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ch04.カルチャー | ichikoTV - Part 10 ichikoTV

‘ch04.カルチャー’ カテゴリーのアーカイブ

この子たちの夏

2022 年 8 月 12 日 金曜日

考えて見れば体温のような気温の日々。妙に忙しく働けば、肩も凝るし、目もショボショボとなる。とても意気込んでいたものの・・・何故か・・・8月中旬に行う朗読劇『この子たちの夏』1945・ヒロシマ ナガサキが気持ちがきつくなっている。今更、なんだかんだ言えないもののこの気持ちは何なんだ?!と自分に対して詰問してしまうほど。



日本は唯一の原子爆弾での被爆国である。日本人としての経験を記録でなく記憶に留めたいと構成・演出の木村光一氏が遺稿や手記、詩歌など膨大な資料の中から「母と子」に絞り朗読劇としてまとめたものである。あまりにも身近な言葉が溢れているのだ。

母を亡くした子供

子を失った母たちの書いた手記

体験した人全てが、あの日のあの時間にいつも通りの夏の日常生活が、その瞬間に消えてしまうのだ!

哀しいとか辛いとか・・・言う間もなく!

戦争って一体なんなんだ?

倍賞千恵子さんの「死んだ男の遺したものは」を聴く。

涙が零れて止まらない。

これは、詩人の谷川俊太郎が詩をしたため、昭和35年の反安保集会のために武満徹が作曲したものだ。武満さんは倍賞千恵子さんののデビュー映画「斑女」の音楽担当でもある。倍賞千恵子さんも昭和40年代のリサイタルからずっと歌われているようだが、平成になってからの小六禮次郎さん編曲版がリサイタルの定番。小六さんのピアノ、そして倍賞さんのあの歌声は響く。

富士フィルム発祥の地 雑司ヶ谷

2022 年 8 月 6 日 土曜日

企画たてて、ざっくりでも予算建して、記事書いて、募集して、通知して・・・ひとつのイベントを実施するのにも本当に細かな神経が必要。且つ、当日の天候や気温も気になる。参加者の年齢と共に心配は尽きない・・・。

と!いろいろ言いながら無事に8月6日土曜日、雑司ヶ谷イベントお話会は終了!

富士フイルムの発祥が雑司ヶ谷だったと知る人は少ない。講師の高橋俊之さんは雑司ヶ谷に大正8年に設立された東洋乾板株式会社の取締役技師長であった高橋慎二郎氏のお孫さん。お話会が終了後に自由参加で、東洋乾板があった場所などを、散策開始!約1.4キロメールの道のりを歩く。30度にならず、曇りである。神様が味方して下さった!そんな気持であった。

【コース】

会場「雑司ヶ谷地域文化創造館」

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大鳥神社、弦巻通り 

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東洋乾板跡

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井戸水が豊富だったことが分かる雑司ヶ谷路地裏の井戸見学

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「本立寺」(高橋慎二郎の墓所・豊島区南池袋2-20-37)

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現地解散となったが興奮さめやらず!その後は何とも同窓会のノリ?

※東洋乾板株式会社とは?

日本写真の歴史は幕末に輸入された湿板写真で、これが幕開けとなり写真技術の発展となる。明治16年にイギリスから乾板写真が輸入されるものの高温多湿に日本において乾板の工業化、事業化は難しいものであった。そんな中で乾板製造に成功、大正8年に「雑司が谷」でわが国における写真用乾板の工業化に先鞭をつけたのが東洋乾板株式会社(創業者・高橋慎二郎)である。写真フィルムのフィルムベースからの一貫生産を企図し、研究にチャレンジ。長期間にわたる研究を重ね、開発に成功。富士フィルム設立の直接の母体となった。

「ああ!ここか・・・」と言いながら工場跡地散策。
2025年には超高層ビルが建つ。時代とともに街の風景は変化していく。

時が過ぎ 街並みは変わる

2022 年 7 月 13 日 水曜日

朝一で夏のイベントのリサーチのために雑司ヶ谷へ。富士フイルムの発祥が雑司ヶ谷だった‼という事はあまり知られていない。母体となった「東洋乾板」の創業者である高橋慎二郎氏の孫の高橋俊之さん、そして雑司ヶ谷について詳しい磯田さんとともに歩く。工場跡は今、大規模な道路工事の現場となっている。そもそも雑司ヶ谷という土地に工場を作ったのは第一に「水の良さ」であったということ。今では全く想像も出来ないが・・・今後、また大規模に手わいれられて開発され、街が姿を変えていく。何れはなくなっていく家々の壊れた塀の近くに井戸のポンプがあった。昔々の風景は巨大な開発開発に波に飲み込まれていくのだなと。

■日本の写真の歴史 「東洋乾板株式会社」とは?

