サイトトップ

社会問題 | ichikoTV - Part 13 ichikoTV

‘社会問題’ カテゴリーのアーカイブ

労働歌の強さ

2021 年 6 月 8 日 火曜日

人の日常生活には「たまたま」ということがよくある。私は最近、この「たまたま」は「ご縁」だと思うようになってきた。今までは単なる「たまたま」と思っていたが・・・

あれこれと考える事が多くて・・・どうも寝ていればいいのに、ある日の夜中にパシッ!と起きたはいいもの、「ああ~困ったなあ~」と思い、テレビのチャンネルをまわした。大概、経験のある人はご存じだろうが、夜中の番組には「通販」が実に多いのだ。なんでだろう?と思っているうち、あの通販のプロたちの巧みな商品いアピールによって、多くの人が多分!おちるのだろう。たとえ、その商品名は正式に知らなくても、商品の本質が本人の心深くに思っているコンセプトと「たまたま」ドンピシャはまれば、おちる‼のだ。

さて、通販ばかりか・・・と思っている私の目の前にあるドキュメンタリーが飛びこんできた。ドキュメンタリーが大好きな私は一瞬、くぎ付けとなった。それは、19世紀に日本人労働移民が組織的にハワイに送り込まれ、ハワイ各地の砂糖耕地で重労働についた時の話。ハワイの日本人一世が生み出した労働歌である「ホレホレ節」の話だった。 「ホレホレ」とは、サトウキビの枯れ葉を手作業で掻き落としていく作業のことで、ふっと「惚れ~惚れ~」?と思った自分を恥じた。比較的力がいらなかったた作業だったので主に女性の仕事だったらしい。しかし、炎天下での作業は苦しい。決して快適ではなかろう。励ましあい、力を合わせるために、気持ちを即興的歌いこんでいったものだ。

「ホレホレ節」は、おそらく日本人移民がアメリカで生み出した唯一の民謡だろうということだ。要は、この歌には作詞者も作曲者もいないからだ。おおらかに歌う歌詞には日本語、ハワイ語、英語も入り混じる。

ハワイ 、 ハワイと夢見てきたが

流す涙は甘庶(きび)の中

行こか メリケン 帰ろか 日本

ここが思案の ハワイ国 

「メリケン」とは、「アメリカン」がなまったもの。ハワイは1898年にアメリカの準州となった。アメリカの法律に基づいて1900年より契約労働が禁止。日本人移民は契約から解放されたものの「思案」するのだ。

今日のホレホレ 辛くはないよ

昨日届いた 里便り

横浜出るときゃ 涙ででたが

今は子もある 孫もある

条約切れても 帰れぬやつは

末はハワイの ポイの肥

ハワイ ハワイと 来てみりゃ地獄

ボースは悪魔で ルナは鬼

カネはカチケン ワヒネはハッパイコウ*

夫婦仲良く 共稼ぎ

ダンブロウのワヒネ*にゃ 気が残る

条約切れるし 未練は残る

「ポイ」とはタロイモを発酵させて作ったハワイ原住民の主食のこと。3年契約の労働を終えても蓄えができず日本に帰国できなければハワイに骨を埋めてポイの肥料になってしまうよと歌う。カネとワヒネはハワイ語で、それぞれ男と女。カチケンはcut caneという英語がなまったものらしい。ダンブロウは、英語のdown belowがなまったもの。労働契約が満期になるが、耕地で働いている女性に気持ちが残るよと歌っている。

歌詞はまたまだ続くが・・・三味線の「音」がこの歌詞を盛り上げる。決して、バシバシの演奏をつけてはこの歌詞が・・・死んでしまうと思った。

労働歌の持つ、逞しさに心打たれた。

ああ!ややこしい!紙のカレンダーミス、見いつけた~

2021 年 6 月 4 日 金曜日

紙のカレンダーはかなり前に印刷をするらしい。だから変更があっても知らないとそのまま壁に掛けたまま「あらら~」ということになる。

ふっと7月を見ると7月18日(日)と19日(月)が連休の赤文字になっている。これが大間違い。19日の「海の日」というのが間違いで7月22日(木)が「海の日」で、そして23日(金)が「スポーツの日」で休みとなる。ですから・・・19日は平日です。つまりね・・・「スポーツの日」ったオリンピック開催日ということです。

