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‘ichiko’ カテゴリーのアーカイブ

小林カツ代さん お別れの会

2014 年 3 月 31 日 月曜日

2014年3月31日(月)。帝国ホテル富士の間で『小林カツ代さんお別れの会』があった。祭壇というよりステージには満開の桜の中で笑っているかっちゃんの写真。献花をする。会場内には多くの書籍たち。そして愛用のキッチン道具も展示されていた。若かりし頃のかっちゃんの写真も多数展示。ただただ懐かしい。神楽坂女声合唱団はかっちゃんが心をこめて作詞した団「緑の星に」を歌う。元団員との懐かしい再会もあった会場。こんな日はくるのか?と考えたこともないことが人生にはある。いつも前向きでケタケタ笑っているかっちゃんにしんみりした気持ちは大敵と思って、みんなでワイワイとね。

 

「あっという間につくった料理はおいしい!なぜなら「気合い」が入っているから。」   小林カツ代

 

忘れませんね。いろいろなことを。駅の階段をハアハア登りながら「私、考えついたのよ、今」と編集中の書籍タイトルを言っていたあの日。「階段、登りきった時でいいって~」と言ってもハアハアとのぼりながら何度も言うかっちゃん。楽しかったね!可笑しかったね!

フライパンひとつあればどんな料理だってできる!と当時の私には信じられない魔法を教えてくれたかっちゃん。

「あんた、料理人になるわけじゃないんでしょ?ばかねぇ~それなら使いなさいよ」と野菜の皮むき器を勧めてくれた。どんなに料理がはかどったことよ。

次々と思い出されることを大切にしていこう。

忘れずにしていこう。

 

 

捨てられないものたち

2014 年 3 月 26 日 水曜日

以前、「断捨離」という言葉が流行した。その時には、それほど感じなかったのだが、モノを「捨てる」という行動・行為が実に難しい。何でも一応とっておくと妙な安心感があるものだ。それは「いつか使う」「いつか役に立つ」という感覚からか?特に、膨大なファイルの山に「フホォー」と大きなため息が出てしまう。こうしたことは気力のある時にしかできないものである。

ファイルの背表紙には「原稿資料」とあった一冊がデスクの奥の奥にあったものだ。また「何かに役立つだろう」ととっておいたものだろう。だいたい、原稿や、ゲラなどはその出版物がでて、たいがいは破棄する。最近は殆どがパソコンでの仕事。フォルダにとりあえずは分類をする。紙の資料は地域別、時代別などカテゴリー別に分類はするものの、ほいさっ~とデスクの上に置いて、時間が経つと紙袋に入れてしまう資料がある。これは?それにも漏れたものだろうか?思い切ってそしてファイルを開けてみる・・・「ああ・・・」と声が出る。いろいろな方の直筆原稿。パソコンの文字うちではない手書きの原稿。中には、原稿用紙に整然と書かれたものもある。その中にかっちゃんこと小林カツ代さんのゲラ直しのコピーが2枚あった。何年前のものだろうか?そうそう、あの時だ!と思いながら、そのゲラの赤字校正を見る。いや、読んでいた。元気いっぱいのかっちゃんの手書きの赤字校正。懐かしいやら・・・言葉が見つからない。来週あたまにかっちゃんの「お別れ会」がある。その前に出てきた原稿直しのコピー。心の中で何かが弾けた。

臨死体験

2014 年 3 月 23 日 日曜日

以前、作家の立花隆さんが「臨死体験」という本を出版して話題になったことがある。私の友人の児童文学を主に書いている作家のTさんがなんでも、児童向けに分かりやすい臨死体験の本を書くということで先般、「臨死体験をした人を知らないか?」と問い合わせがあった。いつも親しくさせていただいている陰陽五行の伊勢瑞祥先生が、その体験があるということを話したところ、是非とも会ってみたいということになった。