日本写真の歴史は幕末に輸入された湿板写真で、これが幕開けとなり写真技術の発展となる。明治16年にイギリスから乾板写真が輸入されるものの高温多湿に日本において乾板の工業化、事業化は難しいものであった。そんな中で乾板製造に成功、大正8年に「雑司が谷」でわが国における写真用乾板の工業化に先鞭をつけたのが東洋乾板株式会社(創業者・高橋慎二郎)である。写真フィルムのフィルムベースからの一貫生産を企図し、研究にチャレンジ。長期間にわたる研究を重ね、開発に成功。富士フィルム設立の直接の母体となった。

▼8月「としまの記憶」雑司ヶ谷編「聞く」(8/6)

https://toshima-kioku.jp/zoshigaya-event4/

「富士フイルムの発祥の地は雑司ヶ谷だった!」おはなし会

あっ!?という感覚

2022 年 6 月 4 日 土曜日

今日は「記憶の遺産ツアー」雑司ヶ谷編の2回目。鬼子母神を巡るツアーだった。プランを練って、企画を吟味し、ロケをして、記事の文章を纏めて、参加者募集して・・・当日の天気の心配ばかりを気にして(笑)

しかし、終わってみるとほどよい疲れと何とも言えない充実感に包まれた。

不思議だねえ。

「~と言われている」「~と伝えられてられている」と殆どの人々が疑問を持たず生活している中で、ふっと奇跡?のような出来事があると何とも言えないような気持ちか騒ぐ。生きている間にそれと出合った?事。

そして、気質というか、困ったものだと思いつつ、多分ね、好奇心と関心の深さから沼にはまるのだろうと思っている。

そして!いよいよ!7月、8月、9月とイベントは続く~

女性の力

2022 年 6 月 3 日 金曜日

日本大学は6月3日に開かれた理事会で作家の林真理子氏を次期理事長の候補者とすることが決定し、林氏は来月1日に理事長に就任する見通し。

脱税の罪に問われた田中英壽前理事長。有罪判決が確定する異例の事態となり、大学が新たな理事長を決めるために設置したという。

日大芸術学部卒業の林さんは母校の為に何かをしないと!と。もう随分前の話であるが、カルチゃーブームがおこつた頃、女性とスポーツというテーマで日大の田中さんに会ったとがある。ずっとテレビで映されたあの室内とあの風貌は本当に変わることが無かったのだ・・・と思っていつも見ていた。ただ、核心のテーマになると妙にはぐらかされたというか、「舞の海はね」という話に進んでイベントの具体案にはなかなか入らず、来客?の多さに改めてと言いながら、これはダメだ、全く進める気がないと確信しその場を離れた事を思い出した。ある意味?まるで映画撮影のような特別な独特な空気の流れる理事長室であったことき今でも覚えている。

それから、妙に月日が経ってとんでもない疑惑に満ちた事件か起こる。本当に当時は日大は闇だったのだと思える。

やたら「女性の力を!」とオウムのように言う人々もいるが、そんなちゃらちゃらした雰囲気ではなく、本当に新理事長には根幹からかえていってほしいと思う。

死んだ男の残したものは

2022 年 5 月 19 日 木曜日

なつの朗読会の一部でこの歌を歌う流れになっているのだが・・ ・作詞家と作曲家の名前を改めてみて驚いた。いやはや・・・凄い方々だった。倍賞千恵子さんのYouTubeで見て、聞いて、涙が流れる。

「死んだ男の残したものは」
  作詞:谷川俊太郎
  作曲:武満 徹

死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない

記憶の遺産ツアー 雑司ヶ谷編

2022 年 5 月 9 日 月曜日

2022年5月7日(土)にアップする筈であったが、散策解散後に一杯・・・ではなく二杯と進み、(笑)。本日アップします。

5月7日にと実施した、としまの「記憶の遺産ツアー」雑司ヶ谷編(豊島区国際アートカルチャー特命大使 SDGs特命大使自主事業)。

この日は、とにかく、天候が気になって午前4時には起きていた。まあ、早朝は雨がたたき打つように降っているではないか。特殊能力でもない限り、とても止められない~と思い、他の用事を始めた。低気圧ってすごいなと思いながら、雨に濡れた樹々も美しいだろうと思う。