そして8月を見ると・・・8月8日(日)が「山の日」となっているので翌日の9日(月)が振替休日です。11日(水)が赤文字になっていますがこの日は平日です。

多分ね・・・コロナもなく平穏な日々であったら必死に夏休みの計画をたてる。だから敏感になって人々も必死になるけど・・・と思っている。旅行計画だってたてにくいよねぇ。

・・・・と言うことで何ともややこしい日々が続きます。コロナ感染だ、ワクチン接種だ、そして「オリンピック開催はどうするんだ?普通じゃやらない」と科学者までがテレビで発言したり。なんだかんだ言っても、もう「オリンピック開催はするのです」(とあるすじから聞いた話では)という世界が決まっているらしく。国民はカレンダーのミステイクを手直ししているわけ。

一呼吸しないと・・・

2021 年 5 月 31 日 月曜日

今まで体験したことのない、コロナ禍。緊急事態宣言といっても、本当に皆皆がだらけてしまっている状態。やはり人間って「自分はかからない」とどこかで思っているのだろう。肉体ばかりでない・・・孤島でひとりぽっちで暮らしているのでなければ、「濃厚接触者」っ必ずいるものだ。「私がうつしてしまい周囲に迷惑をかけてしまった」と自死してしまった若い女性もいる。この世の中は自分ひとりではないということ、改めて認識してほしい。「今更。何言っているの?」ではなく考えようよ。

私は、最近、苦しくてもマスクは二重にして出かけるところも多い。やはり、人がいれば怖いのだ。初めて会ってもう二度と人生で会わない人々の中に入れば、感染の切っ掛けはいくらでもある。「誰の責任だ!?」なんて全く分からない。

親しい?親しいと思っていた人々との付き合いも不思議なもので、こんな2年近くも交流がないと「ああ!なるほどね」と思うふしも多くある。そんな中で、全く交流も長い間なくても「ああ!なるほどね」と気づく人々の対応もある。辛いが、そんなことに気づかせてくれることはある意味、LUCKYなのかも知れないな。

しかしね・・・不動産も含め、投資の話、勧誘が多い。太陽光発電の話もある。ついには「終活」「墓」の案内までくる始末。「未来」を感じ取って果敢に一歩踏み出すくらいの意気込みがないと、心身の「進化」は絶対にないなとつくづく思う。

話題がそれるが・・・

太陽光発電の現状を先般、セミナーで知ったが、山の頂上にまで設置し、森も林も行ってみれば崩壊寸前だ。これでは土砂災害も増えて人の命も奪われる。自然がこんなにも破壊されているのか!知らなかった!猛烈に腹が立った。

環境庁も体たらくそのものだと感じた。少し!考えろと。こんな状態を知ったのは、私もたまたまセミナーで知ったまでのこと。要は、例えば関心のない人ふくめ、ほとんど知らないのではないか?寧ろ、未来のエネルギーと思ってる人も多いはずだ。パンデミックで人が不安を抱いている時、いろいろは入れ込んでくる。専門家でもないのにプロを繕っている人間は多い、注意!注意!

一呼吸して・・・

とにかく「一呼吸」して考えよう。

『悲観は気分、楽観は意志』という言葉に!

2021 年 5 月 24 日 月曜日

脱コロナ時代はどうなるんだ?と活発な意見が出ている中でも、変異株に対しての国民の強い「恐怖感」は増幅するばかりか。

ニュースで「もう限界です」と張り紙を出したラーメン店が映し出され、店主は涙を流し「もう、続かないです」という。ビフォーアフターではないが、六本木、秋葉原などの貸しビルに入っている店舗が出でいったという。大きく「テナント募集!」とある。

東京五輪も中止しろ!

