おおつごもりとなった・・・
とりあえずというのもなんだが、お節料理もほぼ完成。
しかし、日本からイクラがなくなったのか?と思うほど「無い」!
もう諦めた(笑)
蒲鉾を切ってあとはお重に詰めるだけ。
ほっ・・・
本当に本当にいろいろあった2021年。
初めての事も多すぎた(笑)
年の締めくくりとしてもこの正月料理はたんたんと作る・・・これが私の流儀なのかも知れないな。
おおつごもりとなった・・・
とりあえずというのもなんだが、お節料理もほぼ完成。
しかし、日本からイクラがなくなったのか?と思うほど「無い」!
もう諦めた(笑)
蒲鉾を切ってあとはお重に詰めるだけ。
ほっ・・・
本当に本当にいろいろあった2021年。
初めての事も多すぎた(笑)
年の締めくくりとしてもこの正月料理はたんたんと作る・・・これが私の流儀なのかも知れないな。
夕方になると気温がぐっと低くなる。とくに乾燥しているのでその空気の冷たさも身にしみる。
背筋を伸ばして!お腹を引っ込めて!歩かないと!と思っても、どうも前屈みになって、猫背の醜い姿となってしまう!ああ・・・
そんな夜、私の前を自転車が疾走する。
「今夜、何にしようかぁ?」と母親が後方に座る子どもに話しかける。すかさず母親は「たまごやきにしようか!たまごやき作ろう!」と言うと「わーい!たまごやきぃ!と子どもがはしゃぐ。
冷たい空気は何故かこんな和やかな声がクリアに聞こえる。保育園帰りの子どもとの一時の会話が冷たい空気を一瞬忘れさせてくれる。一日の仕事を終えて、帰路に・・そんな親子の会話が温かい冬の一こま。
2021年12月22日。今夜は「冬至」。柚子湯にはいり、いろんなこと考えたり思い出したり・・・いいかもね!
雑な言い方なのだが・・・私は料理をするのが速い・・・と思う。わりと集中してわっと作るタイプ。気性がかなりせっかちなのが影響しているのかも知れない。ただ、じっくり煮込む料理などには細心の注意をする。なんというか、実験の間隔で、意外や神経質になる。だから料理は不思議だといつも思う。所謂、タイミングというものがある。間のとり方というか・・・
そんな私は、言うのも恥ずかしいが、結構、手頃で格安包丁を使っていた。「ん・・・研げないか」という感じの包丁。セラミックのも衛生的でいいな!と思うと使ってきた。
しかし!
新潟燕三条のなかなかいい包丁を入手した。指でも切ったら~と思うと怖い(笑)と思いつつ、これからますます美味しくなる大根を切った。サクッ!?あれれ、音が違うよ。これが切れ味というものか!と妙にまな板の上の大根に感激してしまった。切れ味も料理の味と一緒だなと思った。
もともと料理は嫌いではないが、なんこの包丁でますます料理が楽しくなった。たまには奮発してみるのもいいね!
