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タケノコの季節に

そろそろタケノコの美味しい季節がやってくる。

昔から、山仲間が毎年、この季節に送ってくれるタケノコを楽しみにしていた。昨年は届かずだった。多分も母親の介護などで忙しいのだろう・・・そう考えていた。正月には決まって恥ずかしそうな声で新年のお祝い電話があった。思えばそれもなかった。ということで私は時折「元気ですか」など、簡単なメールをしていたが、返信もなかった。だが「多分、忙しいのだろう」と思っていた。

そんなある日、もう一人の山仲間の一人から電話がかかってきた。バリバリ会社経営をする彼女からの久しぶりの電話だった。すぐさま「連絡が出来ないのだけど」と彼女はかなり焦っていた。どうしたのだろう?何かあったのかしら?と立て続けに聞いた。

固定電話をかけたが既に使われていない。そして携帯電話もまた「現在使われておりません」とMESSAGEが流れた。え?いつ?と焦りがとまらない。彼は上京しては自慢の腕をふるって料理を彼女の会社のSTAFFに作っていたという。

こういう時は行政か?と私は、彼の住む県の役所に電話をかけて訊く。予想通りの回答だった。「個人情報は教えられない」と。「生きているか死んでいるか?だけでも教えてほしい」と訊いても答えは同じ。個人情報って?諦めきれず文書まで投函した。

もう手がかりはないのか?

彼女が「幼稚園でタケノコほりをしたりしていたと聞いたことがあるんだけど」と言った。実は!これが貴重な情報となるのだ。

その後、私は彼の住む地域をグーグルマップで見つめた。行ったこともない土地だ。だいたいの距離感はつかめる。「幼稚園・・・幼稚園・・・」と反芻しながら、幼稚園を探す。「ここか?」と一つ。迷わず、電話をした。電話口に女性が出た。何故突然に驚くが、電話をかけたかの説明する。そしてその女性が「その方のお名前は?」と訊いた。「Nさんです」とフルネームを言うと、「あぁぁ!」と小さな叫びが聞こえた。電話に出たのはその幼稚園の園長先生で、これも奇跡だった。そして園長は少し涙ごえになって「Nさんは昨年の5月に急に亡くなったんです。幼稚園でタケノコほりも企画していたさなかに・・・」と。その時に私はとんでもない事実を知った。「多分忙しいんだろう」ではなく既に亡くなっていたということ。特に独身だった彼の死は誰かによって伝えられることはなかったということだ。

園長からいろいろな話を聞いた。植物の名前は本当にたくさん教わったということ。彼がどれほどに園児たちとかかわって人気者だったかということを。そんな中だった。温泉施設で発作を起こしてそのまま亡くなったようだという。

思い出が多すぎる中、私はまたグーグルマップを見つめて、殆ど「勘」で菩提寺を探した。ちょっと神がかっていたかも知れない。それほどに情報がないときに、人は神がかるものだと思った。お寺は2件目でヒットした。住職と話したその瞬間、それまで背中に食い込むほどの悲しい感情がほーっと溶けて行った。そうか・・・やはり彼は亡くなったのか・・・嗚呼!亡くなったのかと。

一週間ほどして文書で「個人情報は教えられない」という内容が役所から届いた。私は丁寧に礼状を書き、そして亡くなっていたという事も書き添えた。

 

今年もタケノコの美味しい季節が巡ってきた。「誰が食べるのよ、こんなに?」と笑って言うほどのタケノコの山を見ることもできない。そう思うと、何故か、パーティーを組んで最初に登った山の風景が思い出された。高山植物ばかり撮影していた。山歩きをしている彼のうしろ姿が何故かとても懐かしかった。

 

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