医療現場は崩壊!

こんなにも?と思うほどの声が聞こえてきている。

ワクチン接種しかないかな?と思っていると、「実は地球の人口を三分の一にする為の治験だ!」「決してうつな!」「5年後には死んでいる」とまでいう声も届く。

双日総合研究所チーフエコノミストの吉崎達彦さんの記事を読んだ。『悲観は気分、楽観は意志』と。なるほど!と長い目でアフターコロナを見てみよう!という気持ちへと転換する!

100年前、第一次世界大戦とスペイン風邪というダブルパンチを世界は受け、完全に疲弊した。例えば当時のアメリカの1億の人口のうち1%が戦争とパンデミックで命を失っている。1920年の大統領選でウオレン・ハーディング(共和党)が「平和への回帰」を掲げ勝利。前任者の理想主義は忘却された。

その後になんと「狂乱の20年代」と呼ばれる好景気の時代を迎える。25年に書かれた『華麗なるギャツビー』が当時の世相を描いている。ハリウッド映画で繰り返し映画化されている。その中には自動車や電話といった当時の新製品が登場する。

パンデミックが終われば・・・世代交代が進み、また、新たな技術や製品も登場するに違いない。今の心理状態では想像もできないほどの「産業」や「サービス」が生まれるのかも知れないな。

今まで通り、これまで通り・・・ではなく、もう、もがこう!それしかない!と思っている。最近、あんなに大切にしてきた前年対比というのが全くみえてこない怖さを感じている。

要は・・・「時代」が変化を始めているのだ。

リモートじゃできないのよ

2021 年 5 月 22 日 土曜日

「出来るだけリモートに!」と言うことは簡単だ。遠方の講演会もばっちりだし、先着何名という類のものに焦ることもない。交通費を使わなくなったな・・・と最近は思う。便利である事は確か!であるが、やはり足りない何かがいつも残ってしまう。それに、顔?あれって広角なんてすかね?変な顔だと思って、本音言えば絶対に嫌である。しかし、「リモートにしてください!」とばかりの中・・・あるニュースを見て、久しぶりに本当におかしくて一人大笑いしてしまった。

「私の仕事はリモートは絶対に無理なんてすよ」という人の仕事は探偵だという。記者が「えっ?探偵さん?」と驚いている。そして「今もね、浮気調査が終わったところなんですよ。人を追っているからねぇ」と。そりゃそうだ!と思ったら、なんか大笑いである。

「ハンコ押さなくてはならないから!」と言う場合は電子ハンコもできて、出勤しなくてもよいということになった人もいる。デジタルで乗り切れるんだろう。いわゆる営業活動というのもリモートの世界で可能とどうもね無理な事もある・・・そんな世界があるらしい。やはり人と会わないと駄目ということらしい。

想像力逞しくなるわけですね、コロナ世界を過ごしていると。

運しだい?

2021 年 5 月 21 日 金曜日

コロナウイルスのワクチン接種。大変な騒ぎです。友人からは「絶対に打たないように。どうしても打つなら秋以降にして」と詳細な論文か等添付されたメールが届き、また「小生は絶対に打ちません。何故ならば・・・」等々、その理由にも振り回されるほど説得力あり。アレルギー体質なので「以前、アナフィラキー起こして大変だったから、打たないことにした」と言う方も。意見諸々続く。テレビ等の情報でもいまいち、素人は分からない点が多い。かかりつけの医師は接種を強く勧める。「打つな」と「打て」との、はざま~なんだか「これって、運しだい?と思うようになってきている。

ワクチン狂騒曲

2021 年 5 月 15 日 土曜日

そんなタイトルのメールをくれた人がいる。いやあ・・・驚いた。なんでも60回ほど電話をして漸く通じたとか。ある方は通じたかと思ったら20分くらい待たされて、とんでもない?自宅から離れた会場を紹介されたと聞いた。一体!なんなんだ!と思うほどひどいワクチン状況。不安が不安を呼んで、町長とかが「抜け駆けして接種した!」とワイワイ怒る始末。

第一、高齢者にラインでとかインターネットで申し込みをというのはどんなに酷かが分かっていない。たいがいが電話をかける。そしてその番号間違いで、間違い電話が鳴り響くうちもあると聞いた。

ちょっと想像力なさすぎだ。

負けない!