「臨死体験といえるのかなぁ?」と伊勢先生は言いながらも、取材の日、かなりノリにノッて?、本当に引き込まれるお話しをされた。もう本当に前に何度か、チラッと聞いたことがあって、そのままぼんやりと覚えていたことだが、改めてその体験話を聞くと不可思議極まりなく、人間ってなんだ?とそんなことまで考えてしまっていた。

取材後に、「ああ、思い出した。不思議な夢の話」と言うと、Tさんは「夢でもいいから聴かせてよ」と言った。忘れていた泉が湧き出るように、なんとまあ!不思議な夢の話があるのだろうかと自分でも思った。臨死体験はしたことはないが、自分ではしっかり意識があるのに不思議体験も何度も経験している。Tさんと別れた後、いろいろ思い出して書いていくうちにどうしちゃったの?というほど思い出した。ただもそれだけの話ではあるが、自分も本当の「死」の前に何を見て何を感じるのか?興味は湧いてきた。

 

授賞式にでてまいりました・・・

2014 年 3 月 17 日 月曜日

3月17日は夕刻からサントリーホールで「エンディングメッセージ」の授賞式に出席する。大切な人へのエンディングメッセージということで応募した。人生には「まさか!」があるものだとつくづく。応募したメッセージもいつもいつも思っていることをいわゆる「つぶやいた」感じのものだ。日頃から文章については気負うことが少なくない。つぶやき・・・あまり文章には書かないな。多分、そんな自然体が審査員の方々(萬田久子さん、天野伊佐子さん、クミコ、残間里江子さん)に伝わったのかも知れないな。トークとミニライブもなかなか楽しかった!授賞式後にインタビューを受ける。いつもは「する側」であるがこの夜は「される側」。終活について結構聞かれたが・・・いきなり話をまとめるというのも難しいものがある。話しながら只管、見出しなど考えてしまうものは確実に職業病である。

 

大切な人へのエンディングメッセージ

2014 年 3 月 12 日 水曜日

歌手のクミコの新曲のコラボ企画として「大切な人へのエンディングメッセージ」に応募した。私が光になる前に愛するあなたに遺したい。大切な人へのエンディングメッセージということだった。「吉田さん、一時審査に入りました」と連絡をいただいたのがつい先日。まあ、久しぶりにすごいね~程度に思っていたら、なんと、昨夜「最終審査にはいりました。入賞おめでとうございます。」との連絡。人生には本当にまさか!があるものだね。3月17日に授賞式およびトーク&ミニライブが東京・赤坂のサントリーホール 小ホールで行われる。審査員は女優・萬田久子、天野伊佐子さん(故・天野祐吉さん夫人)、残間里江子さん。たまたまというか、いつもいつも心の底から思っていることをまとめて書いたもの。いわば等身大の気持ちそのものである。ある記事には “遺言歌”を起点に広がりを見せそうな「エンディングメッセージ」。このムードが高まれば、クミコの4年ぶりの紅白の舞台も見えてくるのかもしれない・・・とあった。自分も、エンディングを意識し始める「お年頃」そのものになったということであろうな。

ご縁

2014 年 3 月 4 日 火曜日

先般、発行した友人の遺稿作品「幻の稲荷山王朝 ワカタケル大王と埼玉古墳群の謎」。3月3日に“ひなまつりの日に”ということで、故人の弟さんからメールが届いた。親戚一同全てに配り終えたとのこと。我々メンバーの話も昔、聞いたことがあった・・・そんな件も書かれてあった。弟さんの言葉のひとつひとつに何とも言えぬ亡きお兄さんへの想いが伝わる。人と人とのご縁とは本当に一期一会というのだろうか?社会生活のひとこまで出会って、今、こうして友の遺稿作品をまとめたということ。これは、自分の人生のひとこまでもあろうなと。今は亡き友に対して、いろいろ有難う!と心から言いたい。

