能登大地震の傷跡。家が倒壊し、そして声かけあって避難したにも関わらず、高齢の親後さんが津波にのまれ・・・何なのだろう、2024年の元日の事実。何も出来ない自分がいる。自分が出来る範囲での募金活動。その他は・・・
あの見事な輪島塗の作業場も被害をうけた姿。昔、輪島を訪れた時、輪島塗のあまりの美しさに心がうきあしだったくらい・・・凄い芸術だと思った。
さあ自分の出来る事を探していこう。
新年早々というか・・・いろいろな日の事を思い出す。
日本大学の元理事長で相撲部元監督の田中英寿さんが1月13日に亡くなっていたという新聞記事を読んだ。享年77。肺に病気を抱えて、約2カ月前から入院していたという。
2008年に理事長に就任すると絶大な影響力を持った。まさしく当時は「日大のドン」であった。
昔々の話だが、夏のセミナーの講師として依頼の為、理事長室に行った事があった・・・が次から次へと理事長室へ人がやってきた。多分、業務連絡、報告、相談も山の様に、怒涛の如くあったのだろう。
とにかくその日のその時間はバタバタの時間を過ごした。舞の海の相撲のとりかたの話でいっぱいいっぱい。もう嬉々として話していた田中氏。
しかし、本題は、全く話が進まないということがあるものだなと思った。「この講師案は無しだな」と心の中で思って、そろそろと思った。実に不思議な感覚だった、こりゃ進まんわいという稀にみる感覚だった。バシッと断るでもなく、また改めて来訪したいでもない・・・そんな感覚だった。
帰り道、どんな心持であったかも全く記憶にない。
そして・・・
時は経ち、所得税法違反容疑で逮捕され、執行猶予付きの有罪判決を受けるなど波瀾万丈の人生をおくられたというのだろうか?
あの「時」の田中氏の権力感が今も脳裏にある。
天災の怖さを感じている。1995年1月の阪神・淡路大震災、2011年3月ま東日本大震災。そして2024年は何という事か、元日に起った。帰省していた人もいるであろう、楽しい家族旅行の人もいたであろうと思うと、見えない恐怖を感じる。出来る限り!記憶しておこう。本当に人は忘れていく動物。仕方ないのかなと思いつつ。やはり頭の片隅でいいから、きちんと整理しておこう。
本当に一日一日を大切に生きようと思うようになった。今まで以上に人と会い、話してみようという気持ちになった。目の前の事でもいい。これまで以上に真剣に一生懸命に取り組もうと思うようになった。こんなに考えた事があったかな?意識ってかわるものだねと。
あと・・・人それぞれなんだけど・・「暖かくなったら」とか「少し涼しくなったら」という言葉。最近はやめるというか、会いたい時には会っておいた方がいいよと思うようになった。決して不思議な事でなく、本当にそう語った方々とは会えなくなることが実に多い。「え?」と思う。人生って!と思うけど本当に人の人生って理不尽の積み重ねです。
2024年になってまだ11日目。
いろいろ対応しなくてはならない事多し。
ただ黙々と真摯にそして愚直に進めばいいと思う。
夕方、ふと見上げると空が微妙な色彩だ。
こんな絵を描いてみたいな・・・ふと思う。
来週からかなり寒くなるらしいね。

