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ch04.カルチャー | ichikoTV - Part 10 ichikoTV

‘ch04.カルチャー’ カテゴリーのアーカイブ

初恋の相手であってほしい

2022 年 9 月 16 日 金曜日

ちょつとコラムを書くために作家の林芙美子の事を調べている。尾道の女学校を卒業し、当時、東京の大学に通っている地元の知り合いを頼り上京するのだが・・・

いろいろ資料によっては、その地元の知り合い「初恋の相手」「恋人」さらには「愛人」という表現もありこれには驚いた。初恋の相手を頼って・・・となるとなんとなくほんわりしたものを感じるが「愛人」という表現は全く違うと思える。上京時、芙美子は19歳である。まあ、例えばであるが、大富豪の愛人になった・・・とかであれば「そんなものかな」と分かりやすいが、乙女が初めての東京に不安な気持ちで上京するのは、やはり「初恋の相手」であってほしいと思って調べている。

しかし、女性の事を「情婦」「妾」「二号さん」など表現は実に多い。「情婦」とかいて「いろ」とよむのを高校生の時に歌舞伎の舞台で覚えた。

まあ、こうした諸々の女性についての表現は永井荷風の「断腸亭日乗」の中にはよく出てくる。まあ・・・そんな「時代」があったのだろうと思う。

歩き・・・歩く・・・

2022 年 9 月 10 日 土曜日

朝から、取材というかリサーチに近い仕事。ほぼほぼ100年ほど前の土地のリサーチをしていた。暗渠になった川はもう目には見えない。しかし土地の名前が全てを物語っているのだ。そしてもしかしたら・・・奇跡なのかも知れない!という建物を発見した。隣人でさえそれほどの情報が無い。でも建物は確かにある。高鳴る胸の鼓動とともに歩く。多分これは・・・川筋と分かる。水車小屋のあっただろう場所を想像する。?その細い道になんと井戸があり、豊かな水が溢れているではないか・・・やはり!と確信。しばし、調査は続くだろう。この高鳴りとともに。

映画の紹介

2022 年 9 月 8 日 木曜日

映画のご紹介です。

大事なことほど小声でささやく・・・真逆のことばかりしていたな・・・と。

映画『#大事なことほど小声でささやく』ついに情報解禁日を迎えたとか。

公式サイトはこちらです

https://daijinakotohodo-movie.com/

チャリティ写真展へ!

2022 年 9 月 4 日 日曜日

ウクライナ支援の為の写真家・永島浩二さんのチャリティ写真展を9月3日(土)から開催。会場は湯島にあるネバール料理店の「バイダム」。ネバール?と誰もが思うだろうが、この趣旨に賛同していだたき壁面利用わさせていだたいている。独特の個性あるカレーが実に美味い店である。

9月4日(日)に友人と二人でパイダムへ。壁面びっしり展示・・・永島先生の個性なのだろうと思い鑑賞。友人は「ショパンの生家」、私は「ワルシャワの夜明け」を購入。

その後、湯島の路地裏へ・・・なんてディープな街なのか!映画のワンシーンにでもつかえそうなまらいディープ。ただただビックリしながら歩いて行く。メーンとなる道路を一歩二歩入った一角。実に不思議で妙な高揚感に包まれた。

北斎

2022 年 8 月 26 日 金曜日

すみだ北斎美術館へ行き、「北斎百鬼見参」を見る。

人気の錦絵「百物語」や版本などから鬼に関連する作品を紹介し、鬼才・北斎がどのように鬼を捉えて表現してきたかが分かる。

ただただ・・・凄い

この子たちの夏

2022 年 8 月 12 日 金曜日

考えて見れば体温のような気温の日々。妙に忙しく働けば、肩も凝るし、目もショボショボとなる。とても意気込んでいたものの・・・何故か・・・8月中旬に行う朗読劇『この子たちの夏』1945・ヒロシマ ナガサキが気持ちがきつくなっている。今更、なんだかんだ言えないもののこの気持ちは何なんだ?!と自分に対して詰問してしまうほど。



日本は唯一の原子爆弾での被爆国である。日本人としての経験を記録でなく記憶に留めたいと構成・演出の木村光一氏が遺稿や手記、詩歌など膨大な資料の中から「母と子」に絞り朗読劇としてまとめたものである。あまりにも身近な言葉が溢れているのだ。

母を亡くした子供

子を失った母たちの書いた手記

体験した人全てが、あの日のあの時間にいつも通りの夏の日常生活が、その瞬間に消えてしまうのだ!

哀しいとか辛いとか・・・言う間もなく!

戦争って一体なんなんだ?

倍賞千恵子さんの「死んだ男の遺したものは」を聴く。

涙が零れて止まらない。

これは、詩人の谷川俊太郎が詩をしたため、昭和35年の反安保集会のために武満徹が作曲したものだ。武満さんは倍賞千恵子さんののデビュー映画「斑女」の音楽担当でもある。倍賞千恵子さんも昭和40年代のリサイタルからずっと歌われているようだが、平成になってからの小六禮次郎さん編曲版がリサイタルの定番。小六さんのピアノ、そして倍賞さんのあの歌声は響く。

富士フィルム発祥の地 雑司ヶ谷

2022 年 8 月 6 日 土曜日

企画たてて、ざっくりでも予算建して、記事書いて、募集して、通知して・・・ひとつのイベントを実施するのにも本当に細かな神経が必要。且つ、当日の天候や気温も気になる。参加者の年齢と共に心配は尽きない・・・。

と!いろいろ言いながら無事に8月6日土曜日、雑司ヶ谷イベントお話会は終了!

