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ch04.カルチャー | ichikoTV - Part 4 ichikoTV

‘ch04.カルチャー’ カテゴリーのアーカイブ

臥薪嘗胆か

2023 年 11 月 27 日 月曜日

いつもお世話になっている陰陽五行の先生に来年の仕事等の流れを見ていただいた。どんなものかいな?と興味津々であったが、どうも相当に~相当に~疲れるほどらしい・・・トホホ。あれぇ~と言う流れで「成果をだす」そうな。仕方ない。相当の覚悟かな?「今年も予想外のクレージーな状況になっていたっす!」と言ったら「そうかい」と笑われた。予想外ですよっ。予想外。

先般ある投資セミナーで講師が「だいたい予想では・・・というけれどだいたい外れますよね。予想を反対から読むと・・・うそよ~です」と。はぁ?要は「嘘よ」ということかと思い、大声で笑う。しかしその笑いは乾いたものだ。投資もコツコツでしょ?

嘘よ~ではない!予想は本当にできない昨今。妄想に近くてもいいからとにかくとにかく「進め」という事か・・・復讐する予定も気持ちもないけど要は、臥薪嘗胆である!

名前が読めないよ~

2023 年 11 月 24 日 金曜日

子どもたちの名前が本当に難しい。まず女子で「~子」という子どもは少ない・・・というかいないな。

先般も小学生の某表彰式で賞状を渡す仕事があったのだが、名簿を見て、覚えてくださいとの事だったが、さすがに覚えきれず、掌にあんちょこを隠し持った(笑)実に難しいのだ。

小学生ぱかりでない。以前、女子高生10人の名前は全て読めなかった・・・漢字は読めるほうかな?と思っていてもまずガーンとなる。実に!実に難しいのだ。

ある小学生など「那由多」という名前があった。たまたま唯心論の本を読んでいて、サンスクリッド語の「ナユタ」か?と思って読めたが・・・親御さんはどんな気持ちで子どもたんに命名したのか?と会ってお話を聞きたいと思うほどになった。

これからますます子どもの名前が読めなくなっていくのだろうな・・・と思った。昭和時代は、女子は殆どの子どもは「~子」でそんな中で、「ゆかり」とか「さくら」とか時に「芙蓉」など凝った名前があると羨ましいほどだった。

男子も然り。先ず「~太郎」とか「~彦」がいない気がする。名前も文化なんだろうなぁ。

日々こつこつと

2023 年 11 月 19 日 日曜日

今日は朝から「調べる学習コンクール」の授賞式だった。この夏休みの自由研究の出来栄えは、皆何ともすごい。小学校1年生たちの真摯な姿からもう6年生ともなると何ともしっかりしたりりしい姿。このような子どもたちの未来の為にも大人も真剣にならないとなとつくづく感じる。

昨日は約7キロメートルの実踏。地形を目で見て、足で感じて、いろんな事が頭に浮かんでくる。7キロ近く歩くと、さすが睡眠力は抜群だった!(笑)

とにかく、何事もコツコツと。

愚直に進めていこう!

本の行方は?

2023 年 11 月 9 日 木曜日

11月の連休の一日はかなり前から心に決めていた書籍の整理を一気にした・・・しかしこの疲労感か、翌日に高熱を出した(笑)しようもないねぇ。さすがにいつもいつも気にしている書籍なので破棄したり古本屋に売る気持ちのものはなく、結局、かなり神経を使っての整理となった・・・からかな?

昔、新聞社でご一緒した人がいるが、彼はすごい読書家で、あるレギュラーの集まりの時はいつも黒い鞄の中から「これはいいよ」と数冊の本を出して見せてくれた。そんな彼が、本当に呆気なく、哀しいほど呆気なく人生を終えた。病がいきなり、あんなに本好きで、もっともっと本を読んで、生涯探求したいといっていた古墳の話などを奪ってしまったのだ。彼の奥さんともお付き合いがあったが、彼が亡くなった後、とにもかくにも厖大に「本の数に圧倒されたの」と言っていた。「どうするのか?」と聞く間もなく、古本屋さんに引き取ってもらったのと聞いた。

今、きっと誰かの手にとられ、いろんな情報を得ているのかと思いつつ、奥さんと連絡をとりたいと何度も試みるが、いつの間にか、携帯も繋がらなくなってしまった。郵便も。

自分の不甲斐なさというか、猛烈な寂しさで体中が爆発しそうになった。どんなに冷静さを保っていても、人と人との繋がりの呆気なさを感じ取った。記憶と思い出は深すぎるほどにあるというのに・・・不思議な感覚は未だ消えない。

