったのだ。
しかし年月とは本当に不思議なものである。昨年、依頼された行政の仕事で、「平成史は男性でなく女性に絞ります」と決定して以来、インタビューの相手は時代の波を精力的に泳いでこられた女性にターゲットとなっっている。単行本一冊書きあげるくらいの勢いの人生の足跡をお持ちの方ばかりであ。たまたま、今回は「平成時代」という30年間に絞るのだが、この30年間のなんと怒涛にみちているか・・・言葉と言葉で積み上げていく作業のど真ん中にいる。
しばらく、霊能者のKさんとはもう連絡がとれないでいる。たまたまKさんが住んでいた郊外の駅に立ち寄ったことがあり、その時「確か、このあたりだったかな」と思って探すが、駅そのものの著しい変化。そして街の様子もすっかりと変わってしまっている。時の流れとともにいろいろなものが変化していく。きっと住む人々も全く変わってしまったのだろう。冷静になってみる。自分の頭の中に残像としてあるKさんの家のドア・・・室内の様子・・・そして室内のにおい。
今、何か使命をうけた気持ちでいる。あの「最先端にいる」などと一種のまやかしにも似た魔法にかかっていた時代を完全に過ぎ、今はもっともっと自分の足元を見つめなおし、それまで得た価値観すら変えていかなくてはならない時期になっていることを知る。
ただ・・・記憶だけではどうにもならないことを知る。
ちょっと買い物に出かけた。
意外と正月の東京が混雑しているではないか。
今年もいろいろなところでいろいろなドラマがあるんだろうなぁ~と思う。
見上げると抜けるような青空が広がっている。
2020年の新年。
この青空で迎えた。
それは本当に幸せな事だと実感する。
またいろいろある一年なんでしょう!と思いつつお参りを。
本年も宜しくお願い致します!
2019年って何だったのだろう?と今さらながら思う。
いわば疾風怒濤。
凄すぎたな・・・と。
システム手帳には2019年と2020年が同時にあって、既に2020年の5月までの予定が組み込まれているではないか。
次の年までは時間が随分とあると思えたが勘違い(笑) 冷静になってみるとそれほど時間はない。
変な言い方だが逃げられない「平成史」の発行も令和3年と決まっている。これはなかなかだ(笑)
しかし、今年の年末は何かが違っている・・・ということで「映画館」に飛び込んだ。2時間だけ、別世界へ!
ある意味、自分をなくしていたような時間が過ぎていた。
結構長い時間。
大好きな本もなかなか読み進められず、ゆっくり眠ることもできず、お茶を飲んだり音楽を聴いたりということもなく、ただただ時間が暗雲に吸い込まれるようだった。
さて、心を亡くすと書いて「忙」。
そういうことらしい。しかし、かっこ悪いよね?スッキリしていない。だいたいそういうのは嫌いだ。
亡の下に心と書く「忘」は自分の意思で心を亡くしてしまうことらしい。なんかその方がいいな。ぼーっとしてなくすものはなくしてしまおう!ただ、‘心の中にあったものがなくなる・・・というのは辛いな。
何れにしても「忙しい」「忙しい」といちも言っているのに「こんなに忙しい」とフェイスブックをアップしている人は特に大嫌いに分類される。本当に嫌いだ。自分で「忙しい」と言っていること自体が、やぼったいよ。
終わった!
睡眠とって、美味しいお酒でも飲んで、旅でもしよう。
多分「忙」も「忘」も亡くなる筈である。
令和元年11月10日(日)、天皇陛下の即位を披露する「祝賀御列の儀」が午後3時から皇居・宮殿から赤坂御所までの約4・6キロのコースで国の儀式として行われた。
天気もよく、青空の広がる一日であった。
天皇、皇后両陛下はオープンカーに乗られパレードに集まった人々の祝意に笑顔で手を振って応えられていた。一つの時代が始まる。歴史が始まる。
人間にはいろいろな人がいる。十人十色といってしまうばそれで終わりだろうが、それぞれの個性というか、持ち味が「アハハ、いつも楽しいね~」で終わればいいが、そうでなく只管、自分勝手で他人に迷惑などかけ続ける人もいる。たいがい。こうした人は自分の「個性」に気付いていないというかある意味、課題評価しているところがあるような気がする。
今、お笑いタレントさんが税金問題で話題になっている。暮らしと税金って本当にいつも真剣に考えていないとならない問題である。というものの、彼を囲んでの記者会見風景を見ていて、何とも後味の悪さを感じた。そのタレントさんは本格デビューする前のコンテストで初めて見た時に「くすっ!」と笑える才能を感じた。そして思った通りに入賞して今日に至る。出演する番組を多く持っている。しかし、最近見ていると、どうも持ち味というか、何か変容したな・・・そう感じて、要は魅力を感じなくなっていた。何なのかしらん?と思っていたら「そうか・・・」という結果である。
彼は所謂、「イケメン」と言われているタレントさんであったが、そのものの考え方、日々の生活の仕方というか、彼の言う「想像を絶するだらしなさ」というものが今の彼の風貌を作ってしまったのかと感じた。つまり「顔つき」というものだ。
人間って、たとえ美女といわれようと美男子と言われようと人には「顔つき」というものがあって、怖いことにそれは一生続かない。変化してくるのだ。多分・・・彼は典型的だったなと。
勿論、人はトシをとるので、太ったり痩せたり、カラダのラインも崩れたり、若い時代にはなかったシワが食い込んでくる場合もある。しかし、やはり最終的には日々の時間が作っていく「顔つき」というものんだなと思った。
大いに反省して、気が遠くなるほどに一時でいいから自分を見つめなおしてみることもいいかなと僭越ながら思った。人は顔のつくりで勝負できるのはある若い時代まで(笑)。それからは「顔つき」にかわっていく。全て自己責任のようなものの反映である、そう私は思っている。