きっと桜の華やぐ季節には・・・

2014 年 2 月 24 日 月曜日

朝一で友人の遺稿作品集が納品された。東日本大震災のあった年の4月30日。末期癌の告知を受けながらも、積極的にホスピスに入ることを願った友人。奥さんや兄弟など家族の心配をしながら・・・無念だったと思う。

彼が長年、あたためてきたテーマだった稲荷山王朝の研究。プロローグを読めば、その研究への意気込みが伝わる。しかし、エピローグには、彼の遺された「時間」の無さ、寡黙な中に静かな叫びさえ感じ取ることが出来る。

遺稿作品「幻の稲荷山王朝 ワカタケル大王と埼玉古墳群の謎」。手にとれば、その重みに彼の気持ちの重ささえ伝わる。メンバーで出版を思い立った時には、もう少し早くに出版出来ると思っていたが・・・しかし、今は違う。この時間が残された私たちにも必要だったということが分かるのだ。私たちメンバーが日常生活を過ごしながら、そんな中で彼への想いを一つの形に仕上げていく、そんな凝縮した時間。これが、きっと天国にいる彼への一歩メッセージが届きやすい「時空」へと入っていったのではないかと思っている。

「学会とは真逆理論だね」といういろいろな人々の感想や評価に戸惑うこともあったが、あるかたい信念と意思というのだろうか。要は友情であろう。且つ、考古学者の田所真先生の「真逆理論」は分かっていらっしゃる中でも「書籍化を勧める」という言葉に私たちは想いを一つに出来たのだ。

天国でも推敲しているのだろう。ニヤニヤと笑っているのだろうか?好きなワインでも飲みながら?。桜のはなやぐ季節も間近である。友は再び、集まり、この作品を読みながら、貴方の話をするだろう。人生のたまたま・・・産経新聞社という組織の中で、たまたま、第4期の中堅社員研修の中で知り合って。たまたま同じテーマに関心があり研究を始めた仲間。偶然ではなく、それはよく言われる「必然」の出会いと出来事だったのかも知れないね?そう思うよ。メンバーが再会する日、忘れていた涙も零れるかも知れないね。

ほころぶ梅の花に笑顔

2014 年 2 月 21 日 金曜日

季節とは本当に素晴らしい。教えたわけでもないのに?梅の花が咲き始めた。本当にほろっほろっという感じである。寒くても春が着実にやってくることが分かる。

桜の季節に間に合いそうだ・・・

2014 年 2 月 11 日 火曜日

産経新聞時代の中堅社員研修の仲間が逝って3年の月日が経った。しかし、人とは亡くなってしまうと本当に戻ってこない・・・そんな当たり前のことなのかも知れないが、不思議な感覚である。

丁度、東日本大震災のあった年。その年のはじめ、彼はこれまで書き溜めた原稿を本にしたいなと思ったものの、何と医師からの余命宣告を受けていた。このこと、後になって、信頼する同僚の方から聞いた。初めて知ることばかりであった。

訃報にせっし、私は言葉を失ったままでいた。暫くして、その同僚の方に「もしものことがあったら」と託したその原稿の一部が見つかった。あの不思議な感覚は今でも残っている。本を出したいという気持ちと、希望はあってもそんなに自分には残された時間がない・・・そんな葛藤があったのだろうかと。

渡されたデータ。しかし、それはオールではなく・・・それからはいろいろ組み合わせて読み取っていく。それは地道なパッチワークのような時間であった。「どうするか?」と仲間たちと考えあぐねた。果たして自分たちに彼の想いをまとめることなど出来るのか?と。

「出版しよう!」と結論が出たその時からその作業は始まった。彼の独自の考えにいきついた 「幻の 稲荷山王朝」の歴史。原稿を古代史に興味のある方々に読んでもらった。皆が口を揃えて言う。「学会とは真逆の理論だね」とそれで終わった。しかし私たちは初志貫徹しかない!前進あるのみだと。古代史については皆は全く素人。ちんぷんかんぷんではあるものの「真逆の理論?いいではないか!」と言い放った。この時が、いわば亡き仲間の出版への船出であったのだ。