新蕎麦が美味しい季節だ。
落ち着いた佇まいの蕎麦屋で、新蕎麦など味わっていると、たいがい奥まったところなどで静かに蕎麦を味わう人がいる。そして「燗つけてくれないか」などと店の人にいう。なんて粋なんだろう!と私はいつも思う。
ガサガサしていないで、秋を味わいながら静かに物言う粋さ。これってなかなか年月を培わないと出来ないもの。
立秋を過ぎましたが、東京はまるで体温のような気温です。「危険な暑さです」「不要不急の外出は控えてください」とニュースでは伝えますが、最近はこの「不要不急」が分からなくなっています。「読んで字の如し!」と言われると思いますが、実に誰も彼もが簡単に使用していますね。
いずれにしても暑い!です。天気図を見ているとやたら面白い。暑い暑いといっていても、やはり天気はいつものように秋に向かっているのですね。
葡萄や梨が店頭にでてきました。秋の味覚が大登場です。まるまスイカを、ばきーんと切った夏ももう終わりに近づいていますね。
10月のイベントの天候が気になって気になって・・・過去の天候を調べ始めています。人間の力じゃどうしようも出来ない、そんな世界を感じながら。
「正しい食事」という本のタイトルから食生活の事を改めて考えてみた。「食」といえば、これまでにもいろいろなブームのようなものがあった。とくに・・・と言えば、たいがいのテーマがダイエットに繋がっているものなのだが、コンニャク、バナナ、ゆでたまご、リンゴと、もういろいろありすぎて混乱してくる。しかしよくよく考えてみると何とも偏っているなと。
偏っているといえば、本当にご本人の前では、口には出せぬが猛烈な偏食の方を知っている。「えーっ!」というほどの偏食の上、ほぼ毎日、酒を飲み、かなりのヘビースモーカーである・・・にも拘わらず。至って元気である。しかし、一報で、一生懸命に野菜を多くとり、また薬膳料理など丁寧な食事を続けられたが、割と若くして亡くなった方も2人ほど、また「オリーブオイルしかない!」となんでもかんでもオリーブオイルといって亡くなった方を知っている。人は必ず死んでしまうものなのだが・・・少しでも美味しく食べて長生きはしなくては!と最近は特に思えるのだ。
さて、動画編集をしている中で「二度と芋は食わぬ!!」と戦争体験をされた、特に男性の方々の口からは出る。彼らのいう「芋」はサツマイモではあるが、〝おいも〟スイーツなど様々な商品に囲まれている私たちには全く想像も出来ない「芋」であることが、いろいろ調べると分かる。「色は紫と灰色を混ぜたような色だった」「筋ばかりしかなかった」など、?マークがアタマを占める。「食わぬ」と言うほど、超まずい。それでも戦争中は食わねばならない。本当に当時の食の貧しさと辛さを仰る。。灰色で筋ばかりの芋は決して美味しくはなかろうと思う。そのようなものでも必死に必死に食べて、生きてこられた。そんな時代があったのだ。だから「今は天国ですよ」と皆さんは言うのだ。「今はね、このお腹に」と言ってポンとたたいて笑う。しかし、現代はなんだかんだいっても飽食の時代である。
健康番組の氾濫。あれは駄目これも駄目・・・駄目づくし。情報の氾濫の中で、どんな情報を得たら良いのか?さえ混乱する時がある。そんな時は耳をすましてみるのだ。ダメダメばかりでは話もつまる。これがいい!と言えば、翌日のスーパーからその野菜だなんだかんだがあっという間に売り切れる。じゃあ!どうしたらいいの?とまでいいたい時がある。よく考えれば分かることなのかもしれないけれど・・・
小学生の時の担任の先生が戦争体験を話してくれたことがあった。もう何も食べるものがなく、配給制度の中では、いつもいつもお腹が空いていた。古い古い記憶の中を辿っているので曖昧な点も多々あるのだが、その先生が確か、妹さんとふたりに、あるご婦人が真っ白な握り飯をくださった。手のひらにのせられた真っ白な握り飯。そしてそれをほおばった時の〝美味しさ〟の話だったと思う。勿論、小学生の時、実はあまり食に興味もなかった当時の私にとっては「ふ~ん」くらいの事だったが、今、戦前戦中戦後、復興期等の人々の「記憶の遺産」として、動画を撮り続けていると、その時の担任の先生の様子、そして真っ白な握り飯の味やにおいなど優しい温もりと感覚が伝わってくる。
やはり、現代の日常は「食」が氾濫しているのだ。「超デカ盛りランチ」とか、今はあまり人気がないのかも?「大食い競争」などは好きではない。寧ろ、最近は所謂「健康番組」の内容にも確実に興味が薄れてきた。でも、ふっと「毎日、私、ハンバーガーとポテトでもいい」「気が付けばカップラーメン」などと言っていた昔の勤務先の後輩の顔も浮かぶ。少しばかりの心配がそんな思いにさせる。彼女や彼らは元気にしているのだろうか?
