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ichiko | ichikoTV - Part 9 ichikoTV

‘ichiko’ カテゴリーのアーカイブ

マンドリンの音色

2022 年 10 月 10 日 月曜日

2022年10月10日、仕事でお世話になった方の「偲ぶ会」だった。午後から明治大学の駿河台キャンパスアカデミーコモンへ。

遺影のМさんの微笑みはそのまま。まだまだいろいろお話を伺って映像にのこしたいことがらは山盛りだったのに・・・と思う。

奥様の三回忌を終えて「じゃあまたな」と言った姿が最後だったと多くの方々が言う。人の人生って・・・とその話を聞いて思った。

私は・・・ちょうど時間の調整が出来てその旨の連絡メールで「連絡をください」と出したその「日」になんと息を引き取られたことが分かった。自分の内で唖然とした。「あ」と心の声が漏れた。

マンドリン倶楽部の演奏が始まった。偲ぶ会でのマンドリン演奏は初めてだったが、なんて・・・なんて切ない音なのだろうと思った。音色が心に突き刺さり、心が泣いた。

Мさん・・・安らかに。そして有難うございました。

時間は容赦なく過ぎるよ

2022 年 10 月 6 日 木曜日

勤務していた新聞社の旧友会のお知らせを受け取る。なんか・・・訃報ばかり。こんなに?・と思うほどの訃報。溜息とも言えぬ声が漏れてしまった。高齢社会とは言ってもやはり80代、そして奇跡ともいえる90代への道。元気に活力満杯の人々の姿が思い出される。でもふっと確認してしまう。人間って平等に死を迎えちまうねと。

終息も見えぬコロナ禍にあっては総会、懇親会もなしである。1年なんて瞬く間に過ぎ去る。本当に瞬く間である。こういうことがジーンと分かる年齢になったんだなと改めて思う。

さて!会報用の近況MESSAGE・・・何を書こうかな?でも本心は皆さんに会って懇談したいな!話したいな!昔の自慢話だって今ではたんたんと聞ける世代になりましたよ(笑)

エリザベス女王

2022 年 9 月 19 日 月曜日

2022年は何かあまりにも時代の変換?を感じる。

9月8日に亡くなられたイギリスの女王エリザベス2世の国葬が19日に行われた。

女王の棺は、公開安置されていたウェストミンスター宮殿から徒歩の葬列でウェストミンスター寺院に運ばれた。その後、ウィンザー城内の聖ジョージ聖堂で埋葬式が執り行われ聖堂内の納棺堂に、昨年亡くなったフィリップ殿下の棺と共に納められる予定である。

国王ジョ-ジ6世の死去に伴って即位したエリザベス女王。ウェストミンスター寺院で1953年6月2日に戴冠式が行われた。国の為にと以来、半世紀以上にわたり女王の座にあった。

結婚式もそして国葬もウェストミンスター寺院であった。女王は自分の葬儀の時の音楽さえ選んでいたという。

何か・・・本当に時代がかわっていく

2022年8月

2022 年 8 月 14 日 日曜日

天気予報を見ればだいたい一週間くらいの天気だ、気温だと分かる。予め、なんというのか?心の準備が出来る。しかし、ますます増えている豪雨による土砂災害など。そこの住民の方々が言う「これまで経験したことがない・・」という辛い言葉。何かが?何かが変化していると感じる。

ただただ慌ただしく過ぎていくこの2022年の8月。しっかりと地にあしつけて意識して過ごさないと「暑い~」だけで、「忙しくて」で終わってしまうよ。何かが変わってきている、これまでとは。そんな気がしてならない。

11日の夜に花火をした・・・こんなに綺麗な瞬間があるのか?と思うほどの何か伝えきれないほどの高揚感があった。夏の日の花火はやはり・・・いいね!


この子たちの夏

2022 年 8 月 12 日 金曜日

考えて見れば体温のような気温の日々。妙に忙しく働けば、肩も凝るし、目もショボショボとなる。とても意気込んでいたものの・・・何故か・・・8月中旬に行う朗読劇『この子たちの夏』1945・ヒロシマ ナガサキが気持ちがきつくなっている。今更、なんだかんだ言えないもののこの気持ちは何なんだ?!と自分に対して詰問してしまうほど。



日本は唯一の原子爆弾での被爆国である。日本人としての経験を記録でなく記憶に留めたいと構成・演出の木村光一氏が遺稿や手記、詩歌など膨大な資料の中から「母と子」に絞り朗読劇としてまとめたものである。あまりにも身近な言葉が溢れているのだ。

母を亡くした子供

子を失った母たちの書いた手記

体験した人全てが、あの日のあの時間にいつも通りの夏の日常生活が、その瞬間に消えてしまうのだ!

哀しいとか辛いとか・・・言う間もなく!

戦争って一体なんなんだ?

