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‘ichiko’ カテゴリーのアーカイブ

MONOLOG

2020 年 4 月 26 日 日曜日

テレワークとやら・・・

ある技術者は「集中って意外と疲れますなぁ~ハッハッハ」と意外と明るく言う。

「なんか、話し合っているうちに気づくことって多い」とリモート会議が続く人が言っている。そう言っても「分析」中心の仕事は片付いていくものらしい。

しかし・・・

しかし・・・

何かが違う!と思って気が付いた。

編集者って、今はきつく「ダメ」と言われている、所謂「濃厚接触」が必須だということ。

特に、突っ込んた取材敢行ともなると、時には酒の力をかりて探り出すということも必要な業種なのだ。

歴史年表睨んで・・・また、分厚い文献に目を通しながら「コラム」などの執筆は可能範囲であるが、どうも、本来の自分の動きとは違う。最も「ダメ」な「超濃厚接触」から得られることが多い。取材で得たものは「戦利品」。これをどれだけの知識と知恵で調理していくか?という意外と力のいる世界なのである。

会話は必要。

そして「対話」だ!

そこには想像力も働かせ、そして時には推論もしていく。

しかし・・・今は全く無理だ。

意外と根っこが真面目なところがあるので、「外出禁止」と言われるとそれを守る。

「破ってやる!自分の意思に従う!」という青春時代のエネルギーは現在枯渇している。

しばし、思索の道もいいかなと・・・想いながら進むか。

 

紅く色づき始めて

2020 年 4 月 25 日 土曜日

鳥が鳴いている。

「サクランボの実が色づいてきたぞ!」とでも仲間たちに告げているようだ。

その声は騒がしくもあり、また落ち着いたようでもある。

そうそう!

毎年、ゴールデンウイークの頃になると実は紅さを増していく。

目ざとい鳥たちが一番乗りで啄むのだ。

そして次の鳥たちは待ち構え・・・紅い実を啄んていく。

いつもと変わらぬワンシーン。

日増しに変化していく様子が愛らしい。

季節が変わっていく。

久しぶりに「コヘルトの言葉」に触れて

2020 年 4 月 24 日 金曜日

今年の2月後半からの手帳を見る。イベント関連の予定がほぼ消されている。酷く雑にササーッと斜めの線で消されている。

数々の中止と前が見えない「延期に」という言葉が舞う。

全く個人的には、毎年恒例の3月3日の会食。心おけない友人たちとの愉しみもあったが、2月末には「中止にしよう」と私から言い出し、まだその時は友人たちは驚いていたのだ。今考えれば正しかったのか?そうではなかったのか?なんとも言えない。今・・・あの日から友人との会食など設定も出来ない状態ではないか!

分刻みとは言わないが時間刻みほど詰まった予定表は今はない。その「空欄」を見て考える。これまでとは違う世界に入っていくんだよって。

ふと・・・「コヘルトの言葉」を思い出す。あの身震いするほどのバブル時期に人々は一瞬でも狂ったようにその「泡」を味わいそして初めての世界の味を食荒らし、愉悦を貪った。味わっている時、その後の崩壊も知らずに。

今、見えないウイルスという強敵の前で、何も出来ない。ただ罹患しないように行動を著しく止めて、じっとしている。本当に人々は押し黙ってしまっている。

 

こんなに青い空。そして眩しい新緑。それを感じながらも、それがいつもの「空」ではなく、「新緑」ではないことに気づくのだ。2020年の心の鏡に映るのは。

そう・・・久しぶりに「コヘルトの言葉」に触れる。あの狂ったバブルの日々に、そわそわした怖れを感じた時、私は確か、この言葉に触れた。一方で助けを求めてしまった。あの時、どんなに気負っても、どれだけコトバにより救われたか・・・

 

エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉。

コヘレトは言う。なんという空しさ

なんという空しさ、すべては空しい。

太陽の下、人は労苦するが

すべての労苦も何になろう。

一代過ぎればまた一代が起こり

永遠に耐えるのは大地。

日は昇り、日は沈み

あえぎ戻り、また昇る。

風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き

風はただ巡りつつ、吹き続ける。

川はみな海に注ぐが海は満ちることなく

どの川も、繰り返しその道程を流れる。

何もかも、もの憂い。語り尽くすこともできず

目は見飽きることなく

耳は聞いても満たされない。

かつてあったことは、これからもあり

かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない。

見よ、これこそ新しい、と言ってみても

それもまた、永遠の昔からあり

この時代の前にもあった。

昔のことに心を留めるものはない。これから先にあることもその後の世にはだれも心に留めはしまい。

 

当たり前が当たり前でなくなった!