真っ白な握り飯は糖質も多かろう。塩分は控えめにと言われれば味噌汁も厳しい。漬物もこれも塩分過多だろう。甘く煮た豆も。しかし、日本人の味覚にあった、昔ながらの食事について考えて見れば、これってかなりいいと思えるのだ。お浸し、糠漬け、汁物も具沢山にして、豆腐や湯葉、新鮮な刺身、魚の粕漬もろもろ。仕事で汗をかくこともあるだろう。そうすれば十分な塩分だって必要。歩き回って歩き回って「腹減った!」時には真っ白な糖質たっぷりの握り飯もよかろう?と思ってしまう。
健康で「味」が分かって「におい」も感じて、ああ!美味しい!と思える事が一番かなって。適切、適度・・そして適当!
人間っていうのは本当にしようもない生き物だと思う。寝食忘れるほど本を読み、勉強したら・・・また集中して取材の為に歩き回っていたら・・・ふっと気づいて「うどん」でも「蕎麦」でもいい。その一口は夢のような美味しさだと思う。が、うまい!うまい!もっと飲みたい、食べたい!という連鎖に入ったに確実に太る。その1キログラムの凄さは例えば牛肉1キロってかなり量が多くて、簡単に食べられるものではない。しかし・・・コロナ生活での自粛中、人はどんどん口に入れて、そして「うまい」「うまい」と満足し、そして確実に目方を増やしていく。よほど、管理能力のある者以外は、無理だと思う。
栄養科学博士・オーガスト・ハーゲスマイヤーさんま「食事の科学」(講談社)を読んだ。彼のいう「正しい食事」をすればみるみる(この表現方法は嫌いだが)引き締まったボディづくりが出来るということだ。
カロリーゼロのものをせっせと摂る、ささみ中心にする、プロテインを摂る、油は極力避ける、運動の前後にスポーツドリンクを飲む・・・全て「無駄」だと彼は言う。そして何よりも衝撃的だったのは腹筋しても腹はへこまない?あああ~なるほどねと感じ入った。
ちょっと甘いもの・・・と自分にご褒美とか言ってしまう。サプリメントでもっと健康で美しく!諸々本当に胸にズシンと響く。
「正しい食事」って何だったのか?再度、考えていくことも良いかも知れない。
学生時代の親友からメールが届いた。彼女は今、奈良県に住んでいる。だから、日ごろはなかなか会えない。「誕生日にケーキを焼いて送るね」と。手の込んだ、ヘルシーなケーキのレシピ。
学生時代、貸した本がかえってくると、ページの間に煎餅の粉が挟まっていて、それを私はキャンキャン怒った。「白いマフラー編むね」といって出来上がったものがすっかり灰色になっていた。待ち合わせの時間に遅れる彼女に駅の伝言板に「先に行く!」と、当時からせっかちの私は先に出かけて行った。
社会人になってからも、彼女と登山をした。あれこれ注意書きを書いた手作りのしおりをかなり後になってからも「とっておいたよ~」と見せてくれた時はただただ驚いてしまった。
6月になって・・・私の誕生月・・・
彼女のメールを読んで、何か胸の奥でジンと痛くなって涙がにじんだ。
10代のなーんにも怖くなかった時代の学生生活が妙に懐かしくなっていた。
先般、ちょっとした会合でノンアルコールのワインというものを生まれて初めて飲んだ。最近はビールもノンアルコール。禁酒法時代の小説を思い出した。アルコール入れてしまったら・・・と思うとちと怖くなっている(笑)
最近は高級食パンがブームである。コンビニなどで売っている食パンの数倍の価格であるが、兎に角、売れに売れている。一度、専門店で購入して味わった。いやあ、なんと表現したらよいのか~ふんわり~まろやか~
そして、開店したばかりのベーグル専門店が気になっていた。「買えない!」「いつも売り切れ!」という声ばかりだったので、雨降る寒い日、開店一時間前。まさか・・・すぐに人が並び始めた。そしてぞくぞくと。あっという間に20人並んだ。そして一人8個しか買えないということが分かった。買い占めなんて出来ないのだ!
「本当に貴重なベーグルとはこうしてものか!」と数人で味わう。食べるときはあっという間で終わる。国産小麦の風味ともっち~り感。おお・・・
まさか?というものが売れている時代。