少しずつ街が〝回復〟している感じである。
店舗も開店し、百貨店、映画館、博物館も。
しかし・・・
病院はどこもピリピリ。
例えば「今、紹介状ないと」など。
考えれば、当たり前の事だと思う。
院内感染と言葉では簡単に言うけれど本当にただただ怖い。
目に見えないものの恐怖。
ただ打克たないとね。
心身ともに克つためには冷静で強くなること。
自分の強みそして弱みも書き出してみるとよいと思う。
昔の功績とか肩書とか一旦忘れ
今、自分にできる事・・・書き出してみるとよいと思う。
少しずつ街が〝回復〟している感じである。
店舗も開店し、百貨店、映画館、博物館も。
しかし・・・
病院はどこもピリピリ。
例えば「今、紹介状ないと」など。
考えれば、当たり前の事だと思う。
院内感染と言葉では簡単に言うけれど本当にただただ怖い。
目に見えないものの恐怖。
ただ打克たないとね。
心身ともに克つためには冷静で強くなること。
自分の強みそして弱みも書き出してみるとよいと思う。
昔の功績とか肩書とか一旦忘れ
今、自分にできる事・・・書き出してみるとよいと思う。
新型コロナウイルス感染拡大の終息を願い、全国一斉に「悪疫退散祈願」の花火が打ち上がる!これは全国の花火業者が立ち上げた「全国一斉悪疫退散祈願 Cheer up!花火プロジェクト」の企画である。それにかかわる花火業者は全国で163を数えるという。とくに「三密」防止のため、打ち上げ場所、打ち上げる花火の種類は発表されていない・・・というところがなかなか良い。
やはり日本の夏の風物詩といえば花火。
これも今までの生活の中では「当たり前」だったが、今年の隅田川花火大会も中止となると・・・辛い。本当に人込みでぐちゃぐちゃにもまれて花火を見た夜は人生の中でも、かなり貴重な思い出だということが分かる。
花火のルーツは古い。紀元前3世紀の古代中国、火薬の基本となる硝石が発見されてからと言われているが、日本で記録に残る花火の第1号は、それから約2000年後の天正17年(1589年)7月に伊達正宗が観賞したのが最初であると言われている。
慶長18年(1613年)の8月に駿府で、徳川家康に英国人のジョン・セリーヌが、同行の中国人の手で花火を見せたという記録もある。現代むのように、ビルが林立しているわけでもない時代の花火はどんな風景だったのかと想像するだけで楽しい。
そして、花火大会の始まりは「両国の川開き」。川開きとは納涼祭つまり、大飢饉、疫病の流行をきっかけに行われた水神祭が起源となっている。江戸時代初期までは渡し船がメーンである。防衛のために幕府により橋をかけることが禁止されていたからである。
そんな中で、1657年3月2日に、江戸市中の半分を燃やし尽くすので大火事となったあの「明暦の大火」が起こる。多くの犠牲者を出した背景には橋がなかったため火災から逃げることができなかったことも要因の一つ。そして、隅田川に橋をかけることとなり、両国橋が完成するのである。まさに両国は、涼を求める江戸市民に人気のスポットとなっていくのである。
そしてそこに花火が打ち上がる!
「享保の大飢饉」の切っ掛けとして。物価の上昇、そして疫病の流行により、江戸市民の生活は悲惨極まりないもの。多くの犠牲者への慰霊と疫病退散を祈願する目的から、8代将軍・徳川吉宗が両国で水神祭を行い、花火を打ち上げたのだ。当初は20発程度の小規模なものだったようだが、どれだけ江戸の人々の心に響いたかと想像すると涙さえ出てしまう。これが花火大会の起源。
現代人では多分・・・想像もできないほどの当時の大飢饉。そして物価上昇。衛生面だって酷い。どんな時代にもその時代の楽しいこともあれば辛いこともあったと思う。
今は、踏ん張ろう!踏ん張ろう!
そして、花火の美しさと逞しさを心に刻みたい。
明け方の地震で目が覚めた。
揺れながら・・・首都圏の大地震さん?いつくるのかな?と呟いてしまう。
新型コロナウイルスについても今年の正月など全く知らず。ワイワイしていたニューイヤーだったよね?1月末からのイベントも大盛況だった。
そろそろ関東も梅雨入りか?今日は昼過ぎから雨という予報だった。でも朝からふりしきる。
考えてみれば静かな日々である。これで仕事というならば、「あの時代」の一体仕事って何だったのか?と思う。北海道、九州日帰り出張、羽田について、その後社に戻って会議会議。また夜の会議のあとに、東京駅から最終新幹線で大阪へ。零時過ぎにビジネスホテルに入り、早朝から・・・あれって何だった?