2020 年 4 月 18 日 土曜日

毎月一回は皆で集合していろいろ話す「会」があった。仕事ではなく、いわば、よもやま話でいいのだ。皆がそれぞれに仕事を持っているので、日々忙殺されている時は本当に仲間の都合が合わず「じゃあ~今回は無しにしようか?」と言いながらも何となくその日が決まって、メンバーの一人が経営する店に集まった。テーマも何もなくても、長い付き合いであると本当に楽しく、おなかを抱えて笑い、そして時間は過ぎていった。私たちに、その時間は毎月決まっている「当たり前」のイベントであった。

それが・・・まさか!の事態となった。「働き方改革」なんで口先で言っている場合ではないほどの事態に呑み込まれたのだ。まず、健康でいるのかどうか?それも気になってしまう事態である。

「いかがお過ごしでしょうか?」というメールを出してから暫く時間が経過。ドーンと直撃である業種を複数こなしている彼女だから、なんともおせっかいながら気になった。

教室の休講、社員の出勤の工夫、そしてテレワークと無事にしているようで安心した。そして「またみんなで笑って会えるよう、今はひたすら人と接触しない日々を過ごすしかなさそうですね。それではまた、お会いできる日まで」ととしでている。本当にそうだね!「当たり前」のようにしていたことが「当たり前」でなくなる事態って本当にある。見えない敵に勝つためには、とにかく接触を断つことが必須!

 

辛抱!

 

呟き

2020 年 3 月 27 日 金曜日

「花見の気分にもなりません」・・・

知人からの呟きにも似たタイトルでメールがきた。

最高の大吟醸がある!という流れには少しばかりの元気も見えた。

しかし、彼の少しばかりの元気にも、気の置けない仲間たちのワイワイ感は、一歩も入ってはいけない・・・そんな感じである。

先が見えないな、今は・・・

桜がきれい・・・

2020 年 3 月 24 日 火曜日

いつもは気が付かなかったところで美しい桜を発見!

感動するほどにきれい。

散歩程度ならOKとはいうけれど・・・

毎年、当たり前のように「お花見」をみんなで楽しんだ。

本当に「突然」という事態ってあるのだな・・・と思う日々。

コロナウイルスの終息って?

いつ?

神様だけが知っている?

子どもも大人も疲労を感じているけれど

もう少し辛抱!辛抱!

いろいろ考える

2020 年 3 月 15 日 日曜日

2020年3月15日。

静かだなぁ・・・世の中が。

ひっそりしている。

 

 

気配

2020 年 3 月 8 日 日曜日

人間は1年間に1000万回の呼吸して、500万リットルの空気を消費するらしい。

空気は「気配」でその「気配」は「時」がつくるそうだ。

ニュートンのこと

2020 年 2 月 28 日 金曜日

今、いろいろ考える。思い出す。とんとんと進んでいること、進んでいたことがふっとストップ!状態となると人は本気で考えるのかも知れない。そうだ、17世紀に再流行したペスト。ロンドンを恐怖のどん底に陥れて社会を大混乱させた。中学生の時に「あっ・・・」と思ったアイザック・ニュートン。彼もその時代を生きた人物であり、学校が休暇となり、故郷に帰ってのんびり思索にふける日々の中であの万有引力に気づいたと昔、何かで読んだ記憶がある。ペストはその後も世界中に拡大し続け、近代ヨーロッパが幕を明けることとる。神学者でもあったニュートンは思索にふけった、その姿を想像した。これまた当時、私の頭の中は万有引力で固まってしまった。

・・・そんなことを思い出した。。

年月

2020 年 2 月 18 日 火曜日

このところずーっとインタビューが続いている。

午後はサンシャインシティの元役員のKさんにインタビュー。

カメラがセットされスタート!

竣工から44年・・・半世紀も近い。

話が終わって、当時の宣伝部長のIさんのことを訊ねた。一昨年、亡くなったと聞き、なんとも言えない気持ちになった。

人はトシをとれば亡くなる。そんなことはわかっているが、実際に亡くなったという過去の出来事のようにお聞きする・・・

どうしてか?鮮明に実に鮮明に最初に取材した日の事を思い出す。当時は工事現場のプレハブの2階へ上がっていったが・・・Iさんは中心人物で、ものすごく忙しい最中だった。「ちょっと待っていてください」と言われたもののどこで待っていたら良いのか右往左往するほど若い私は未熟者だった。

夜にまた一件、取材が入り、それが終わって寒風の街を歩く。

「時」がコツコツコツコツと音を立てて流れていった。