社会が動き出した
人々が動き出した
新しい生活へ?
何か・・・不気味
社会が動き出した
人々が動き出した
新しい生活へ?
何か・・・不気味
定期健診、診断結果を聞きに某大学病院へ。ややや・・・なんという混雑か!と驚く。みんなマスクをしているので最近はそんな光景には慣れていいるが、混雑した病院の膨大なマスク姿の人々の姿というのもなかなかである。できれば「行きたくない!」病院である。できるだけ「早く出たい!」病院である。しかし、そこで真剣に仕事をし続ける医療関係者の方々には本当に感謝の気持ちが強くなる。しかし、日本社会の医療負担はますます増大している。ひとりひとり、出来る限り「健康」であり、病院とは無縁という生活をしていきたいものだ。
コロナウイルス感染拡大中。
まだまだ「不要不急の外出は自粛を・・・」という時。なんとも書店はかなり混雑していた。「ああ!みんな本を読むんだ」と嬉しくなる光景だったが、図書館も閉館していた事もあって、やはり書店が結構憩いになったのかも知れない。
電車に乗ってもただただスマホを見ている人々が多い昨今。本を読んでいる人を見かけると。本当に嬉しくなる。
今年、電子書籍の小説を出したが、どうも周囲は「紙本」を希望してくる。なかなか電子書籍に慣れない人々も多い。電子と紙。いろんな事の端境期なのだろうか?
それにしても今年は暴露というか、今まで埋もれていたことが露呈する時代なのだと思う。「へーっ・・・それが価値観なのか?」と意外な顔を見つけるチャンスが多い。先ずは、露呈されたものを認める事だな。
今日はぐーんと気温が下がっていたけれど
なんと!明日は30度こえるそうです。
しかし・・・
コロナショックの昨今
仕事のやり方も変化しましたねぇ
オンラインのいろいろ
目か?
脳か?
意外と疲れます。
まだ、きっと慣れていないからかもしれない。
そして
今年の夏はとーんでもない猛暑とか。
いやでも夏の扉を開きましょう!
先ずは水分とって
そして強い味方の梅干しで乗り切るしかないね。
暫く、太宰治の作品は読まなかった。青春時代、消化不良を起こすような読み方をして、「はい!それで終わり」というような作品と雑な別れ方をした。
昭和10年12月1日発行『新潮』に発表された「地球図」。これは江戸時代、屋久島の恋泊村に流れ着いたイタリアの宣教師ヨワン・バツテイスタ・シロオテをめぐる実話を基にした、太宰治の初期短編創作小説である。破滅型の彼にそのシロオテのたどだとしい姿が重なる。
いきなり・・・というか突然というか・・・
いや、既にレールが敷かれているのかも知れない。
不思議な忙しさがやってきた。
それは時間に追われるものではなく、真剣に向かう気持ちがなければ多分、拓かれないないんだろうな・・・と思えるもの。だから、今は漠然であるが「もの」としか言えない。これまで自分が慣れている「もの」ではなく決してルーティンではない「もの」。
だから・・・
さあ!かかってこい!
踏ん張ってみるか。
今日もじっとりと蒸し暑い一日でした。
外出先で「息苦しい・・・」と思うのはしかたないです。
蒸し暑い中、マスクつけて歩いているからです。
今年の梅雨は蒸し暑くそして、雨の量が多いとか。
悩んでいてもしようがありませんが・・・湿気に本当に弱い。
踏ん張って蒸し暑さと闘うしかない。
コロナウイルスに感染し、治っても、肺の回復状態が芳しくなく、その後、息苦しさのため、数歩しか歩けないなど、たとえ陰性になったとしても酷い後遺症に苦しんでいる方もいると聞いた。
今、ウイルスが終息したわけでもワクチンが開発されたわけでもない。
キャッチフレーズのような「音」に騙されたり浮かれてはいけない。
気はしばらく引き締めていかないとならない。
辛いんだよ・・・辛抱って。
世の中ではいろいろな事が起こる。
明治生まれの祖母の口からよく「下種」「下卑たこと」という言葉で表現したことがあった。
しかし、最近のニュースでは、耳を疑ってしまうほど「下種」なことが多い。追い込む週刊誌もまた、すごい世界観だと思うのだが・・・
どういうことなのか?
例えば芥川龍之介の作品には「下種」という使われ方の表現がある。
時間がある時にそっと読んでみるのもいいと思う。
このコロナショックは冷静になればなるほどのダメージだ。
米国同時多発テロの時、ニューヨークにいたという。その後のアメリカを見てきたが、今回のダメージはその時とはくらべものにならない。価値観はぐるりと180度回転するだろうと。そして次の産業革命到来か?ともいう。