朝一で夏のイベントのリサーチのために雑司ヶ谷へ。富士フイルムの発祥が雑司ヶ谷だった‼という事はあまり知られていない。母体となった「東洋乾板」の創業者である高橋慎二郎氏の孫の高橋俊之さん、そして雑司ヶ谷について詳しい磯田さんとともに歩く。工場跡は今、大規模な道路工事の現場となっている。そもそも雑司ヶ谷という土地に工場を作ったのは第一に「水の良さ」であったということ。今では全く想像も出来ないが・・・今後、また大規模に手わいれられて開発され、街が姿を変えていく。何れはなくなっていく家々の壊れた塀の近くに井戸のポンプがあった。昔々の風景は巨大な開発開発に波に飲み込まれていくのだなと。
■日本の写真の歴史 「東洋乾板株式会社」とは?
日本写真の歴史は幕末に輸入された湿板写真で、これが幕開けとなり写真技術の発展となる。明治16年にイギリスから乾板写真が輸入されるものの高温多湿に日本において乾板の工業化、事業化は難しいものであった。そんな中で乾板製造に成功、大正8年に「雑司が谷」でわが国における写真用乾板の工業化に先鞭をつけたのが東洋乾板株式会社(創業者・高橋慎二郎)である。写真フィルムのフィルムベースからの一貫生産を企図し、研究にチャレンジ。長期間にわたる研究を重ね、開発に成功。富士フィルム設立の直接の母体となった。
▼8月「としまの記憶」雑司ヶ谷編「聞く」(8/6)
https://toshima-kioku.jp/zoshigaya-event4/
「富士フイルムの発祥の地は雑司ヶ谷だった!」おはなし会