倍賞千恵子さんの「死んだ男の遺したものは」を聴く。

涙が零れて止まらない。

これは、詩人の谷川俊太郎が詩をしたため、昭和35年の反安保集会のために武満徹が作曲したものだ。武満さんは倍賞千恵子さんののデビュー映画「斑女」の音楽担当でもある。倍賞千恵子さんも昭和40年代のリサイタルからずっと歌われているようだが、平成になってからの小六禮次郎さん編曲版がリサイタルの定番。小六さんのピアノ、そして倍賞さんのあの歌声は響く。

長崎の郵便配達

2022 年 8 月 10 日 水曜日

元英空軍大佐で、戦後は英国王室に仕えたピーター・タウンゼンド。マーガレット王女との世紀の悲恋が世界中で話題となり、映画『ローマの休日』のモチーフになったと言われ、その後、ジャーナリストとなった彼が、日本の長崎で出会ったのが谷口稜曄さんだった。

あの写真を覚えているだろうか?16歳の夏、郵便配達の途中に被爆し、生涯をかけて核廃絶を世界に訴え続けた谷口さんを、タウンゼンド氏は取材。1984年にノンフィクション小説を出版。タウンゼント氏の娘のイザベル・タウンゼンドさんが、2018年の長崎で、父の著書とボイスメモを頼りにその足跡をたどり、父と谷口さんの想いを紐解いていくドキュメンタリーだ。

いざ!大菩薩峠へ

2022 年 7 月 31 日 日曜日

山の朝は早い。

東京では30度越えの猛暑という時に、7月31日の早朝の大菩薩峠は15度ほど。

午前4時を少し回ったころから空の風景が刻々と変わってくる。その情景の素晴らしさは体験以外にはない。とくに山頂は寒く羽織るものがほしい。標高差って本当にな凄いなとつくづく思い空の虜となっている。

前夜の大雨がやんで、霧がこくたちこめていた空に、漸く朝日が見えはじめ、紅く染まる。そしてどこからか天から舞い降りてきたような雲が取り囲む。

富士山も姿を現した。「ああ!」と思わず声か出てしまうほどに美しい山。やはり日本一美しい山なんだなと思う。

北岳は雲に隠れているが・・・甲斐駒が姿を現した!

1秒1秒のドラマが目の前で展開されていく!

朝日が昇る
富士山が姿を現した

Kさん

2022 年 7 月 21 日 木曜日

安倍元総理の襲撃事件。あの時に聞いた某宗教団体という情報から一体どこの?と思っていたがあの統一教会とニュースで知った時は驚いた。すっかり忘れていた名前だった。

昔、本当に優等生のKさんだった。ずっと親のいう事をよく聞く、良い子で育ってきたという。真面目に物事に取り組む姿は今でもしっかり覚えている。しかし・・・何がどう動いたのか?多分・・・当時は新宿西口の路上で声かけられたのだと思う。優等生の彼女の心の中のスイッチがおされてしまったのだろう。

「私、真理を見つけたんです!人生の真理を」と私に言う彼女の目はキラキラしていた。こんなに瞳は輝くものか?と思うほど煌いていた。怖いほどの輝きだった。「え?真理って?なによ!言ってみてよ!」と語気荒く・・・彼女を救い出そうとただ必死だったのか?まだ若い私にはうまく言う事も出来なかった。

「家の中の高価なものは何もかも持ちだして、集会所?のようなところに行ってしまう・・・・どうしたらいいのですか?」とKさんのお母様が私に泣きついて、相談された。その団体の実態をも知らなかった。どうする事も出来ず・・・

果たして今、Kさんはどこで何をしているのだろう?お母さまに相談された後、どうなっていったのか?時が過ぎていき、今は皆目分からない。「真理を見つけた!」とかたく信じている純粋な瞳以外、思い出せないでいる。人の世での出会いの中にこんなことってあるんだね?


いわゆるひとつのおっちょこちょい

2022 年 7 月 6 日 水曜日

暑いからではないと思う。単に気質というか性質なんだと思う・・・

昨夜の打ち合わせ会議の席で、ちょっと耳に手を当てた瞬間に違和感があった。あれ?鏡はないが・・・何となく察知した。右と左のイヤリングが形状は似ているけど違うものだと気づいた。

あれれ・・・と思っていても平然と話しをしなくてはならない。何気なくこそっと両方を外してBAGに入れた。ふぅ・・・帰宅してアクセサリーをしまう時、思わず笑ってしまった!

打ち合わせ会議の方々は中年~の男性。多分、気づかなかったと思う。気づいたとしても、そんなファッションなんだと思っただろう。平静さを装っていたがかなり恥ずかしい。耳をわっと出しているし・・・

これが女性であればたいかい気づいて注意を受ける。「吉田さん、シャツが表裏が逆よ」とか言われるのだ。

かなりのせっかち。そして慌て者のおっちょこちょい。「早い話が~」と長く話されると痒くなるタイプ。そして意外と細かい。

最近はもろもろブッキング状態が続く。

少し落ち着かねば!と思った夜でした。

適応しかない!変化を愉しめ!

2022 年 7 月 5 日 火曜日

思い起こすと・・・一昨日くらいからか?携帯電話の様子がおかしくなっていた・・・気がする。やはり!通信障害が起こっていた。

東日本大震災の時も全く不通となって、連絡がとれず慌てた。今回は地震でもなくただ猛暑だけ?それでも全く不通となり、しかたなく固定電話から固定電話へと・・・でも今は固定電話が珍しいくらい。仕事の関係からFAXもあるのでそれも使おうかとしたが・・・とにもかくにも諦めた。

当たり前のような事がいきなり断たれると人は本当に戸惑うものだと感じた。それが仕事ともなると本当にどうしたものかと。考えている時間に昔は乗り継ぎ乗り継ぎ人は動き回ったのだと思いかえした。しかし現代人は完全に忘れて、快適さが当たり前になっている。決済にしてもそうだ。キャッシュレスといい、端末持って外出する人も多い。現金が無くては本当に困ることがあるのだ。

しかし何とも暑い・・・

煩雑な事が山積み・・・いろいろ考えた。最悪のシナリオを考えておく必要があるなと。嫌だけどね。

今、少し心が明るくなるのが政治に関心、興味を持ち始めた人々が私の周囲で多くなってきている。私よりずっと若い層の人々であるからこそ嬉しい。