調べるという大切な姿勢 昔の人は意外と長生き

2023 年 10 月 31 日 火曜日

現代の情報社会の中で本当に感動する事がある。

定期的に歴史のCOLUMNを執筆しているのだが、ある時のテーマは雑司ヶ谷の土から「竹本焼」という焼き物を作った竹本隼太という人物がいる。彼にスポットを当てた。竹本焼といってもあまり知られていない焼き物ではあるが、この竹本という人物は40代で亡くなっている。

いろいろ調べていた時に、彼か仕事中は妻が子どもたちに物音もさせないようにかなり気を配っているような描写があって、私は心の中で「ああ~!なんと神経質な男と暮らすと大変だなぁ~胃癌タイプだなぁ~」なんて阿保な事をつらつらと考えていた。

そうこうして・・・時間が経ち・・・

ある方から「歴史の研究の一環で、1900年以前に亡くなられた歴史人物の、寿命と死亡状況について調べております。Wikipedia等の辞典には、お墓の記載はあっても死亡状況に関する記載はほとんどありません。・・・・竹本隼太氏に関する記事を拝見させていただきました。竹本氏の死因・死亡状況についてご存じのことがございましたら教えていただきたく、よろしくお願いいたします」とメールをいだたいた。「え?」と思った。そしてうっかり「胃癌じゃないか?」なんて言いそうになったが、あまりに簡単に言う事など出来ないし・・・と思い、早速調べ始めた。

まだお目にかかった事もない方とのメールのやりとりとは本当に「現代の情報時代のど真ん中」という感覚だった。その方がこうした研究を始めたきっかけは、魏志倭人伝に「この国は高齢者が多い」という記載からだという。なるほど!と思った。昔の人の平均寿命が低いのは、新生児や乳幼児の死亡率が高かったためで、ざっくりいって時代によっては6割ほどが成人できなかったようだ。それから成人した人々はどうだったのだろうかと歴史に残った人物の寿命を調べられるというそんな姿勢は実に素晴らしいと思った。昔は、みんな短命・・・ではなかった。子ども時代を丈夫に乗り切りればみんなが長生きできたという事だ。

さて、例の竹本隼太だが・・・やはり!というかある文献から「不治の病 胃癌」と見つけた。その記載を見つけた時はかなり小躍り状態。「やはり!ね」と。

しかしあるきっかけから、もう一歩進めるというこうした機会に恵まれるとは幸せな事だ!有難うございます。

暗渠をたずねて

2023 年 10 月 28 日 土曜日

10月28日は弦巻川の暗渠をたずねる散策。

青空のもと、本当に気持ちの良い一日を過ごした。

一昨年くらいからずっと趣味の暗渠巡りを企画したら人は集まるのか?どうか?と考えてきい実行に移した。かなりマニアックで、どうかなと思ったところやはり世の中にはいろんな人と巡り合えるきっかけがあるものだと思った。

そもそも「疲れる」「何の為に❔」と諸々言う方は絶対といっていいほど参加しない。だから私もいちいち説明はしない事にしている。人の興味とはそんなものだから。

しかし、想像力を掻き立てられる事と、地形の変化に気付ける頃になると何とも言えない面白さに入り込んでしまうものだ。

次回は・・・約11キロメートルの暗渠をたずねる予定(^^♪

時は流れる・・・今年!合唱団再び!

2023 年 10 月 19 日 木曜日

2000年5月に料理研究家の小林カツ代がつくった「神楽坂女声合唱団」。今年で23年目である。時の経つのは早いとつくづく感じる。毎年一回、年末にチャリティーディナーショーを実施しているが、2019年の年末。想定もしない時にぶつかった。翌年、あのコロナウイルス発生。アクシデントとはこういうものか!としみじみ思った。日本だけでない。世界中がこの未確認のウイルスの恐怖に襲われた。

世の中の時間の流れが全く変わった。世界全体がコロナウイルスに翻弄された。合唱団の活動も勿論、中止せざるを得ず。2020年、2021年、2022年・・・はっきり言って何の活動をも中止となった。リモートでの練習が続いたが、リモートのコーラスレッスンは・・・やはりレッスンに「私」にとってはレッスンにはならなかった。疫病、戦争・・・社会のアクシデントは実に脅威であり、人々の生活を根底から変えていくものだ。活動の場も失われれば、チャリティ活動も手足をもぎ取られたように出来ない。なんて、弱いものだとつくづく感じた。