富士フイルムの発祥が雑司ヶ谷だったと知る人は少ない。講師の高橋俊之さんは雑司ヶ谷に大正8年に設立された東洋乾板株式会社の取締役技師長であった高橋慎二郎氏のお孫さん。お話会が終了後に自由参加で、東洋乾板があった場所などを、散策開始!約1.4キロメールの道のりを歩く。30度にならず、曇りである。神様が味方して下さった!そんな気持であった。

【コース】

会場「雑司ヶ谷地域文化創造館」

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大鳥神社、弦巻通り 

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東洋乾板跡

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井戸水が豊富だったことが分かる雑司ヶ谷路地裏の井戸見学

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「本立寺」(高橋慎二郎の墓所・豊島区南池袋2-20-37)

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現地解散となったが興奮さめやらず!その後は何とも同窓会のノリ?

※東洋乾板株式会社とは?

日本写真の歴史は幕末に輸入された湿板写真で、これが幕開けとなり写真技術の発展となる。明治16年にイギリスから乾板写真が輸入されるものの高温多湿に日本において乾板の工業化、事業化は難しいものであった。そんな中で乾板製造に成功、大正8年に「雑司が谷」でわが国における写真用乾板の工業化に先鞭をつけたのが東洋乾板株式会社(創業者・高橋慎二郎)である。写真フィルムのフィルムベースからの一貫生産を企図し、研究にチャレンジ。長期間にわたる研究を重ね、開発に成功。富士フィルム設立の直接の母体となった。

「ああ!ここか・・・」と言いながら工場跡地散策。
2025年には超高層ビルが建つ。時代とともに街の風景は変化していく。

時が過ぎ 街並みは変わる

2022 年 7 月 13 日 水曜日

朝一で夏のイベントのリサーチのために雑司ヶ谷へ。富士フイルムの発祥が雑司ヶ谷だった‼という事はあまり知られていない。母体となった「東洋乾板」の創業者である高橋慎二郎氏の孫の高橋俊之さん、そして雑司ヶ谷について詳しい磯田さんとともに歩く。工場跡は今、大規模な道路工事の現場となっている。そもそも雑司ヶ谷という土地に工場を作ったのは第一に「水の良さ」であったということ。今では全く想像も出来ないが・・・今後、また大規模に手わいれられて開発され、街が姿を変えていく。何れはなくなっていく家々の壊れた塀の近くに井戸のポンプがあった。昔々の風景は巨大な開発開発に波に飲み込まれていくのだなと。

■日本の写真の歴史 「東洋乾板株式会社」とは?

日本写真の歴史は幕末に輸入された湿板写真で、これが幕開けとなり写真技術の発展となる。明治16年にイギリスから乾板写真が輸入されるものの高温多湿に日本において乾板の工業化、事業化は難しいものであった。そんな中で乾板製造に成功、大正8年に「雑司が谷」でわが国における写真用乾板の工業化に先鞭をつけたのが東洋乾板株式会社(創業者・高橋慎二郎)である。写真フィルムのフィルムベースからの一貫生産を企図し、研究にチャレンジ。長期間にわたる研究を重ね、開発に成功。富士フィルム設立の直接の母体となった。

▼8月「としまの記憶」雑司ヶ谷編「聞く」(8/6)

https://toshima-kioku.jp/zoshigaya-event4/

「富士フイルムの発祥の地は雑司ヶ谷だった!」おはなし会

あっ!?という感覚

2022 年 6 月 4 日 土曜日

今日は「記憶の遺産ツアー」雑司ヶ谷編の2回目。鬼子母神を巡るツアーだった。プランを練って、企画を吟味し、ロケをして、記事の文章を纏めて、参加者募集して・・・当日の天気の心配ばかりを気にして(笑)

しかし、終わってみるとほどよい疲れと何とも言えない充実感に包まれた。

不思議だねえ。

「~と言われている」「~と伝えられてられている」と殆どの人々が疑問を持たず生活している中で、ふっと奇跡?のような出来事があると何とも言えないような気持ちか騒ぐ。生きている間にそれと出合った?事。

そして、気質というか、困ったものだと思いつつ、多分ね、好奇心と関心の深さから沼にはまるのだろうと思っている。

そして!いよいよ!7月、8月、9月とイベントは続く~

女性の力

2022 年 6 月 3 日 金曜日

日本大学は6月3日に開かれた理事会で作家の林真理子氏を次期理事長の候補者とすることが決定し、林氏は来月1日に理事長に就任する見通し。

脱税の罪に問われた田中英壽前理事長。有罪判決が確定する異例の事態となり、大学が新たな理事長を決めるために設置したという。

日大芸術学部卒業の林さんは母校の為に何かをしないと!と。もう随分前の話であるが、カルチゃーブームがおこつた頃、女性とスポーツというテーマで日大の田中さんに会ったとがある。ずっとテレビで映されたあの室内とあの風貌は本当に変わることが無かったのだ・・・と思っていつも見ていた。ただ、核心のテーマになると妙にはぐらかされたというか、「舞の海はね」という話に進んでイベントの具体案にはなかなか入らず、来客?の多さに改めてと言いながら、これはダメだ、全く進める気がないと確信しその場を離れた事を思い出した。ある意味?まるで映画撮影のような特別な独特な空気の流れる理事長室であったことき今でも覚えている。

それから、妙に月日が経ってとんでもない疑惑に満ちた事件か起こる。本当に当時は日大は闇だったのだと思える。

やたら「女性の力を!」とオウムのように言う人々もいるが、そんなちゃらちゃらした雰囲気ではなく、本当に新理事長には根幹からかえていってほしいと思う。