入院中の友人の状態があまり良くないと病院から連絡をもらい、とんでいく。昨日より状態が悪い。「おはよう!」というと早朝は顔を動かしたが・・・。今夜がやまでしょうという担当医の言葉。しかし、夕刻からますます悪化して・・・亡くなった。数か月前までは想像だにしない。生ある人間は必ず死が訪れる。あたまでは分かっていてもまだピンとこない友の死。今まで有難う。元気な姿しか浮かんでこないよ。
入院中の友人の状態があまり良くないと病院から連絡をもらい、とんでいく。昨日より状態が悪い。「おはよう!」というと早朝は顔を動かしたが・・・。今夜がやまでしょうという担当医の言葉。しかし、夕刻からますます悪化して・・・亡くなった。数か月前までは想像だにしない。生ある人間は必ず死が訪れる。あたまでは分かっていてもまだピンとこない友の死。今まで有難う。元気な姿しか浮かんでこないよ。
夜空を見上げた。スーパームーン。こんなに月って美しいものなのか!と感動しながら・・・目が少し潤んできた。
癌で闘病している友人に会った帰り道。
他の友人達と彼の行先をあれこれ看護師さん、介護士さんとさんざんさんざん話し合った。ある時は「嫌だ!」と言いながらも、緩和ケアへ行くこととなった。
しかし、人とはここまで痩せてしまうのか?言葉もなく。
仕事をしてきた時の話、富士山に登った時の話、ヨットで釣をした話。そして満開の桜のしたで酒宴。、そしてこんな月を見ながら話しもした。
声が出づらくなった彼は一生懸命にノートに文字を書き、そして弱々しくも手で表現する。
その様子に友人の一人が声が大きくなった。そんな筆記で気持ちを伝えることに慣れないから、しかたないのに・・・。
「友人としてこうしたことを経験することっなかなかないよ」と一人が言う。「たいがい家族というものがそういう事ってするからね」と。
家族がいても闘病中であったり、“縁”がなくなった人間関係になってしまえば・・・これもしかたない事だ。
しかたない・・・のだ。
だったら・・・できる人間が手をさしのべることだ。
まず、さしのべて進め!これしかない。
夜空の月がきらきらと輝いている。
宇宙の中で、人はちっぽけな存在でも、みんな人を愛したり、必死に生きようとしているのだ。
ウオオオオーッと叫びたくなった満月の夜。
シルバーウイーク!
日本って一年中、何とかウイークだとか、何とか記念日だと今日は何の日って騒いでいますよね~。
先日も若い女子がお茶しながら「・・・っていうかさー、お前、コスプレしろよっていうんだから~」と1人が言い出してきた。「えっ?コスプレ?」と書類に目を通すふりして聞いていたら、どうもハロウイーンに彼がコスプレしろよって言っているらしい。まあ、ただね、それだけのことですけど・・・
ちょっと前までは日本にハロウイーンなど定着していませんでした。「なんだね?カボチャがどうたてって?」と聞かれる事も度々ありました。
ハロウイーンの存在を私は昔々、英語の教科書で知ったくらいです。日本できゃあきゃあとは騒がなかったと思います。
日本人って何か不思議な感性をもっていますよね~それも、自然にとりこんでしまうのがうまい。頑なに拒んでいる人が寧ろ「変!」に思われる。
あああ~それにしても草臥れますね~何とかウイークって。
鄙びた温泉にでもふっといきたくなりました。
湖畔の宿でもいいですなぁ。
うろこ雲が美しい。
深まりゆく秋に一句。
秋思かな湖面をはしるさざれ波
今年になって・・・と鎌倉に向かう電車の中で思っていた。毎年、当時の仲間たちで酉の市には元気に繰り出していた。そして、いつもそこでニコニコと笑っていたT部長。今度は「美味い蕎麦屋があるからそこで皆で集まろう!」と話していたばかりだった。読経のなかで、ふっと人生のことを考えていた。長いようで短い人生・・・なのかも知れない。人と人との出会いは本当に「奇跡」であるということを考えた。T部長をおもい明るく明るくおくろう!そう思いながらも溢れる涙。T部長、ゆっくりお休みください。そして、これまで、本当にお世話になりました。感謝です。
まとめなくてはならない事が山盛りである時に、何故?業務とは関係のない本を読みたくなるのだろう?もう数冊が目の前にある。タイトルみても全く業務とは関係がない。不思議でしようがない。
