もうね・・・なんかね、落ち着かない(笑)
先ずは読みたい本を読んで見よう!
気候変動と「日本人」20万年史
川幡 穂高 (著)

しばらく、引っかかている言葉がある。皆さん、本当にふつうに使われる「大丈夫です」という言葉である。このところ、なんでもかんでも「大丈夫ですなので本当か?と実に疑念なのだ。
「生もの、好きですか」→「大丈夫です」
「~日に~へ行けますか?」→「大丈夫です」
「~の前に済ませておいてくださいますか」→「大丈夫です」
「解析しておいてくださいますか」→「大丈夫です」
ならべていくと「大丈夫」な気もしてきたが、どうも違和感だらけて時々思考が止まるのだ。
言葉も時代によって変化するのだろうが、「マジ!やばっ!」の多いことよ。すっかり慣れてしまった自分もいる。大丈夫だろうか?・・・ということになるのだろう。
先般、テレビ番組で歌人・木下達也さんを見て、衝撃を受けた。
そして・・・
本当に昔の話だが、俳句の先生の教室の取材をしたことがある。その時に、「吉田さんも俳句作ってみなさい」といきなり言われたことがあった。その時にも似た衝撃だった。
中学1年生の国語の授業でやって以来、俳句の世界とは全く関係がなかった。というのにだ!その日から、何とも・・・1か月に6作品を作りだすことになった。ひねり出してももう言葉さえ出で来ない。そしていくつか提出すると「吉田さんは書きすぎです」と言われた。俳句のそぎ落とした美学の世界に入り込んだ気がした。不思議なもので6作品も作っていると1年、2年と経つと実に作品がたまっていくのだ。自分でも信じられないほどに。
短歌など・・・もう無理だと思い続けていたところに木下さんの呻き苦しみながら言葉を紡いでいく姿を見て、その衝撃波は自分をまっすぐに貫いていったのだ。その時、呻いてもいいから、言葉を紡ぎたいと思った。
思い出す。「どこがわるいのかわからないんだよ~」と病室のベッドで言っていた。お見舞いの花を置いた。師匠のきている少し派手なパジャマの話題で盛り上がり・・・笑った。「派手ですね」と。
というのに、突然亡くなった。本当に本当にあっという間の事だった。師匠のいない俳句の会はなくなった。しかし、今も尚、師匠の添削はそのままのこしてある。
もしかしたら、人生っていうものが「言葉」の集合体なのかもしれないなと思う。今、師匠の事を思い出すと、溢れんばかりの言葉の渦が出来た。
落語家の円楽さんの訃報にせっしたとき、本当に本当に残念な気持ちになった。もっと長く長く活躍してほしいと心から思ったと同時に、人って本当に限りがあるんだな・・・と妙に真摯な気持ちになった。
随分と前の話だが、寄席で円楽さんの噺をきいたことがある。所謂、まくらか?はいるかはいらないか?と微妙な時に、客席の携帯電話がなった。その時は、高齢の方々が多かった。着信音に気づかず、皆さん熱心に円楽さんにくぎづけとなっていた。着信音はなり続けている・・・
そんな中で、円楽さんははなしだした。全くまくらかと思う楽しさか?考えてみればおかしな話なのだが・・・その着信音すら効果音のようになっていた。
「ねえ、気がついてよっ!」「まだ気が付かないの!」「困ったわね!」と。それからだった。客席はざわざわと・・・
でも、こんなシーンに出会ったこと自体、幸せだったと思える。あの巧みさ・・・切り替えの早さ。そんな人にも病魔は容赦なく襲ったのかと思うと・・・辛いね。
安らかに・・・
2022年9月27日午後2時から日本武道館で安倍晋三元首相の国葬が行われた。
国葬は1967年の吉田茂氏以来、55年ぶりで、戦後2人目となる。
一般向けの献花台も会場近くの九段坂公園(東京・九段南)に設置された。早い人で午前4時から並んだという方もいた。
大規模な交通規制と厳戒態勢の中での国葬の一日となる。
ちょつとコラムを書くために作家の林芙美子の事を調べている。尾道の女学校を卒業し、当時、東京の大学に通っている地元の知り合いを頼り上京するのだが・・・
いろいろ資料によっては、その地元の知り合い「初恋の相手」「恋人」さらには「愛人」という表現もありこれには驚いた。初恋の相手を頼って・・・となるとなんとなくほんわりしたものを感じるが「愛人」という表現は全く違うと思える。上京時、芙美子は19歳である。まあ、例えばであるが、大富豪の愛人になった・・・とかであれば「そんなものかな」と分かりやすいが、乙女が初めての東京に不安な気持ちで上京するのは、やはり「初恋の相手」であってほしいと思って調べている。
しかし、女性の事を「情婦」「妾」「二号さん」など表現は実に多い。「情婦」とかいて「いろ」とよむのを高校生の時に歌舞伎の舞台で覚えた。
まあ、こうした諸々の女性についての表現は永井荷風の「断腸亭日乗」の中にはよく出てくる。まあ・・・そんな「時代」があったのだろうと思う。
朝から、取材というかリサーチに近い仕事。ほぼほぼ100年ほど前の土地のリサーチをしていた。暗渠になった川はもう目には見えない。しかし土地の名前が全てを物語っているのだ。そしてもしかしたら・・・奇跡なのかも知れない!という建物を発見した。隣人でさえそれほどの情報が無い。でも建物は確かにある。高鳴る胸の鼓動とともに歩く。多分これは・・・川筋と分かる。水車小屋のあっただろう場所を想像する。?その細い道になんと井戸があり、豊かな水が溢れているではないか・・・やはり!と確信。しばし、調査は続くだろう。この高鳴りとともに。
ウクライナ支援の為の写真家・永島浩二さんのチャリティ写真展を9月3日(土)から開催。会場は湯島にあるネバール料理店の「バイダム」。ネバール?と誰もが思うだろうが、この趣旨に賛同していだたき壁面利用わさせていだたいている。独特の個性あるカレーが実に美味い店である。
9月4日(日)に友人と二人でパイダムへ。壁面びっしり展示・・・永島先生の個性なのだろうと思い鑑賞。友人は「ショパンの生家」、私は「ワルシャワの夜明け」を購入。
その後、湯島の路地裏へ・・・なんてディープな街なのか!映画のワンシーンにでもつかえそうなまらいディープ。ただただビックリしながら歩いて行く。メーンとなる道路を一歩二歩入った一角。実に不思議で妙な高揚感に包まれた。
すみだ北斎美術館へ行き、「北斎百鬼見参」を見る。

人気の錦絵「百物語」や版本などから鬼に関連する作品を紹介し、鬼才・北斎がどのように鬼を捉えて表現してきたかが分かる。
ただただ・・・凄い