午後12時に護国寺へ到着。久しぶりだなあと思い、昔々、小学校の時にこの停留所で降りて、学校へ歩いた日々を思い出す。街並みもビックリするほどの変貌ぶりだ。当たり前か・・・

12時半過ぎるころ、ぽちぽちと参加者の到着!名簿をとり、名札を渡す、大人の遠足?が楽しい今日この頃って感じで何か嬉しくなる。

この日、まわったコースは

護国寺仁王門集合➡清土鬼子母神➡雑司が谷七福神の「吉祥天」七福神①➡雑司が谷旧宣教師館(東京都指定有形文化財)➡雑司ケ谷霊園散策➡中野ビル・雑司が谷七福神の「布袋尊」七福神②➡仙行寺・池袋大仏、雑司が谷七福神の「華福禄壽」七福神③

仙行寺で集合写真を撮って解散へ。

次回、第2回目実施の「雑司ヶ谷編」は国指定の重要文化財・鬼子母神へ参る。御本堂への特別見学も予定しているが法明寺の「鐘楼」も特別見。実は、ここに驚くほどの歴史を発見がする。知っているようで知らなかった、そんな土地の文化や歴史を発見できるチャンス。「いつでも行ける」と思い、人間とは結局行かないもの。チャンスはその時にわおっと掴むとよい・・・と思う今日この頃。

◆6月4日(土)にまわるコースです!

都電荒川線「鬼子母神前」➡清立院➡雑司が谷七福神「毘沙門天」七福神④➡石橋記念供養塔➡大鳥神社➡雑司が谷七福神「恵比壽天」七福神⑤➡大門ケヤキ並木→並木ハウス➡未来遺産「鬼子母神堂」(国指定重要文化財)➡雑司が谷七福神「大黒天」七福神⑥➡消えた川〝弦巻川〟と焼けた〝仁王門〟➡雑司が谷七福神「弁財天」七福神⑦➡法明寺 蕣塚と鐘楼(特別見学)➡威光稲荷尊天

▼申込みフォーム

護国寺i 仁王門前に集合
5月はやはり緑が美しい 護国寺

昔、映画「ひまわり」をみた

2022 年 3 月 19 日 土曜日

随分、昔の話だ。学生時代、友達と映画館へ行き「「ひまわり」をみた。涙を流していた。何故か悲しいと言って共に涙を流していた。

30代になってから40代になってから・・・この映画を改めてみたのだが、心を揺さぶるものが学生時代とは全く異なって、それは自分でも驚くほどだったことを記憶している。

冷戦期にソビエト連邦で初めて撮影された西側諸国の映画「ひまわり」。第2次世界大戦下、ジョバンナ(ソフィア・ローレン)とアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)は結婚するがその幸せもつかの間、アントニオはソ連戦線へ送られる。終戦後、戻らない夫の行方を追ってジョバンナはソ連へ向かう。漸く、夫の居所を探し当てるのだが、戦場で遭難した彼はソ連の娘に助けられて・・・

戦争によって、ひきさかれた夫婦の悲哀という、それだけのものでない事が判る。マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンという二人の名優。そしてヘンリー・マンシーニの音楽。あの映像と旋律。何よりもエンディングでの地平線にまで及ぶ画面一面のひまわり畑。このひまわり畑はソビエト連邦時代のウクライナの首都キエフから南へ500キロメートルほど行ったヘルソン州で撮影されたものである。

歴史を刻む「法明寺」の梵鐘

2022 年 3 月 4 日 金曜日

先般、ロケで雑司ヶ谷歩きをしたが、江戸時代から桜の名所でもある「法明寺」がある。宥元年(810年)真言宗「威光寺」として開創され、正和元年(1312年)、日蓮聖人の弟子の日源上人により日蓮宗に改宗され、「威光山法明寺」となった寺である。その境内には酒井抱一が描いた朝顔と戸張富久の句が彫られた「蕣(あさがお)塚」や、曲尺、算盤、枡、天秤など度量衡の珍しい紋様が描かれた梵鐘がある。この梵鐘は第二次世界大戦の時の供出を免れたものだと聞いた。あの金属類回収令。武器になった多くの武器たち。暫く無言で梵鐘を見つめた。

2022年 節分

2022 年 2 月 3 日 木曜日

豆まき・・・いつのころからか、あとの片付けが大変とかでいい加減になってしまったが、今年はコロナ退散も祈って「鬼は外 福はうち」をしっかりと!ようやく2022年に突入します‼