残業時間とかもすごかったよね。新規媒体発刊前なんかね・・・必死必死で過ごした日々。勝ち組負け組って?運動会か?まるで決起集会のようで、いや、決起集会だったな。我々は負けない!負けてはいけない!って。
これからの未来、満員電車が死語になるんじゃないか?オフィス縮小すると聞く。
それに・・・バブル期にお世話になった銀座のママたちには連絡もできない(笑)「ご接待」という言葉もよくらよく考えてみると深い。
2020年6月。
誕生月にはまたひとつトシをとる。
外は雨。
雨が降っている。
降りしきる。
雨は地におち、大地を潤している。
樹々の美しさに・・・心がまだ奪われる。
以前、写真の整理してデータをクラウドにあげるという仕事をお手伝いしたことがあった。そのクライアントのお宅に最初に取材に行ったが、その方が今年4月に亡くなったと聞いた。記憶が溢れ出すと悲しくなった。整理した写真は「7000枚ほどあった」という数字を聞いて改めてその数のすごさにおののいてしまった。その方はとても几帳面な方で、学生時代から結婚、そして仕事など人生すべてのシーンがあった。写真の整理はとんとんと進んでいったからこそ、7000枚という数かと改めて思った。
時間を見つけて、「あれ?」という袋から膨大な整理されていない写真を見つけて分類を始めようとした・・・すると、もう大変なことになった!顔から火がでそうなほど昔の写真が出てくるではないか!こりゃ参った!と、ざっくりと分けて、またひとまとめにした。
結論!わけが分からない写真は整理というか、破棄してしまったほうがいいかもしれない。いや、破棄がおすすめ。多分「ああ、この感覚か」と思う。
「なんか楽しい思い出だわ」などと言っていられない。そんな写真発見の連続となる。まあ、酒の肴に話も弾むかもしれないが・・・今は自粛!自粛!よくよく見ると笑いがこみ上げる。
それにしても・・・昔の私は若い!(苦笑)
実に和服を着なくなった。これも時代のスタイルだろうか。
いろいろ片付けをしている中で、決心。母の留袖を知り合いのデザイナーにコートに仕立てなおしてもらった。「何度か染め直ししていますね」と彼女は言った。とにかく古いのだ。
たぶん・・・祖母そしてもしや?ひいおばあ様の時代までさかのぼっているかも知れない。真っ黒でなくなんとも言えないうす墨色?そして、刺繍が凝っている。
これを、気軽に羽織れるコートとタイ状のストールに変身させてもらった。
羽織ってみた。
なんとも言えない、不思議な感覚。
多分、明治、大正、昭和の風を羽織るんだな。
これを和洋折衷というのか?いや・・・それともまた違う魅力が溢れ出してきた。
立夏過ぎ・・・
街を少し歩く。
人の様子が・・・変化している。
人々を包んでいたこれまでの時間の流れに併行して
まったく違った時間が流れ始めている。
こどもの日
広がる青い空
鯉のぼり
そして、菖蒲湯
今年は・・・ほんとに悲しいほどピンとこない日々。

今日4月29日は祝日「昭和の日」。
昭和の前半は「天長節」(1927〜1947年)で、後に「天皇誕生日」(1948〜1988年)となった。私の頭の中にしっかり入っているのはやはり「天皇誕生日」。
昭和天皇崩御後は自然の恩恵に感謝する「みどりの日」(1989〜2006年)となり、さらに「昭和の日」(2007年〜)と数々の変遷を繰り返している。
天皇誕生日を天長節として祝う慣習は8世紀から続く伝統で、「天は長く地は久し」(老子)からとった言葉で、天地が永久であるように天皇の治世も続くようにという意味が込められている。天長節は、明治天皇の誕生日(11月3日)、大正天皇の誕生日(8月31日)、そして昭和天皇の誕生日(4月29日)というように天皇が代替わりすると日付が変わっていた。
昭和23年(1948年)に国民の祝日に関する法律が制定され「天長節」が「天皇誕生日」に改められた。昭和天皇が崩御され、天皇誕生日は明仁上皇の誕生日(12月23日)に。それまでの天皇誕生日だった4月29日は「みどりの日」という祝日となったのである。
「みどりの日」は平成17年(2005年)の祝日法改正で「昭和の日」に改められ、平成19年から施行された。最近は昭和時代の流行りの音楽などに人気があったりでひとつのブームといえる。昭和という響きは「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」(祝日法)に定められているように実に意味深さを感じる。
そのまま「みどりの日」は無くなるかと思いきや、5月4日に移動した。
緑眩しい季節が到来する。やはり毎年訪れる、この新緑美しさとともに「みどりの日」は大切にしたい。