演歌歌手の八代亜紀さんの訃報にせっした時、これもまた可成り驚いた。「舟唄」「雨の慕情」などのヒット曲で知られている歌手。何と昨年の12月30日に急速進行性間質性肺炎のため亡くなったという。享年73。若すぎるでしょ?と思った。熊本県八代の出身だ。
独特のハスキーボイス。小さい頃からそのハスキーな声だったらしい。苦節何年・・・という演歌歌手が多いが、中学を卒業してバスガイドをされ、親衛隊という同年齢の男子たちも多かったという。
熊本県の震災の時も即刻、見舞いにいかれてその土地の人々へ歌声を届けた。目鼻立ちのくっきりした美人で、こういう女性って誤解されやすい(思いこみか?)が、意外と正反対の性格だつたんじゃないかな。
彼女の歌はいつも待つ身の、か弱い女性の歌が多い中、「舟歌」はいきなり男性の視線からの歌だった。思い出す。新聞社時代の接待。何軒目かのカラオケでは必ずというほど「銀座の鯉の物語」から始まって「舟歌」だった。その歌で、大八代亜紀に女性ファンが増えたらしい。実のところ、私は「なみだ恋」からのファンでたいがいの歌は歌える(笑)苦節何年で着物姿が多い演歌歌手とは違い、やはりキャバレーで鍛えた華やかな独特の雰囲気を持っていた歌手である。
大切にしていた言葉は「ありがとう」とニュースが伝えている。駆け落ちして本当に仲が良かったという両親からの「1人では何もできない。支えてくれる周りの皆さまに感謝を」との教えを守り続けた。療養中も医療従事者やスタッフに常に「ありがとう」と感謝の言葉を伝えていたという。この「ありがとう」に対して「ありがとう」と言いたいのは私の方だな。
もっと長生きして、才能あふれる油絵も描き続けてほしかった。
人ってさ・・・嗚呼、生きてこそなんだな・・・とつくづく思う。
どうぞ安らかに。
テレビニュースで燃え盛る火を見て驚いた。1月8日午後3時すぎか、文京区目白台にある田中角栄元首相邸の敷地内で火災が発生したという。2階建ての建物から出火。約800平方メートルが全焼。雑木林なども燃えたというから画面は凄い・・・。
もう若い世代は田中角栄を知らないかもしれないが。かつて「目白御殿」と呼ばれていた。政治家たち、政財界の関係者が「角栄詣」を行っていたほど。それって、本当におそろしいほどの舞台だったでしょう。
昔々・・・その昔のお話です。
あれよ~あれよ~という間に角栄さんの邸宅はどんどん大きくなっていったのを見ていた。不思議に程に!
しかし、火事ってこわい。火が回るとこうなるのか・・・何もなくなるんだねと改めて思う。全てがなくなる。
常陸の海へ。やはり太平洋って明るな・・・そんな事を思いつつ、また、大好きな日本海の海の色を思い出す。「海」好きの自分。海はいつまでも見ていられる。波が好きで空の雲が好きだ。あらら、今日は青空!雲がないぞ(笑)
それにしても2024年はあたたかな正月。
海辺のレストランでランチをして・・・
さて、こんこんと水がわく泉のある「泉神社」へと向かう。

1月27日土曜日に予定している上映会の資料を纏めている。それにしても2023年はとんでもなく忙殺された時期があった事を思い出す。ある発表会にもしかしたら参加でもきないのではないか?と思った時間もあったものの多くの支えてくださる方々の「声」で何とかその「だめだ!」「だめかも知れないな」という身勝手な思いをバーン!と振り切る事が出来た。応援して下さるというそのあたたかな「想い」に応えていかないとならない!そんな気持ちでスタートしている2024年。たとえ熱くなっても、冷静に!冷静に!たんたんと進むことにする。
食文化史・長寿食研究家の永山久夫さんからの賀状を受け取る。永山さん独特のに何とも言えない文字と絵。最高である。平安の才女たちはしっかり食べていい仕事わして人生を楽しんでいたとか。ストレスもなく髪もつやつやであったそうな~ああ!今年はしっかり食べてしっかり寝て、しっかり仕事してつやつやでいよう!と思った。永山先生!有難うございます。

そうそう!今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」で今、話題の紫式部ですが、
紫式部の大好物は、イワシだったそうです・・・これは昔から聞いていましたが。イワシに含まれるDHAが、紫式部の記憶力や創作能力を支えていたらしい。。
永山さんは91歳になる。新聞社時代によくセミナーを仕込んでいたが、独立してからも何冊か出版のお手伝いもした。よく笑う元気な方だ。
本書では、平安時代の食事を紹介している。
「小野小町の美貌の秘訣はコラーゲンたっぷりの熊の掌!?」「恋に奔放な女流歌人、和泉式部が恋人にプレゼントしたのはお味噌!?」など、読んで楽しく、ためになる内容。オールカラーページ。イラスト満載。平安時代のメニューを食卓にのせて若返るというのもいいね。
【目次】
第一章 紫式部ごはんは平安時代の天才食
第二章 紫式部ごはんは平安時代の健康食・美容食
第三章 小野小町の金を惜しまぬ美容食
第四章 清少納言は自然派グルメで長生き
第五章 和泉式部は味醤を食べながら激しい恋をした
第六章 在原業平と共寝に焦れる老女は枸杞を食う
第七章 尾張浜主は発芽玄米ごはんを好み 百十四歳で創作舞踏を舞う
第八章 王朝びとの「スーパー長寿食」
第九章 「紫式部ごはん」は、私たちに何を教えてくれている?