追い込まれて、追い込まれて業務をこなすタイプである。しかし、性格は超せっかちで計画をわりと緻密に立てていかないと落ち着かない反面、この追い込まれ状況に異常に白熱する自分は不思議でもある。
しかしどうも忙殺されると関係ないジャンルの読書、映画、酒に逃げ込むタイプであることは確か!である。
最近、文京シビックセンターに行くことが多い。「どこ?」といってしまいそうなのだが、文京区役所のことである。
生まれは麹町というところだが、幼稚園年長組からは文京区で育った・・・ということで、昔の文京区役所の姿をしっかりと覚えている。階段の位置とか、結構細かいことまでも覚えている。
街の様子も然り。道そのものはあまり変わっていないので、本当に自分の頭の中に映像として浮かんでくるのだ。都電の17番が走っていた。電車に乗るのが大好きで、運転手さんの近くに立ち、いつも前方の車窓から見える景色が好きだった。
街の移り変わりとは本当に凄いな・・・とつくづく思う。だからこそ、地名も残していきたいのだ。私の住んでいたのは「富坂」といった。文京区は23区の中でももっとも坂道の多い区である。その名前そのものに歴史がつまって、そこを行きかう人々の息遣いが聞こえてくるのだ。
今年の年末に神楽坂女声合唱団のチャリティーデイナーショーが行われるが、今回、そこで昔歌った「レ・ミゼラブル」の楽譜を見つけなければならず、休みの日にワサワサと資料の山の整理をしていたところ、「何と!」というものがぞろり。その中に『月刊 食味評論』という古めかしい雑誌が出てきた。発行年月日を見ると昭和56年11月1日とある。多田鐡之助さんが「日本食べ歩き」の中で、常盤家社長だった祖父の渡邉喜一の伝記に近いものを書いていらっしゃる。何故今?という感覚で読んだ。雑誌はすっかり黄ばんでしまっているので拡大コピーしてすみずみまで何度も読んだ。常盤家の歴史が「冷静」な視点で書かれているのだ実によく分かった。ふと「不明だが・・・」云々の部分は子ども心に聞いていたあれこれのお家騒動にも似た様々な事象であろう。昭和20年太平洋戦争が終結し、新しい日本政界に自由党が生れたこと。そして祖父と鳩山一郎さんとの出会いも分かった。
何故か、妙に祖父し暮らしていた時代が懐かしくなって心の底がぐじゅぐしゅししてきた。「36歳で東京一の料理屋になり、72歳で日本一の料理屋になり、108歳で世界一の料理屋になる」と言っていたそうだ。明治21年生まれ。戦前、戦中、戦後を駆け抜けてきた祖父。108歳までは生きられなかったものの、料理界に与えた功績は大きい・・・と思う。祖父の底力の一滴でも私に欲しい。
急に暑くなりました。これから猛暑が続くと思ったら・・・
それに台風9号とぞくぞくと台風発生。
湿った空気とともにかなり大気も不安定です。
今年もまた体力勝負の夏がやってきます・・・
乗り越えるのは“免疫力”ですな~
先般の血液検査の結果が優等生並みの「良さ」で何か嬉しくなっています。
人は年齢をかさねていけば、ものの道理も分かるもので、「まるくなった」と言われることが大人の証明であろうと子ども時代は思っていた。今、大人になって気付くことは、人とはそれほどに大人にはならないってことだ。学校時代はそれほどの変化は感じられないものだが、要は社会でどんな生活をし、考えて、行動して・・・というかどんな環境で生きてきたかいうことなのだろう・・・と思う。しかし、一旦、社会生活の何かがふっきれ、タガがとれたというのだろうか、軽くいうと「こりゃたまらんわ~」「どーにもならんわ~」ということの多いことよ!このところ、そんなこんなが雪崩の如く。かなり草臥れている。所謂大人の子ども?今宵はその問題解決の為、頭抱ながらの話し合いを。しかし、対策ねったところで人ってかわらないものに改めて気づいて笑い出すしかないのだ。その上、離しあい、対策をねるといっても、トシとると集中力もそうはもたない。・・・いうことで、冷酒でも・・・おっとっと・・・なみなみ継がれた冷酒の煌めき。いつ見ても美しい。やはり人とはたまに解放されないとねぇ。あとはさら~りさら~りとケセラセラ。