今年2023年12月8日!4年ぶりか?チャリティーディナーショーが開催されることとなり、今、猛レッスンが続いている。まだコロナの驚異、いろいろな不安とは付き合っていかないとならないが、とにもかくにも人生の一瞬はまたたくまに過ぎ去っていく。命を得てこれまで生きてきた証なのかも知れないと、この合唱団を最初に作った人生の偉大なる冒険者である小林カツ代に拍手!拍手!の気持ちと愛で一杯である。

カツ代さん、もう一度、会いたいよ!

安らかに・・・チンペイさん

2023 年 10 月 16 日 月曜日

谷村新司さんが、10月16日に亡くなっていた事が分かった。享年74。今年の3月に急性腸炎のために手術を受けて、治療中だったという。年内いっぱいの休業を決断していたというのに・・・哀しい。

思い起こせば、あれはたしか深夜のラジオで聴いていた。3人組「アリス」を結成した時か。司会者が「なんでアリス?」とグループ名を聞いたところ「不思議の国のアリス」?と言って、みんなの笑い声が。そんな記憶が残る・・・が実のとこは、当時ロサンゼルスで営業していたレストランの名前の「Alice」。プロになるんだったらこの名前‼と思っていたらしい。

 一橋大学て行われたライブコンサートに行った。初めて聴いた「アリス」の演奏。なんか・・・ときめいた。それからアリスの人気は急上昇。間違いなく!あのステージは私の青春のひとコマだった・・・

チンペイさん、安らかに。

素敵な音楽を有難うございます‼

壁にぶち当たる  幸せかも

2023 年 10 月 16 日 月曜日

定期的に歴史COLUMNを書いているのだが、何とも難しい壁にぶち当たると本当に解決しないまま、生き地獄のような感覚で過ごす。そんな時、当方の記事を見た方からメールである質問があった。なんでも「歴史の研究の一環で、1900年以前に亡くなられた歴史人物の、寿命と死亡状況について調べております。」とあり、以前つ、焼き物の作家の話を書いた事がある。40代で亡くなり、「若いな」という記憶で終わっていたのでハーッ!と目が覚めた。やはり分からない事はある程度分かる所まで近づく必要がある。

古地図をずっと見ていると、眼の疲れが酷い。というのに目が虫眼鏡になっていたらいいのに~といつも思っている。そんな事で目を酷使したら、そりゃ大変な肩こりになってしまうだろうが…

人にとって分からない事がやってくるのは、やはり幸せな事なんだと思う。全て、逃げ回っている事もできなくはないが、壁の強度もいろいろ(笑)ぶつかるしかないね。

2024年の手帳

2023 年 9 月 27 日 水曜日

手帳に関してはまったくアナログ派というか・・・結構、細かく書いておかないと、どうも最近は自信がない。「これ・・・なんの数字だっけ?」という事が最近は実に多いので。とくに筆記用具も極太が好きなのでなぐり書きなどしたらもうダメだ。

2024年の手帳を購入した。来年3月までの予定が入り込んだから。このところずっていつも同じシリーズのものだったが・・・・現在、「どうも違うな」と思い始めた。自分の生活パターンをじつくり見直した。六曜は絶対に必要だしね!

個性というのだろうか?「癖」のようなものが人にはあるようだ。~の返事を出した、誰に~まて依頼、誰に~を送った・・・諸々。そういう関係の事って、その時はしっかり覚えていても時間経過とともに、スルリと忘却するからだ。要はある程度、日記形式で、かなりしつこい記録をする手帳にしている。

思い出すと不思議な気分・・・。

昔、システム手帳とかがかなり流行っていた。私ももれなく使用していた事があった。例えば18時から始まる会議で全員がそれぞれのシステム手帳をわっと開いて。必死に書き込んで、その上、紙の資料が配られた時代を思い出した。あれって?・・・すごい時代もあったな。

そんなこんなを通して、時代を経て、少しずつ自分の生活に密着した手帳がお供である。情報の断捨離が必要である事がしみじみ分かる。それでも、人間っていう生き物は未練がましいところがなくならないものだ。あれも必要、これもあったほうがいいかも・・・ああ!未練。