しかし、予想以上に校正に時間がかかった。彼の理論に対して修正など出来ない。しかし、死を前に、焦燥感もあったのだろうか。、文字の打ち間違い、計算のケアレスミスか。医師からの宣告をうけ、じっと密かに耐えていた彼の姿を想像すると涙が零れる。いろいろな感情の嵐の中、淡々と地道な作業が続いた。本当にコツコツという作業である。

2014年2月9日の夜中。ついに最終校正が終わった。翌朝、印刷所へ連絡。入稿となった。今は何か胸が高鳴っている。今はみな、いろいろな職場ほ、または実家に両親の介護の為に戻ったりと、思えば数十年前の環境とは全く変わってしまっている。しかし、これほどに再び、仲間たちの気持ちがひとつになったということは亡き彼の透き通った気持ちなのかも知れないと思った。「ようやくだね。桜の季節の出版が間に合いそうだね」とメールで、電話でいいあった。出版を記念し、彼を偲び、そして遠く離れた仲間たちと桜の下で再会をするのだろう。その日はもうすぐである。

 

 

次から次へと思い出す・・・不思議ね

2014 年 1 月 29 日 水曜日

この世に絶対という言葉。悲しい「死」というものだということがつくづく分る。小林カツ代さんとの思い出、それも仕事というよりプライベートでといえるような思い出。よくぞ!と思うほど、まざまざとうかびあがってくる。不思議なほどだ。そうそう、講演会の時の口紅の色まで思い出している・・・。人の記憶とは一体何なのだろう?と改めて思ってしまう。

2000年の春。浜町でお花見をしていた時だった。「あのね、あなたも入りなさいよ!」と言われるがまま、かっちゃん構想の合唱団への入団した。当初は料理関係者のコーラスグループだと思っていたところ、動物をこよなく愛するかっちゃんの強く優しい信念が息づく「神楽坂女声合唱団」だったのだ。名古屋、北海道・・・東京だけでなく、いろいろ地方公演にも行ったね。結成時の年末に初のチャリティーディナーショー。あの時の団員の興奮といったら!今年、合唱団も結成15周年ですよ。

勿論、料理本の編集も。撮影終了後はかっちゃんの料理をおなかいっぱい食べて笑って笑って笑った。もっと前に遡れば・・・当時はある時代の風にのっていた方のホームパーティーの席で「初めて出会った。「私ね、お料理するのが好きなだけなのよ~」という、普通?のかっちゃんだった。そして、かっちゃんの才能はあれよあれよという間にカリスマ料理研究家に。

野菜の皮むきにこだわっていた私に「あんたぁ、馬鹿ね~」と言われ、ピーラーをもっと料理に使うことも教えてくれた。「料理人になるわけじゃないんでしょ?」と言ってケタケタケタケタといつまでも笑っていた。

雑誌編集者とともに定期的に「みっけ!」という飲食店へ行ったことがある。私が「みっけ!」と言った店で、ある料理を靴にして、しばし無言の後、「こりゃいかん」と言う。それからその会は「こりゃいかん会」となった。いつも大笑いの連続だった。料理店になかなか現れず・・・ウルトラ方向音痴のかっちゃんは電車の方向を間違えて。「電車がホームに入ってきたから乗っちゃったのよ」とその間違いを自慢げに話す。ふんふんと頷いていると「あんた!ちゃんと聞いてるの!?」と。「だから、ホームに入ってきた電車に乗っちゃったんでしょ?」と。これまた可笑しかったのだ。

物忘れが激しい今日この頃だというのに、よく思い出してしまう。次から次へと。不思議現象。そして思い出し笑いをしていまう。また、編集した本など読みかえしてみますね。かっちゃんの料理はしっかり多くの家庭のおふくろの味、おやじの味になっていますよ。