2021 年 4 月 2 日 金曜日

窓の向こうにはもう若葉の香りさえした・・・昼下がり。キャッキャッと笑いたい!しゃべりたい!そんな事は思うだけ。

しかし個室での食事会で、あのアクリル板のテーブルにすっかり慣れてしまっている自分。抵抗感もなく会話も弾む。コロナ禍でなければ、こんな感覚はなかっただろうとふと思った。今後も暫くはアクリル板のあるテーブルに慣れていくのだろうな。

変異ウイルス感染が始まった・・・どうなるのか?誰も予想できない事態である。飲食業界はじめ、あちらこちらから悲鳴が聞こえる。カラオケからクラスター発生ということで、自塾となって「これが楽しみだった」とぽつりとつぶやいた老人の表情がなんとも言えなかった。

コロナは本当に人々の生活を大きく変えてしまっている。まだまだ変化は続くのだろう。絶対に負けない。

見えない敵はやはり怖い

2021 年 3 月 19 日 金曜日

2020年にコロナウイルスというものに出会うとは、想像もしていなかった。勿論、誰もが同じ感想だと思う。しかしそんな生活の中での変化が当初は不安もあったが、あとあとになってみると「なるほど」と合点がいくことが多い。

昨日、病院の待合室で隣りにいらしたご婦人。「もうすぐ米寿ですよ」と仰っていた。そして「大東亜戦争も経験したけれど、今回のコロナは本当に怖いです」と。空襲の時に家の瓦を頭にかぶって川の中に入ったと・・・そそんな経験を遥かに超えての〝恐怖〟ということだ。

自分の人生の中でも辛いこと、悲しいこと・・・諸々ありすぎたが、やはり見えない敵は実に恐怖であり、最近言われる「変異」となるとその恐怖度は計り知れないものになっている。

病院からタクシーに乗って、最近は少しは暖かくなってきた・・・そしてやはりコロナの話になる。「お客さん、私は不思議でしようがないんですが、ウイルスってなんで?増えていくんですかね?」と聞かれた。度肝を抜かれたような質問だった。ウイルス学でも学んでいれば回答できたのだろうと思ったが全く分からず「本当になんでなのかしら?」とだけ。人間に感染してその個体を死滅せず感染から感染へ。そのすざまじさ!

コロナだけでこんなに一日考えた日はなかったな。話した日も思えばなかったかも知れない。

流されないこと

2021 年 3 月 16 日 火曜日

コロナ禍における「緊急事態宣言」。

いろいろなセミナーや会議は殆どリモートで行われている昨今。

会場まで交通機関を利用せずに聞けることは考えて見れば夢のようでもある。

また、地方への出張もなしにリモートで解決出来ればある意味、言うことなしでもある。

日々感じる「ある感覚」。

作家の佐藤優さんが「コロナは50年後には忘れ去られる」と言っていた。記憶には残らないと。ただし東日本大震災のような3/11という日付けと強烈な映像は残ると。

50年後なんて多分というか絶対に生きてはいないし、想像も出来ない。ただ、私は「記憶の遺産」という活動をする中で感じる事は、関東大震災にしても空襲にしてもそして終戦にしても人々の記憶の中に「日付」は確実についてまわっているということだ。

いずれにしても、コロナ禍状態は・・・暫くは継続するだろうという答えが多い。自己防衛出来る事を徹底するしかない。そして「冷静な判断」のみ。流されないということかな?